毎日の礼拝

毎日のお話

2018/11/08

山口 和憲(聖書科)

マタイによる福音書 23章25~26節  教会の牧師の時、町内会の仕事に自分の価値観にはいれないものがあった。「皆がやっている」と言われ、一人だけ違う事はできないと思わされる「みんな教」ではないかと思った。しかし、期待通りではないと、他人に変わる事を求め、心の中では人を裁いている自分こそが「みんな教」の教祖だと思わせられた。信じている宗教が違ったり、年齢や性別、価値観が違ったりすると、対話をしない事がある。しかし、対話をする事は、外側を調べてきれいにする事ではない。他者との出会いの中で、私こそが出会いを通して変わる事を恐れていないか、という自らへの問いが必要だ。