月刊敬和新聞

2015年6月号より 「敬和生にとって食べることはイエス・キリストにつながること、神の愛をいっぱいに受けること」

小西二巳夫(校長)

杉下右京と北白川右京は同一人物?
 テレビの刑事ドラマ「相棒」の主人公は水谷豊演じる杉下右京です。同じ右京でも北白川右京という人物が出てくる話に浅田次郎の「王妃の館」があります。しばらく前に映画になりました。物語は倒産しそうになった東京の旅行会社が詐欺まがいのツアーを計画したことから始まります。それはフランス・パリの誰もが憧れるホテル「シャトー・ド・ラ・レーヌ」、日本語にすると「王妃の館」に、豪華ツアーと安いツアーのお客を同じ部屋に泊めるという無謀なものでした。一方はパリ10日間で19万8千円です。もう一方は一人150万円から200万円という超豪華ツアーでした。このような超豪華ツアーに参加するなどふつうではありません。お客は一様にわけありの人たちでした。安いツアーのお客もそれぞれわけありの人たちでした。そんな話が旅行会社の計画通りに進むはずがありません。安いツアーの添乗員は気が弱く、すぐに事の真相を白状します。おもしろいのは、それを聞かされた安いツアーの客たちが怒るどころか、この添乗員に同情して、一緒になってうまくやろうとすることです。

宮廷料理長ムノンと素人料理人マイエのおいしさの秘密
 話はニアミスを繰り返す二つのツアーの様子と、彼らが泊っているホテル「王妃の館」が建てられた300年前のフランス王ルイ14世の時代の物語が同時に進行していきます。
 この小説の重要な役割を果たしているのが食事です。豪華ツアーの参加者にはルイ14世が食べた料理を再現したものが出されます。それは当時の宮廷料理長ムノンの料理でした。その食事を食べた瞬間、ツアー客は他のことはすべて忘れたように、ただただそのおいしさを味わいます。もう一つおいしい料理の話が出てきます。300年前の、「王妃の館」の近くでレストランをやっている男マイエの料理です。マイエは素人でしたが、彼の作る料理はおいしいと評判でした。宮廷料理長ムノンの豪華な料理と、兵隊だった素人のマイエが作る料理のおいしさの秘訣は実は同じでした。それらは愛する人が元気に生きてほしい、自分の料理によって生きる力を取り戻してほしい、と心の限りを尽くした料理であったのです。豪華ツアーのお客たちは、食べることによって、注がれた愛を味わったのです。彼らは料理のお相伴だけではなく、愛のお相伴にもあずかることができたのです。ですから満たされた気持ちになり生きる力を回復させました。

ヨハネによる福音書六章「わたしは命のパン」
 ヨハネによる福音書でイエスは自らを「命のパン」と表現しています。命のパンである私を食べる人は永遠に生きる、今という時をいきいき生き抜くことができると言われました。キリスト教は神が人を愛し救うために、わが子イエス・キリストを人間社会に送ったと考えています。ですから神様が作ったパンであるイエスを食べることで、つまりイエスを受け入れることで、自らの人生をいきいき生きることができるとしたら、それは当然起こるべきことが起こったことになります。人が生きる上で愛情の注がれた料理を食べることがいかに意味あることなのかに気づかされます。

敬和生は毎日「命のパン」を食べている
 敬和生は昼食を通生も寮生も友愛館で食べます。寮生はそれに加えて朝も夜も友愛館で食事をします。敬和学園の厨房設備は他の学校にはなかなかない立派なものです。友愛館のような大きくてゆったりとした食堂を持つ高校はまずありません。敬和学園のように管理栄養士さんをはじめとして調理をする人たちが専任の職員であるのは珍しいのです。敬和学園は学校ができた時から、こうした形で食事をとってきました。昼休みも50分以上とっています。その理由は愛情に満ちた食事をゆっくり味わうことによって、人間的にしっかり育ち、生きる力を持った人になると考えてきたからです。友愛館で出される食事は時代と共においしくなっていきます。しかし料理に注がれる愛情は今も昔も変らず溢れています。キリスト教の敬和学園にとって食べることは、命のパンをたべることであり、イエス・キリストにつながることです。つまり神様の愛をいっぱいに受けながら学校生活を送ることです。そこに敬和学園の他では持てないいきいきさの根拠があります。