毎日の礼拝

毎日のお話

2018/11/16

湯田 京生(美術)

マタイによる福音書 26章49~50節  些細な事で、友人と喧嘩をした。自分は悪くないと主張し、エスカレートした。最後は惨めになって喧嘩を終わらせたが、互いの心に傷は残った。今日の聖書は、ユダの裏切りの場面だ。イエスはユダの裏切りをわかっていたが、止めなかった。ユダは、自分が間違った事をしていると気付いていたはずだ。私が喧嘩した時のように、人は間違いに気付きながら、愚かにも人や自分を傷つけ後悔する事がある。何かをしようとする時、立ち止まり、自分のしようとしている事が間違っていないかと、心に問いかける事ができる大人でありたい。