毎日の礼拝

毎日のお話

2019/08/26

中塚 詠子(校長)

マタイによる福音書 6章25~26節  私は約1年前、飼っていた16才の猫を失った。私が大きな病気をした時に寄り添ってくれ、自分が見守っていたつもりが見守られていた事を知った。たかが猫とはいえ、大きな喪失感だった。生きている事の問いが、次々浮かんできた。この世からいなくなったら、それに連なっている人達がどう感じるか考えると、一人一人の存在の大きさがわかる。生きている事の途方もない意味、価値に気づいてほしい。後期が始まった。キリストに建たされた学校、そこから出発してほしい。