月刊敬和新聞

2018年9月号より「弱く萎えたところから」

校長 中塚 詠子

自分にがっかりする
 フリーアナウンサーの女性が話題になりました。20代後半から白髪を染めていたそうですが、その白髪染めをせずにグレイヘアでお昼の情報番組に出演したところ新聞やネットで取り上げられるようになったのです。アナウンサーという人前に出る仕事ですから反応は大きくなったのだと思います。
 この方が白髪染めをやめようと思ったのは東日本大震災がきっかけでした。防災グッズを用意していたときに無意識に白髪染めもストックしていて「世の中が大変なときに私は何をしているんだろう」「人として空っぽだなあ」と自分にがっかりしたのだそうです。これを機に若さが美しいという考えから自分を解放したいと思うようになったのです。

目立つことは悪いこと?
 来年度入試のための様々な準備が進んでいます。敬和学園でも主に中学三年生の保護者の方からの相談やお話を受ける機会が増えています。
 先日受験を考えていらっしゃる保護者の方がお子様のことを「自分の見た目に強いコンプレックスを持っている」「本人は自分に自信がないようだ」と話してくださいました。肌の色が他の子と少し違い、体が大きいことで目立つのだというのです。その場にいた敬和学園の先生たちは「敬和に来たらそんなことは問題になりませんよ」「外国にルーツを持つ生徒は大勢いますよ」「母語が日本語でない生徒もいますよ」と説明しました。
 実際その通りです。そしてそれらの生徒が目立って特別扱いされているかといえばそうではありません。いたってあたりまえの存在として毎日を過ごしています。

思い込みから解放される
 他の人と同じにしておこうとか、目立たず無難な選択をしたことはないでしょうか。たとえばメニューを選べずに他の人と同じものを注文して安心したり、あまり乗り気でないのに友だちと同じ部に入ったり、みんなが持っているからという理由で同じ様な物を買ってみたりということです。そうすることで安心していませんか。「白髪は染めるものだ」「学校ではみんなと同じに」。世の中の多くの人はそう考えるかもしれません。それは思い込みによるものです。きっとみんなはそう考えている、そのように行動するのが普通であるという漠然とした思い込みについつい私たちは振り回されてしまいます。
 しかし敬和学園ではそう考えません。思い込みを疑ってみようと勧められます。世の中がどう思うのかではなく、自分がどう考えるかが問われます。自分が何を大切にするかが求められます。女性アナウンサーが大切にしたかったことは「自然体」でいたいということでした。敬和学園の言葉に直せば「その人がその人らしく」いるということでしょう。
 前述の子どものことを心配している保護者の方に伝えたかったのは「そのままで入学してください」「その人らしく成長していけます」ということです。思い込みから開放されて自由でいてほしいと思います。しかし、同時に自由は主体的であることを求めます。常に自分と向き合うことが求められるのです。

自分らしく
 老いや衰えは悪いことマイナスのことだと多くの人は思い込んでいます。他の人と違うことが自信のなさにつながってしまったという体験をした人も多くいるでしょう。しかし、自分と向き合う中でそうではないという気づきが与えられることも確かにあるのです。ダメだなあ、何やっているんだろう、人としてどうなのよ、と自分を問う時に意外なことに気づかされるのです。敬和学園での礼拝の時間は神様と自分にしっかり向き合いましょうと勧められます。しっかりと向き合うことでその人の課題や目標に進む力が沸いてきます。
 心が萎えたところから手足が弱くなったところから衰えたと思えるところから出発し、自分らしくあることを自立といいます。自分らしく落ち込み自分らしくしぼみ自分らしく嘆けば良いのです。思い込みから解放されて自分らしく敬和学園での生活を送ってください。疲れたとへたり込んでもいいのです。へたり込んだあなたが神様に招かれているのです。