自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2018/01/19
<図書委員会×給食委員会 コラボメニュー>
俺が敬和に勤め始めたのは1990年。
その年は、敬和の創立時代からの先生が多数辞めた。
敬和学園を創設した、太田先生、ジョン・モス先生が校長を退き、北海道から榎本栄次牧師が着任した。
今から思うと、敬和が新しく生まれ変わった年でもあった。
会社員から転職したばかりの俺だが、その年の新入生、23回生の担任をやることになった。
学年主任は、はつみ先生。敬和学園を太田先生と一緒に創設したジョン・モス先生の奥様である。
同僚には、長年のポン友となる土屋先生がいた。
その他に、柏原先生、西村先生がいたが、柏原先生は教師二年目の初担任。西村先生も、寮務教師からの移動で、初めての担任だし、はつみせんせいは、十四回生を担任して以来、ずっと進路指導畑を歩んでいたから、久々の担任で、しかも還暦が目前だった。
何と、現役の担任経験者は土屋先生ただ一人だった。
初めての学年会で担任団が一同に会した時、俺は開口一番、
「ところで、担任って、何をするんですか?」と質問した。
「何をするって…」土屋先生は呆れて絶句したが、実はこの言葉は全員の気持ちを代弁したものだった。
それで、学年団で「担任とは何か」について勉強することになった。
野田俊作の「クラスはよみがえる」という本を皆で読んだ。簡単に言えば、クラスは担任が上から指導するのではなく、生徒の自主性を育てるようにしなければいかん、という内容だった。
当時はそういう生徒中心の考え方は珍しかったんだが、サラリーマン出身の俺には馴染みやすかった。
まさに、一夜漬け、泥縄もいいところだ。
そんなことは露知らぬ、十五歳の23回生が入学してきた。
初めてのショート・ホーム・ルーム。俺はクラスの前に立った。
一日の終わりに何か言わなきゃならんが、先生らしい言葉なんか思いつくわけがない。
「えーっと、今日は一日ご苦労様でした。明日も、敬和学園高校は、みなさんのお越しをお待ちしております。」
俺はこう言うと、深々と頭を下げた。
(T.H)