自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2019/02/18
先日はバレンタインデーでした。
街のあちこちでチョコレートが売られていました。
日本のバレンタインデーは「義理チョコ」「友チョコ」「自分チョコ」などの文化を生んできましたが、今年は「サポチョコ」が新聞やSNSで紹介されました。
サポチョコとはサポート(支援)するチョコレートのことです。
チョコレートの売り上げの一部でカカオの国の子どもたちを支援する活動です。
カカオ豆の多くは西アフリカや南米など赤道付近の発展途上国で生産されています。
農家の大半は貧困に苦しみ、児童労働や後継者不足、病害など多くの問題を抱えています。
一方、日本のチョコレート消費量は世界有数であるだけでなくますます増加の一途をたどっています。
近年は新興国でも消費が増しているのに、カカオ豆の取引価格は低水準のままでカカオ生産農家は貧困から抜け出せずにいます。
カカオ農園で働く人たちのほとんどはチョコレートを見たことも食べたこともありません。
カカオ豆生産に携わる子どもはガーナ共和国だけで92万人いるとされています。
児童労働の問題解決を目標とする国際NGO ACE(エース)は子どもを働かせている農家を説得して意識改革を促したり、学用品を支給したりして、2009年以降500人を超える子どもたちを労働から解放し、学校に通わせました。
そうした児童労働のない農園で作られたカカオ豆の積極利用に大手菓子メーカーなどが賛同して売り上げの一部をNGOへの寄付に充てたり、健全な職場環境を提供したり、教育援助へ結びつけているのです。
さらに途上国の女の子たちは貧しさの中にありながら「女の子だから」という理由で、社会の底辺に置かれ、学校へ行くことが難しかったり、適切な医療を受けられなかったり、十分な食事を与えられないなど普通の生活を送ることが困難な状況にあります。
また、様々な機会を制限され、暴力や性的嫌がらせを受けやすく、早すぎる結婚や出産で、未来を奪われています。
サポチョコは「女の子だから」というだけの理由で差別や偏見を受け、有害な慣習の犠牲になる女の子たちを守る取り組みを進めているNGOとも連携しています。
女の子たちが力をつけ、自分や家族はもちろん、地域社会や次世代にまでポジティブな変化をもたらす主人公となるためのサポートをするのです。
差別され、困難に直面しがちな女の子たちですが、教育を受ける機会を得られると、女の子自身はもちろんのこと、将来に生む子どもや地域にも良い効果が波及します。
プラン・インターナショナルというNGOによると女子が1年長く初等教育を受けるとその子が将来得る収入が11%増加し、すべての女性が中等教育を修了すれば5歳未満児の死亡率は49%減り1年でおよそ300万人の命を救え、女性が男性同様に農作業の意志決定に参加できれば収穫高は7.3%向上するのだそうです。
サポチョコの取り組みや売り上げが誰かの幸せになっていくのだとすれば参加する人の心も幸せになるというものです。
コリントの信徒への手紙二9章では、コリント教会の人々による募金活動について書かれています。
この献金は、自分の持っているものを惜しみ抱え込むのではなく、各自が決めたとおりになされることが期待されています。
その出発点には、神様がまずわたしたちを豊かに祝してくださり、私たちの生活はすでに恵みに満ちている、という大きな前提がありました。
神の豊かな恵みの中に自分が生かされているということを心から信じ、本当にその通りであると思うとき、人は喜んで献げることができるように変えられていきます。
キリスト教会では、もちろん、人の行為や献金に対する感謝の気持ちを軽んじるわけではありません。
しかし、その背後ですべてを整えてくださっている神に対する感謝の思いがいつも前面に出てきます。
誰か人間に対する恩義を感じて何かの行動に出ることも大切ですが、その上に神に対する感謝の思いから何かをする、というのが今日の聖書箇所で示されたコリントの教会すなわち聖書の神を信じる人たちの行動の動機です。
敬和学園では毎週木曜日を献金日としています。
教会では礼拝ごとに献金を献げます。
サポチョコのような企画や募金もたくさんあります。
たくさんあるということは私たちに与えられている恵みを確かめる場面もたくさんあるということです。
そして、神様に感謝する機会もたくさん与えられているということです。
恵みと感謝に満ちた学園生活へと私たちは招かれているのです。
招きに応えて歩みましょう。