月刊敬和新聞

2015年12月号より「朋(友)遠方より来る イエス遠方より来る また楽しからずや」

小西二巳夫(校長)

高校の同級生遠方より来る
 6月中旬の日曜日の午後に電話がありました。中学・高校の同級生で名古屋に住むAからです。要件はおおむね「今、京都にいる。四人で集まっている。話の流れから今度新潟にいるコニシのところに行こうということになった。カニのおいしい頃に行きたい。いいか……。」でした。Aとは5年近く会っていません。他の三人とは高校卒業後30年目の同窓会以来ですから15年会っていません。その後何度かやり取りを行い、10月の週末に集まることになりました。最初は新潟市の近郊に泊まる予定にしていたのですが、神戸を朝8時に出てそれぞれの住む大阪、京都、名古屋を経由すると、新潟につくのが夜6時を回ります。そこで急遽、妙高の赤倉温泉に変更しました。人間とは不思議なものです。お互いにいい歳のおじさんであるにもかかわらず、会った瞬間からすべてが高校の時に戻ります。夜遅くまで話し込んで迎えた翌朝、「今回はコニシに会うのが目的やった。来年は金沢や」の言葉と共に彼らはどこにも寄らず帰っていきました。片道700㎞、8時間をかけて、ただ私に会うためだけにやって来てくれたのです。孔子の「朋あり遠方より来る 亦楽しからず」そのままの時間が与えられたのです。

 ぜひ来てくださいより、ぜひ伺います
 その夜ふっと母の言葉を思い出しました。「人間大事なことは、今度ぜひ来てくださいというのではなく、今度ぜひ伺います。ということよ」。母はまさにそういう生き方に徹した人でした。早速ごぶさた気味であった大学の同窓生Bに電話をしました。彼とはフランス語研究会で一緒でした。出張で関西に行く時には連絡をして一年に一度は会っていたのですが、ここしばらく忙しさを理由に連絡を取っていなかったのです。当日三人が集まってくれました。そこで思いました。「おじさんたちはがんばっているのだなあ」。工業関係の専門的なフランス語翻訳をしている二年下の後輩にはグローバルさを感じ、さびれつつある地元を盛り上げようと、商店街で月に一回のあちこちのアマチュアバンドを呼んでコンサートを開き、年に一回はフォークジャンボリーを開いている同級生の話にこちらがわくわくしてきました。

 孔子 子(し)曰(のたまわ)く 
 孔子の論語の冒頭にあるのが
  「子(し)曰(のたまわ)く
   亦(また)説(よろこ)ばしからずや。
   朋(とも)あり遠方より来(きた)る、亦楽しからずや。
   人知らず、而(しかう)して慍(いか)らず、亦君子ならずや」 です。
 まだ知らないことを学んで、ときどきそれを思い返し復習すると、今まで分からなかったことが理解できるようになります。それによって生きる力が取り戻せることがあります。友人が遠くからはるばる訪ねてくれるのは、この上もなくうれしいものです。それによって自然といきいきさが甦ってきます。今、人が自分のことをわかってくれなくても、それだけがすべてではありません。かつて共に時間を過ごした朋(友)は理屈抜きで受け入れてくれるのです。

 イエスあり遠方より来る 亦楽しからずや
 イエス様の誕生を祝うクリスマスの時が今年もやってきました。クリスマスまでの四週間をアドベントといいます。日本語で待降節と訳されるように「待つ」ことが求められる時間です。待っている間に考えるべきことは何かを考えることが求められているのです。聖書にはイエス様は貧しい夫妻の子どもとして、旅の途中で家畜小屋の飼い葉おけの中で生まれたと記されています。そして自らも言われています。「…あなたがたはわたしの友である。…わたしはあなた方を友と呼ぶ」。孔子の言葉のように、イエス様は私たちの友として、特に救いを必要としている人のところに、悲しみと痛みの中にある人のところに、友となるために毎年遠くからやって来てくださるのです。それが神の子キリストの人へのかかわり方、救い方だと示されているのです。そこからイエス様が私たちに求められていることが何かが明らかになります。それは今、友を必要としている人たちが周囲にいること、そしてこの世界にいることに気づくことです。気づいたならできることはいくつもあります。心を寄り添わせる方法もいくつもあります。それに気づき自らのことにするために、今年もクリスマス献金をささげることから始めたいと思います。