のぞみ寮通信

のぞみ通信

2019/10/04

のぞみ通信 2019年9月23日 第248号

「 病を与えられて 」
寮長  東 晴也
「最大の不幸のなかに、幸せが生まれる最高のチャンスがある。」      エウリピデス
 昨年のNHK朝の連続テレビ小説『半分、青い。』の脚本家 北川悦吏子さんが、インタビューでこう語っています。「この企画が浮かんだのは、4年ほど前でした。当時、すでに自分の左耳が聞こえなくなっていて、これは主人公の鈴愛のセリフにもあるのですが、傘を差したら雨の音が半分しか聞こえないことに気づいて……。『半分、青い。』は私自身が、片耳が聞こえなく、そこから生まれた物語なわけです。」このドラマの主人公、楡野鈴愛もまた、小学生の時に、病気が原因で左耳の聴力を失います。
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差し入れの枝豆をのぞみ寮生で美味しく頂きました!

 私はこの朝ドラを全くの他人事として観ていましたが、今ようやく自分のこととして共感することが出来るようになりました。私は先月の始業日に突然、右耳が全く聞こえなくなってしまいました。
 翌日、病院に行きましたら、医師からこう宣告されました。「突発性難聴です。すぐ治療始めましょう。ただ治る確率は20~30%です」と。
 私が今日、私の病気のことを話す理由は一つです。今の私は、雑音が沢山ある所、チャペルや廊下等で、私の聞こえない右側から声をかけられても反応できません。せっかく皆さんが声をかけて下さっても、私が無視しているかのように感じるかもしれませんが、そうではなく聞こえてないんだ、と分かってほしいんです。だから、「東に無視された」とガッカリしたり怒ったりしないでほしい。今、治療中なので、30%の治癒率めざして頑張っていこうと思います。皆さん、ぜひお祈りして下さい。
 さて、この作品の『半分、青い。』には、主人公、楡野鈴愛以外に、脚本家の北川さんの分身のような人物が登場します。カリスマ少女マンガ家の秋風羽織です。彼も自分の病に向き合いながら、生きる姿が描かれています。秋風は、熱く語ります。
 「またこれから癌が再発する可能性が十分ある。私は正直怖い。しかし、生きる!私は、病や死の恐怖を忘れ去ることはできない。しかし、それを思い出さないでいることはできる。何によってか!それは漫画を描くということによって!私は思うんです。人間にとって、創作とは神の恵みではないかと!」
 「鈴愛、恋をしろ!リアルを拾うんだ。心を動かされることから逃げるな。そこには真実がある。その人がどれだけ痛みと向き合ったか。憎しみと向き合ったか。喜びを喜びとして受け止めたか」と。
 聖書には「耳のある者は聞け」とあるのに、なぜ神様は、私から聞く力を奪おうとなさるのでしょうか?それでも、もし治らないとするなら、この事実を本当に受け入れて、自らの現実と痛みから逃げずに味わい、私ならではの新しい物語を、創作を紡いでいけるようになりたいと心から願っています。(9月5日全校礼拝より)
 
 
 

 < 寮生リレー 「 ヒロシマ碑巡りの旅に参加して 」>

「 平和であること 」 M.K(めぐみ館3年 千葉県浦安市)
 ヒロシマ碑巡りの旅で感じたことは、当たり前かもしれませんが「戦争なんか無くなってしまえばいいのに!」という強い思いです。
 皆さんが知っている以上に、戦争は無くならなければいけないものです。平和である日本は今、あの恐ろしい戦争を忘れかけていると強く感じています。皆さんは原爆のことを恐れていると思いますが、原爆だけを恐れていてもあまり意味がありません。学校でも「戦争=原爆」になっているのではないでしょうか。
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全体礼拝 お祈りの姿勢に感動します!

 平和である日本も今では少しずつ変わってきています。みんなが正しい知識を持たないと、また戦争をしてしまう国になってしまうと私は思います。一人ひとりが戦争とは何か、戦争の本当に恐ろしいところを理解し、知識を持ち、子どもに伝え続けていかなければならないと私は考えています。
 「幸せを作るのも、壊すのも人間です」という語り部さんの言葉が、心に深く深く突き刺さりました。「戦争は、二度と繰り返してはいけません。」
 この言葉を心に刻み、もっと政治にも関心を持ちながら、「選挙に行かなくては……」と思います。平和を願う一人ひとりの一票が世界を救えると思います。ヒロシマ碑巡りの旅に参加させていただいて、「平和」に対してもっと関心を持って生活しようと改めて考えています。
 
 
 
 
「 実際に知ることの 大切さと必要性 」 E.M (みぎわ館3年 新潟県燕市) 
  私は、今年の夏休みにヒロシマ碑巡りの旅に行ってきました。私は英語特講の授業を受けているので、出発前は授業で写真を見たり、事前に調べたりしたことと同じものを見に行くような気持ちでした。しかし、実際に被爆した建物を目の前で見ると、写真ではわからないような焦げた跡や影の跡が付いていて、「本当に原爆で被害を受けて崩れてしまったんだ。ただ壊れた建物というだけではないんだ」と実感しました。また、被爆者の方の証言も聴くことが出来ました。その時に受けた被害のことだけではなく、被爆する前の原爆ドーム近くの川は底が透けて見えるほどとても綺麗で魚がいて、近くの子どもたちの遊び場だったけど、それが一瞬で死体が溢れる川になってしまい、今もその光景が忘れられないという話を聴くことが出来ました。被爆する前と大きく変わってしまったことを本当につらそうに話されていました。私は「昔の話をしているだけ、原爆の被害の資料として残るということだけでは全くないんだ。戦争がどれだけ悲惨でどれだけつらく苦しかったのか。だからこそ、自分の体験を伝えて戦争を繰り返さないでほしいという強い気持ちがあるんだ」と強く感じ、涙が出ました。
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2年生合宿 ベランダ掃除

 私は今回参加して「戦争をしていない時代で原爆の事実を学べるのは、本当に恵まれていて幸せなんだなぁ」と実感しました。被爆者の方で「被爆のことを思い出すのは本当につらく、被爆証言をすることをずっと断っていた。でも、若い世代や子どもが戦争のことをよく知らないということを知り、ショックを受けて証言を始めよう」と思うようになった方がいらっしゃいました。私は表現や伝えることが苦手で、今回のことを多くの人へ伝えていくのは難しいです。でも、知識が広まっておらず差別をされて本当に悲しかったという話があるように「直接多くの人へ広めることは難しくても、一人ひとりが関心を持って知識を増やすことが一番大事なのではないかなぁ。私もそうしていきたい」と強く感じました。
 私は、授業を通して「原爆のことも戦争のことも知っている」と思っていました。でも、この旅で本当のことを私は何も知らなかったことを知り、実際に知ることの大切さと必要性を学びました。平和に生きるためには、本当のことを知ることから始まるのだと思います。私はその一歩を踏み出せたのだと思っています。この旅に参加させてくれた両親や関わった多くの方々に心から感謝します。
 
 
 
 
 
< 寮生リレー 「 アメリカ海外教室に参加して 」>

「 両親の大切さと有り難さ 」 F.H(光風館2年 愛知県名古屋市)
 突然ですが、みなさんは自分の両親のことをどう思っていますか?とても好きで大切に思っている人もいれば、嫌いで「いちいちうるさい。めんどくさい」と感じている人もいることでしょう。
 僕は、今は両親にとても感謝していますし、大切に想っています。「今は」と言いましたが、小学校高学年から中学生くらいまでは反抗期でした。両親の有り難さにあまり気付いておらず「いちいちうるさいなぁ!余計なお世話!だるい!」などと、そんな風に思っていました。時には、母とモメて大喧嘩して家の壁に穴を開けてしまったこともありました。
 なぜ、両親を大切に想うようになり、両親の有り難さに気付けたかというと、この学校の学費や寮費、自分が必要でほしいものの費用を払ってもらっているなど、経済面のことを探せば、たくさんあります。ですが、一番は両親がいないところで寮生活していること、少しの間だけど自分の両親に代わって他人の親に面倒を見てもらったということがあったからです。他人の親に面倒を見てもらったというのは、僕が今回の夏休み中に行った海外教室のホームステイ先で全く知らないアメリカ人の家庭で生活をし、その両親に面倒を見てもらったということです。
 海外教室で僕の家族は、四人家族でした。父・母・兄二人です。ホストブラザーとホストファザーはとても良い人で優しかったのですが、ホストマザーとはどうも気が合わずにとても気を遣い、会話するのに苦労しました。会話のすべてが英語で毎日が忙しかったのに、自分のホストマザーと話しにくいのは、僕にとってとても苦痛でストレスも溜まりました。
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夏休み明け 開寮礼拝

 そこで感じたことが自分の親の大切さと有り難さです。自分の親は心配性でたまに口うるさく言う時がありますが、自分のことを心配して優しさで言ってくれています。考えてみると、自分の親はとても話しやすいですし、会話するのに全く気を遣いません。そこで改めて自分の親の良さに気付きました。思い返してみると、今まで生きてこれたのも、学校に行けたのも、食事を不自由なく食べてこれたのも、すべてここまで育ててくれた両親のおかげです。なので、僕は今、自分の両親に感謝しています。
 みなさんも両親と喧嘩したりイライラしたりすることがあっても悪口や暴言を吐いてばかりではなく、今までの自分の生活を振り返ってみてください。少しは今までより両親への態度や見方が変わってきたり、有り難さに気付いたりするかもしれません。(光風館礼拝お話より)
 
 
 
 
< 寮生リレー 「 オープンスクール労作を経験して 」>

「 オープンスクール労作から得たもの 」 K.S(大望館1年 神奈川県横浜市)
 今回、僕はオープンスクール労作で学校案内を担当しました。オープンスクール前日、打ち合わせに行き、それぞれの担当の仕事が書かれた紙をもらいました。その紙の学校案内のところに自分の名前がありました。その時、自分の心の中では「マジかよ……」という思いと「緊張するなぁ」という二つの思いがありました。
 オープンスクール当日。自分が案内した人数は、保護者を含めて3人だけでした。他の人より少数ではあり
ましたが、とても緊張しました。初めてオープンスクール労作をしたので、保護者の方から質問をされてもすぐに回答することが出来ませんでした。案内の途中で場所の説明をしている時も、やはり緊張ですぐに言葉が出てこなかったり、噛んだりしてしまいました。その度に心の中で「やべ~!やらかした!」という思いがありました。
 しかし、そこから得たものもあります。自分は今まで人前で話をすることが苦手でした。でも、今回このオープンスクール労作を経験したことで、人前に出て話すことに自信がつきました。また、秋のオープンスクール労作もやってみたいと思います。
 
 
 
「 オープンスクールの 裏舞台にて 」 W.R(みぎわ館1年 新潟県阿賀町)
 友愛館の玄関から溢れるほどたくさんの中学生と保護者・ご家族。その様子を見て嬉しくなりました。去年、私もこのオープンスクールに参加していたことを思い出しました。私が敬和に来たいと思ったのは、この日に敬和に来たからでした。「去年、私にここに来ようと思わせてもらったように、私も今日来てくれた中学生たちに敬和の魅力を精一杯伝えたい」と思いました。
 体験授業や寮案内をすることになり、その案内板を持ちながら「よし!」と気合を入れていました。体験授業に中学生たちを案内しました。案内した先は国語の授業でした。私もこの授業をみんなと一緒に受けて、去年緊張していた事を思い出していました。今年はちょっと余裕を持って体験授業を受けている私がいて、「短い時間の中で正しい情報を伝えるにはどうすればいいか?」という授業内容だったので、「この後の案内に活かせるかも!」と気合いを入れて聞きました。
 学校見学・寮見学での案内は、前日から予習してシミュレーションをしていました。より詳しく・より分かりやすく伝えるように努めました。案内をし終わった時、先生から「説明よかったよ!完璧!」と言われたので、「よし!」と内心ガッツポーズをしていました。
 去年、私たちを案内してくれた先輩たちも私と同じ想いだったのでしょうか。去年、私が感じた敬和やのぞみ寮の魅力を私も中学生たちに伝えることが出来ていれば嬉しいです。そして、来年このオープンスクールで敬和に来ようと思ってくれた中学生たちが、その次の敬和を考える中学生たちに魅力や楽しさを伝えたいと思ってくれるといいなぁと思います。
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オープンスクール労作 頑張ってくれました!

 
 
 
◇ 各館礼拝のお話◇

「 これもいつかは過ぎていく 」 N.M(大望館2年 茨城県つくば市)
 「ガム・ゼ・ヤ・ヴォール」  みなさんはこの言葉を知っていますか?この言葉は、最近私が読んでいる本に出てきた言葉です。この本は、4歳でアウシュヴィッツ強制収容所から生還したひとりの男の子がおじいさんになってから、記者をしている娘と共に当時のことを調べ、出来る限り事実に沿って書いた本です。紹介したこの言葉は、ユダヤ教の言い伝えのようなもので、「これもいつかは過ぎていく」という意味です。
 どんなにつらいことがあっても、いつかは過ぎた過去になります。生きていれば悩み苦しみ眠れない夜もあると思います。しかし、必ず朝が来るように、どんな物事でもいつかは終わりが来て過去の出来事になります。
  私は昔から血や刃物がとても苦手で、広島・長崎の原爆の授業などで吐き気を覚えることも多くありました。また、小学校の学級文庫に置かれていて、自分には開くことが出来なかったアウシュヴィッツの資料写真集を見て、笑っている友達に強い違和感を感じたこともありました。しかし、自分の中で「どこかで知らなくてはいけない。学ばなくてはいけない」という使命感がずっとありました。
 そして、18歳になって、今まで避けてきたアウシュヴィッツについて書かれた本をようやく図書室で手に取ったのです。そこには、ナチスによるユダヤ人大量虐殺の中で勇敢に生きる人々の姿がありました。彼らの言葉や行動、命を懸けた決断のひとつひとつがとても勇敢で賢く、自分の弱さを痛感しました。
  私は「だから、その人たちと比べて、今が幸せなんだ。それに比べれば、大したことはない」と言いたいわけではありません。どんな時代、どんな世界でもつらいことはあると思います。しかし、どんな状況でも前を向くことで迫ってくる現実を受け止め、乗り越えていくことが出来る。また、小さな幸せに気付くことで、生きる喜びを感じられると、この本を通して学びました。
 今、違う時代、違う国に住む私たちにも、生きる希望の光になるような気がします。
 最後に、もう一度この言葉をみなさんに送ります。「ガム・ゼ・ヤ・ヴォール」これもいつかは過ぎていく(大望館礼拝お話より)
 
 
 
 
教師からの一言  男子寮担任 片岡 自由 
 仲間と共に食卓を囲み、温かい食事を頂くこと、これは寮生活の醍醐味のひとつであり、寮教育が大切にしていることのひとつでもあります。
 夏休み明け、ひとりの男子寮生が食後に私の横に座り、こんな相談をしてきました。
「なぜ、自分はこうなんだろうか?」
 彼からそんな言葉を聞いて、少し驚きました。夏休み前の彼は「あいつはダメだ」と他者を批判することが多かったように感じたからでした。しかし、この彼の言葉の中にも寮生活の醍醐味が隠されていると考えます。
 集団生活だからこそ、他者のことが気になり、不満を抱くこともあります。しかし、集団の中だからこそ「なぜ、自分はこうなんだろうか?」と悩むのです。その悩みこそが成長するきっかけになるのです。そこから「共に生きるとは?」を考えていく。これこそ寮教育の使命だと考えています。彼のように悩みながら成長する姿に励まされて、私たちも生徒と共に歩んでいきたいと願っています。