自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2021/03/15
中華丼・春雨サラダ・ワカメスープ・牛乳・オレンジ
今朝、犬の散歩中、近くの公園の梅が咲いているのを見つけました。
私にとってこれは「もうすぐ春休みだ」というサインです。
みなさん、年度が切り換わりますよ。準備はよいですか?
私は敬和のランチを食べ始めて10年以上になりますが、現在の敬和のランチを毎日まもってくださっている管理栄養士の五十嵐さんをはじめ、給食の皆さんは「とても舌がよいなぁ」と常々思っています。調理に対するセンスや才能というものだと思います。
つまり、敬和のランチは味が良い、と思うのです
調理実習で「卵焼き」をつくったことがある2年生ならわかるだろうけれども、味というものはとてもデリケートです。同じ材料を使って、同じレシピで、極めてシンプルな料理を作っても、「加減」と「塩梅」で味はいくらでも変わります。
極端な話、ブロッコリーやホウレン草の加熱は、15秒の違いで食感が違うため、味がかわるのです。つまり、それはセンス。
混ぜ和えるときにスプーンを使うのと、手を使うのとでも味は違います。
敬和のサラダは、すでにドレッシングに和えてあるタイプですが、野菜はシャキシャキしていて美味しい。水っぽくならないのは、口に入る時間を考慮し、逆算してドレッシングを和えて調味しているからです。それぞれの素材の良さをもったまま、料理が口内調味で完成するようにつくられているのだろうと考えています。
つまり、「食べる私たちのことを考えて作られている」。これは当たり前のようですが、当たり前ではありません。工場で大量生産された安価な弁当のポテトサラダと、敬和のランチのポテトサラダ(ほんのり温かく、厚めのキュウリがシャキシャキ)を比べれば、、、いや、このふたつを比べる敬和生は一人もいないでしょうね。もはや全く別の食べ物だから。
敬和のランチは、味が良いだけでなく、食べ手に最善のタイミングで最善の食感で口に入るように作られています。
しかも、メニュー構成が素晴らしい。今日は中華丼と春雨サラダと杏仁豆腐。緑の物としては小松菜とワカメのスープ。中華の献立として完成しているのです。
もうひとつ重要な点があります。
どんなに味が良いものであっても、食事場所の環境や共にする相手で味覚は変わります。
敬和のランチホールは明るく、清潔で、広々として居心地がとてもよい。安心して食べられる環境であり、そして友がいます。独りで落ち着いて食べている日も、周りには穏やかな笑顔があふれています。
だから、本当に「美味しい」。これは本当です。
そんな美味しいランチを美味しいタイミングで美味しい環境の中で3年間食べている敬和生は、舌が肥えてしまうだろうなあ、と思います。
果たしてそれは幸せか、不幸せか。
なぜなら、舌は肥えてしまうと、元に戻れないからです。
「美味しくないもの」を見分けてしまい、満足できないようになる。18歳でそのような味覚を持つと、大変かもね。
きっと、卒業して気づくでしょう。
出来合いの総菜の味や弁当の味気無さ、メニュー構成に満足できない自分。
そして、いかに自分が友人の笑顔に囲まれ、思いやり溢れる温かく幸せな「美味しい」ランチを食べていたかという敬和生活の輝きに。
給食の皆さん。
今年度のランチは、明日で終わりです。今年度も、毎日、ご苦労様でした。
本当にありがとうございました。
来年度もまた桜の咲く頃から、どうぞよろしくお願いいたします。
引き続き、応援しています。
(M.I)