月刊敬和新聞

2015年1月号より「敬和学園は『クリスマスプレゼント』と『お年玉』をいただきました。」

小西二巳夫(校長)

小5のクリスマスプレゼント
 「なんであんたは素直にあやまれへんの。お母ちゃんはあんたをそんな子に産んだ覚えはない」と母からきつく叱られました。学校であった嫌なことに気持ちの整理がつかず、それをたまたま傍にいた八歳下の弟にぶつけるように手を挙げたのです。母は当然私に謝るように言いました。しかし私は謝るどころかあれこれ言い訳をしたのです。その私に対する一言が冒頭の言葉です。小学校5年生の12月、クリスマス前のことでした。今なら母親の悲しみがわかりますが、私がその時「しまった」と思ったのは、これでクリスマスプレゼントは「おじゃんになる」かも知れないということでした。どこまでも情けない子どもでした。ところが25日の朝、私の枕元にはクリスマスプレゼントの電池で動くロケットが置かれていました。それを前に私は母と弟に心から謝りたいと思いました。

卒業生A君の今は敬和学園へのクリスマスプレゼントです。
 12月25日の夕刻、3月に卒業した44回生A君のお母さんが学校に来られました。A君は4年かけて敬和学園を卒業しました。2月末の卒業礼拝には間に合わず、卒業に向けてのすべてが整ったのは3月末のことでした。その後の進路も決めかねていたのですが、6月のフェスティバルを見た後、「一人旅に出る。雪が降る前には帰ってくる」と自転車で出発したそうです。8月に一度お盆で帰省するまでの50日間は敬和学園の同級生宅に泊めてもらいながら新潟から埼玉、大阪と走り、8月下旬からの後半は京都で知り合った学生と一緒に福岡まで走り、そして九州を走り抜けて沖縄に渡ったとのことです。沖縄では住み込みのアルバイトを探したが見つからず、あきらめて鹿児島に戻ろうとしたのですが、朝寝坊をしてフェリーに乗り遅れ、そこでダメ元で泊めてもらった宿の人に住み込みのアルバイトを頼んだらOKをもらって今も働いているとのことでした。A君は今、進路を自ら切り拓いていっているのです。A君はお母さんに言ったそうです。「敬和に行かなければ、この旅には出かけなかった」。たくましく生きるA君の今は敬和学園の教育へのクリスマスプレゼントです。

選択聖書Bさんの「あとがき」は敬和学園へのお年玉です
 私が受け持つ選択聖書のクラスでは夏休みに「自分史」を書き、9月からの後期の授業でそれを発表します。さらに冬休みに自分史に対するクラス全員のレポートを読み、「あとがき」を書きます。「あとがき」から敬和学園の教育を垣間見ることができます。Bさんはあとがきに次のように書きました。「…自分史では敬和のことをあまり書かなかったので少し書こうと思います。私は敬和に入ってまったく意見の異なる友人に出会いました。彼女とは本当に意見が合わず、入学当初は衝突ばかりしていました。私はちゃんと話して理解しあうことはできないと思い、軽く付き合うようになりました。中学でそうだった自分が嫌で敬和に入ったのにです。ですが、彼女は関係をあきらめず何度も話しかけてくれました。そのうち私は本当に変わりたいと思うようになり、彼女との対話を始めました。何度も衝突し泣きながら話し合ったこともあります。その中で、私は考え方や価値観が異なっても、お互いが知ろうと対話を続ければ、どちらかの考え方に染まるということではなく、共に生きられることを知りました。この学びは私にとってとても大切な学びでした。大学でもどのようにしたら考え方や価値観の異なる人と共に生きることができるのかについて学びたいと考えています。…」。1月最初の授業に提出された「あとがき」はまさに敬和学園へのお年玉でした。

心のこもったプレゼントには心を込めて「お返し」を
 A君とBさんの生きる姿と言葉は敬和学園への神様からのクリスマスプレゼントであり「お年玉」です。心のこもったプレゼントには心を込めて「お返し」をしなければなりません。敬和学園は何をお返しすればいいのでしょうか。そこで気づかされるのは敬和学園の教育がすべてうまくいっているはずはないことです。もしそう思ったなら、それは驕りです。感謝と喜びと一緒に悲しみや痛みを作り出していないはずはないのです。ですからクリスマスプレゼントとお年玉を前に、敬和学園は自らが持つ弱さや至らなさを見つめ直す姿勢を強く持つことが求められているのです。できたことを誇るのではなく、できなかったことを言い訳するのでもなく、素直にごめんなさいと謝る姿勢を忘れることなく教育に当たることが、なおゆるして下さる神様へのせめてものお返しです。2015年を神様の前に身を低くして生きることから始めたいと思います。