のぞみ寮通信

のぞみ通信

2020/03/04

のぞみ通信 2020年3月1日 第252号

人皆に 美しき種あり 明日何が咲くか

寮長 東 晴也

 敬和学園のアプローチにある石碑には、安積得也の詩「明日」が刻まれている。

  人皆に 美しき種あり 明日何が咲くか

 創立10周年に、これまで支えて下さった方々を覚えるために太田俊雄先生が建てた石碑だ。

 「明日」は時間が経てば、いつか「今日」になる。50回生が入寮入学した時、望んだ「明日」を私たちは「今日」どのように迎えているだろうか。

 今年度、私は寮務分掌の関係で、光風館からめぐみ館に引っ越してきた。今日は、そのめぐみ館の夕拝での50回生最後のラストメッセージの日だった。

 Aさんは熱冷ましシートでおでこを冷やしながら、今にも泣き出しそうに語り出した。

 「敬和学園に来たのは、神様の導き。敬和でがむしゃらに生きてきた。大変だったが、大きく成長した。信頼できる仲間とたくさん出会えた。めぐみ館50回生は、3年間かけて本当に仲良くなった。一人ひとりの存在の大きさは偉大です。私は愛されることを実感できた。温かな気持ちで満たされている。ここでの生活が愛おしい。……」

 次に、Bさんは清々しい笑顔でこう語った。

 「みなさんは自分のことが好きですか?私は好きです。それは、めぐみ館の一員だったから。赦され、認められて、愛されて来たから。みんなに助けられた分、私もみんなのことをよく見て、いいめぐみ館にしようと思った。みんなのいい所をみつけることが出来た。みんな素敵な人達ばかり。……」

 二人の言葉がホールに静かに響く。それを黙って聴く生徒と小菅先生。「明日何が咲くか」分からなかった日々を共に過ごして、私は今日、確かにその開花を目撃、実感した気がした。

 人は自分が扱われたように、他者を扱う二人に共通するのは「私は愛されている」という実感だ。他者に愛されていると実感する人は、必ず人を愛する人になる。

 「敬神愛人」を掲げる敬和学園が、創立以来、心から望んでいることをお二人はすでに体現しはじめているという事実に、私は圧倒され、神様に感謝せずにはいられない。

 全ての生徒、一人ひとりの内に有る固有の「美しき種子」を育てていってほしい。

「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」(コリントの信徒への手紙一 3章6節)

 

 

< 寮生リレー ラストメッセージ特集号 >

 

『 私の人生に主役が十三人も増えた 』

S.M (みぎわ館三年・燕市)

 最初の寮生活は最悪なものでした。最初の一ヶ月は寮に帰れない。親に電話するのにも、お金がかかる。チェックというペナルティがつくルール。入寮する前に思い描いていた寮生活とは程遠いものでした。礼拝の後の報告では毎日怒られ、私は「なぜこんな所にきたのだろう」と後悔しました。

 みぎわ館の人とは自ら関わろうとしませんでした。めぐみ館にしか仲の良い人はいなくて、私は「なぜみぎわ館なのだろう」と、ずっと思っていました。「このままみんなとは深く関わらないで平和に過ごそう」と思っていました。

 私は一回決めた事を崩すことが出来ませんでした。崩すことが怖かったです。だから、みぎわ館の人とは深く関わらないという一回決めた事を崩すことが出来ませんでした。私は自分を強くみせようと必死に意地を張っていました。

 みぎわ館の人と深く関わらないという事が難しくなってきたのと同時に、一人になれる時間がない、部活で家に帰れないなど寮への不満が溜まっていき、ある日爆発してしまいました。私は寮本部で先生達に寮への不満をぶつけました。その頃の私は、寮の嫌なところしか見えていませんでした。こんな暮らしにくい寮が自分の家とは言えず、自らみぎわの館の人と関わろうとしない自分の意地に苦しんでいました。

 「寮を辞めよう」と思い、通学していた頃、みぎわ館の50回生から手紙を貰いました。その手紙には「寮を辞めないでほしい」そうありました。「今まであまり関わってこなかったのに、辞めようとする時だけ、なぜ手紙なんかくれるのだろう」と正直不思議に思ったのと同時に、「私の知らないところでみんなは私のことを見ていてくれていたのだ」と気付きました。みんなは手紙でも、電話でも、直接でも、本気で私にぶつかってくれました。本気で私に「寮を辞めないで」そう言ってくれました。

 私は「この人達と本気で関わってみたい」と思いました。そして、「自分が暮らしにくい寮なら自分が暮らしやすい寮にしよう」そう考えました。寮に戻り、今まで思っていたことを50回生のみんなに言うと、びっくりするくらい受け入れてくれました。ずっと一人だと思っていたけれど、こんなにも心強い仲間がいたことに、自分の意地のせいで気付けなかったと思うと、とても情けなく感じました。

 私はみぎわ館50回生のおかげで、自分一人では崩すことの出来なかった意地を崩すことが出来ました。みんなのおかげで、先輩や後輩とも深く関わることが出来ました。私はこの寮で過ごしてきた三年間に何も後悔することはありません。意地を張っていたことも、苦しくて辛いことがたくさんあったことも、寮が嫌で辞めようと思っていたことも、私にとって素敵な思い出です。

 私は私が好きです。自分の言葉が好きです。自分のファッションが好きです。自分が変えようと思って、みんなが協力してくれて変えた寮が好きです。これを言えるのは、私を本気で受け入れてくれているみんながいるから。ありがとうじゃ伝えきれないくらいみんなに感謝したいです。

 私の人生は私が主役で、私以外の人は脇役だったけど、私の人生にずけずけ入り込んできたみんなは、いつの間にかみんな主役になっていました。これまで脇役だらけだった私の人生に、主役が13人も増えました。私たちみぎわ館50回生は、みんな主役の最高なチームです。

 3年と言う短い寮生活はとても素敵なものになりました。私はこれからも私らしく生きていきます。

みぎわ館 聖書を手にしているの良いけど、なぜ風呂場なのだろうか…。

 

 

 

『 あもーれ 』

H.W(めぐみ館三年・阿賀町)

 この三年間で私はどんなところが成長したでしょうか?

 一つ目、人見知りがマシになったところです。めぐみ館に入るまで私は話すことが本当に苦手でした。出来るだけ人と関わることは避けたいタイプでした。しかし、寮に入ると人とのコミュニケーションが生活の基盤となるので、関わらないわけにはいきませんでした。人と関わる機会が嫌でも増えて、私の人見知りは改善されていきました。人見知りが改善された一番の理由は、寮のみんなが私の心を開かせてくれたことだと思います。話すことが得意でもないし、たまに喋る話も面白くない私にも、たくさん話しかけてくれました。一度喋ったら「もういいかなぁ」と思われがちな私にもしつこく絡んでくれるみんなは「本当に心が広くて優しいんだなぁ」と思います。そんなみんなに出会えたことは、私にとって本当に大きな恵みです。

 二つ目、よく考えるようになったところです。それを自覚したきっかけは怒るようになった時でした。敬和に来て寮に入って、今まで感じたことのないような怒りを感じ、それからもしばらくはそのことでずっとイライラしていました。しかし、それは敬和の環境がひどかったから、敬和に入る前のほうが良かったから、そういった理由で怒るようになったわけではありません。家族以外に怒ったことがなかった私は、不思議になって考えてみました。考えた結果、そのことについて何も考えずに受け流すことをしなくなったからだと思います。寮内での共同生活・委員会・ミーティング、上げたらきりがありません。周りのみんなが真面目に物事に取り組み、全力でぶつかっていく中で、私もそんなみんなに感化され、日常的に考える癖がついたのだと思います。

 「もし敬和に入学しなかったら……。もし寮に入っていなかったら……」と考えると怖くなります。本当にそうなっていたら、これまでで得た三年間の糧はなかったと考えていいでしょう。

 この言葉は今まで使ったことがなかったのですが、神様のお導きがあったのかなと思います。感謝せざるを得ません。

 今までにないくらい楽しい三年間でした。私と出会ってくれた人すべてに感謝の意を伝えたいです。

めぐみ館 変顔写真はかわいそうなので、おしとやかな写真を選びました。

 

 

 

 

『 必要とされるのは独創性 自分の個性を形にする 』

K.Y(大望館三年・新発田市)

 僕の特徴を挙げるとしたら何でしょうか?答えは色々あると思います。性格が優しい、眼鏡を外すとかっこいい、実は頭が良いなどでしょうか?すみません、調子に乗りました。

 逆に、あなたが自分自身を振り返ってみてください。どんな特徴が挙がるでしょうか?

 では、自分の中で考えたもので、他人と比べずに選んだ自分の特徴はあるでしょうか?特徴という言葉の意味は「他の物と比べて特に目立ったり、他との区別に役立ったりする点」というものですから、この言葉自体が他人と自分を比べさせる力を持っています。

 みなさんは他人と自分との特徴を比べて何か良かったことはありますか?僕はないと思います。他人と自分との違いを比べたら自分の実力が分かる。テストの点数を友達と比べて優越感に浸る。そんなことが良いことだと言えますか?

 古代中国の思想家孔子はこう言いました。

 「彼を知り己を知れば百戦殆からず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し。

 この言葉の意味は「敵の実情と味方の実情を熟知していれば、百回戦っても負ける心配はない。敵の実情を知らず味方のことだけを知っている状態では、勝つこともあるが負けることもある。そして、敵のことも味方のことも知らなければ、必ず負けてしまうだろう」というものです。

 これは相手と自分の特徴を比べています。確かに相手の弱点を知り、自分の長所を知れば、どんな戦いでも勝てないことはないのかもしれません。

 一見、説得力がある言葉です。しかし、みなさんも何かこの言葉に違和感を持ちませんでしたか?そう、この言葉には、勝つために力をつける過程について述べていないのです。

 例えるなら、ラグビーの試合で勝つために筋トレをする時間がないのです。この言葉は試合をどう行えば勝てるのかという問いに対する答えであって、試合に勝つためにはどうすればいいのかという問いに対する答えではないのです。

 「人生とは困難と戦いの連続である」は諸葛孔明の言葉ですが、現代はそんな狂った状態ではありません。むしろ戦いは日常の延長線上ではないでしょうか?現代は戦いよりも準備期間の方が長いのです。筋トレは自分との闘いという人もいますが、僕は逆です。筋トレは準備期間です。日常です。

 では、人生という何が勝利か分からないものの中で、勝つためにはどうすればよいのでしょうか?それに対する答えとして、僕は「ときど」という人物を紹介したいと思います。彼は格闘ゲームの世界大会で一位を取ったことのある男で、世界規模の大会で常にベスト3という成績を収めています。その彼が書いた本「世界一のプロゲーマーがやっている努力2.0」という本にこのようなことが書かれていました。「ルーティンを作れ、そしてポリシーと目標を分けろ

 ルーティンとは簡単に言えば、日常をサイクル化することです。あらかじめやることが決まっているものの時間を決めることで、いちいち選択をする際に考える時間を無くすことが出来ます。つまり、ルーティンを作ることは自分の楽しいことが出来る時間を増やすことに繋がるのです。

 ポリシーはなりたい自分。目標は具体的なもの、数字が出るもの。

 彼で例えると、ポリシーは格闘ゲームの面白さを伝えること、目標は世界大会優勝になります。ポリシーと目標を達成するためにルーティンを作ることで効率化する。このことによって自らの夢への道を最速で進むことが出来るのです。

 僕は礼拝の話をする時、毎回自分が話したい話ではなく、みんなに聞いてもらいたい話を話すようにしてきました。「こんな考えが世の中にはあるんだよ。こんな経験を味わったんだよ」と。みなさんもそう話してきたと思います。どうか礼拝の話をおろそかにしないでください。礼拝の話をするということは自分の言葉で何かを話すということです。それはなにより得難い経験です。

 近年、日本でも起業をしようとする風潮が出てきました。物があふれる社会の中で、必ず必要とされるのは独創性です。自分の個性を形にすることです。そのためには自分の言葉で、相手が分かるよう話さなくてはなりません。社会に出た時、生き残れるよう、普段から自分の言葉で他人と違うことを話すスキルを磨くようにしてください。

 そして、後輩のみなさんは礼拝の話を自分のスキルを磨くチャンスととらえ、これからも精一杯話してください。

大望館 1年生の時に撮った写真を忠実に再現。この笑顔がすべてを物語っています。

 

 

 

 

『 敬和学園という場で学び 探し当てた自分 』

E.M(光風館三年・見附市)

 敬和学園は自分探しの場であると言います。その言葉の意味やそれを指すところは、正直三年過ごしてみないと分からないものです。一年過ごして、二年過ごして、そして三年目も終わろうとしている。こんなにも遅いタイミングでしか、私は気付けませんでした。

 「自分」というものは、道すがら見つけられるものではありません。とても自分とは思えないようなかけらが、何個か転がっているだけ……。しかし、最後に新しい道へ至る前にふと振り返ってみると、そのかけらがどういう意味を持っていたかに気付くことが出来ます。このかけらを組み合わせて知った自分というものをみなさんに知ってほしいと思います。

 私は「人間」が嫌いです。誤解の無いように言っておきたいのですが、別に普段から仮面の裏にどす黒い感情をたぎらせているわけではありません。友人として尊敬出来る人も数多くいますし、先生のことも信頼しています。家族との仲も良好です。ただ友人も信じた大人も家族も私自身でさえも、私が生理的に感じてしまう嫌悪からは外れることが出来ないというわけです。人と一緒に笑う時、泣く時、怒ったりする時や喜んだりする時でさえも、心の奥底の一番深いところで、私はあなたたちを嫌っています。でも、複雑なところですが、表面に出ている感情も、まるっきり嘘というわけではないのです。こんな話を聞いた後では信じられないと思われるかもしれませんが、私だって人間です。人の幸福を喜んだり、人の不条理に怒ったり、人の不幸を悲しんだり、人と共に笑ったりもします。

 私がこの事実に気付いた時、私は自分自身の事を心から憎みました。こんなに醜い人間が「E.M」であるはずがない、何かの間違いだと……。何度も何度も思考を巡らせました。だってそうでしょう。敬愛している両親からこのようなものが生まれたとあっては、彼らの育児、それどころか遺伝子すらも不良品だったという事になるのですから……。私はどうしても人間が嫌いで、そのことをひた隠して、これから長い人生を生きていかなければならないのだと覚悟しました。「探していた自分が望んだものではないかもしれない」ということを感じたのです。

 みなさんだって、いずれは敬和学園を卒業し、社会に出ていきます。その過程でふと後ろを振り返り、醜い化け物を目にすることもあるでしょう。それを拒絶し、心から恨むかもしれません。でも、決してそれを拒絶しないようにお願いします。

 別に「好きになれ、受け入れろ」と言うつもりはありません。この社会は、自分を毛嫌いしたまま生き残れるほど甘くありません。所詮は配られたカードで生きていくしかないのですから、自ら手札を捨てることは極力避けなければなりません。

 それが、私が敬和学園という場で学び、探し当てた「自分」というものの正体です。

光風館 凜々しさが頼もしい。それにしても、ひとりだけ姿勢低すぎ…。それ、ラグビーのタックルする姿勢だよ。

 

 

 

 

教師からの一言

『 神様の恵みが注がれる中で 』

澤野 恩(光風館担任)

 新型コロナウィルスの猛威が世界各国を震撼している。この新しいウィルスとの戦いに、私たちの知らないところで、多くの人が家族や自分を犠牲にして身を費やしているのだろう。

 その一方で、多くの製薬会社が、「ライバル会社よりも先に抗体を作ろうと研究を重ねているらしい」という話を耳にした。成功すれば莫大な利益を産むことは間違いない。確かではない話とはいえ、「互いの利益を考えることなく、手を取り合ってこの戦いに挑むことが出来るなら……」と、私は違和感を抱いてならない。

 「教育はビジネスだ。」20年近く前に働いていた前任校の理事長がよく口にしていた。確かに間違っていない。間違ってはいないのだが、当時その言葉を聞くたびに、同じような違和感を抱いた。そして、自分の仕事の遣り甲斐がどこにあるのか、疑問を感じるようになった。

 前任校を退任して、のぞみ寮の仕事に出会った。教育がビジネスならばのぞみ寮の存在は問われることになる。ここで働いてから、前任校の理事長の言葉との葛藤で見出した答えである。

 教育は、何よりも人を教え育てることだ。だから、多くの保護者がのぞみ寮に大事な子供を託してくださる。

 いろんな形での保護者とのやり取りの中で、子供の変化と成長に驚き、感謝をされることがある。同時に保護者の期待通りの成長をなされていないと、率直な意見を聞くことがある。私たちは、どちらにしっかり耳を傾けるべきであろうか。間違いなく後者である。その言葉にこそ私たちがなすべきことがある。

 「先生たちはプロなんだから。子供をもっと……。」

 先日ある保護者からお願いされたことである。その言葉の期待に私たちは、教育のプロとして、答えなければならない。

 ここを巣立つ時に、同じ思いをさせてしまったら、同じくのぞみ寮の存在は問われることになる。そのためにも、私たちは目の前の子供たちから学ばなければならない。一つ一つの出来事に誠実に向き合い、謙虚さを忘れず、子供たちと真剣に向き合っていきたい。それが預けてくださった方々の期待に応える一歩になると私は信じる。