月刊敬和新聞

2021年2月号より「それぞれの鍛錬 ~51回生を送る会 礼拝説教より~」

校長 中塚 詠子

病の経験
 2014年11月に病気が見つかりました。手術の後6か月かけて四種類の抗がん剤を点滴しました。製薬会社からの薬ごとのパンフレットを渡されました。そのうちの一つには「便器が傷むことがありますので排尿の後は大で二回流してください。」と書かれていました。私の身体に何が入るのだ?とビビりました。ちなみにこの薬は液漏れすると壊死を起こすので医師と看護師が点滴中そばにいました。
 その後、放射線治療に入りました。毎日5週間の通院でした。治療前に放射線の先生から説明を受けました。合計で50グレイという放射線量を示されました。一日二グレイずつ25日間で照射するのです。「この量は全身に一回で浴びると死んでしまう量です。少しずつ25回に分けて治療します。ですから慎重にしなければなりませんし、正確に照射しなければならないのです。」と説明を受けました。放射線技師が三人がかりで照射場所をミリ以下の単位で調整し、確認しました。

胸に大きな×印
 調整が終わったときには私の胸には医療用のマジックで大きく×印が書かれていました。お風呂で体を洗う時に消さないように気を付けるようにと言われました。その日の夜、お風呂で黒々と×印が書かれた胸を見てとても嫌な気持ちになりました。なんだか私の存在自体に×を付けられたような気がしたのです。役に立たないダメなやつと書き込まれたような気がしました。
 放射線治療が始まりました。病院で受け付けを済ませると看護師さんが一人私についてくださいます。危険な治療ということで看護師さんが一人ずっと付きっきりになるのです。十畳ほどの部屋の真ん中にリニアックという特別な機械がありました。そこにあおむけになって両手を万歳のようにあげてバーをつかみます。その姿勢から照射位置を正確に合わせます。
 いよいよ照射になると被爆を避けるために私以外の人は隣の部屋に入ります。あんなに付きっきりだった看護師さんも隣の部屋に入り、私は広い部屋で一人になりました。恐ろしくてずっと目をつぶっていました。
 短い時間でしたが、薄暗い部屋で一人になるとろくなことを考えません。「どうして病気になったのだろう?」「治療効果が現れなかったらどうしよう?」「本当に神様は私と共にいてくださっているのか?」「私は生き延びることができるのか?」などなどです。心細い毎日でした。日に日に体力と気力が落ちていきました。

砕かれた私
 治療も終盤に入り、あと少しだと先が見えたことと、何度も同じ手順を繰り返して慣れてきたこともあって、ある日私は治療の時に目をつぶりませんでした。放射線を照射する面は大きな四角い樹脂の板で私の胸が鈍く映っていました。
 それを見て私ははっとしたのです。私の胸につけられた×印、存在も生きる意味も否定されたと感じたあの×印がまっすぐきれいな十字架として私の胸に記されていたからです。「ああ、そうか」と私は砕かれました。
 不安と孤独で毒づいていた私です。神様は私の病に寄り添ってはくれていないと感じていた私です。私が一番不安で、孤独で、心細かったとき、神様は私の胸に共にいてくださいました。誰が見てもはっきりとわかる十字架がくっきりと私の胸にありました。私が見ようとしなかっただけでした。見ようとしなかったから見えなかっただけでした。

鍛錬の時にこそ共にいてくださる神様
 苦しみや困難、課題は人生の鍛錬ともいえるものです。「おおよそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に義という平和に満ちた実を結ばせる」と聖書は言い切っています。(ヘブライ人への手紙12:11)。
鍛錬はその人を大きく成長させます。
 皆さんの敬和学園での三年間には多くの課題が与えられ、成長してこの日を迎えられました。この先の歩みにもきっと鍛錬は続くでしょう。皆さんの未来が幸せなものであることを願っています。輝く毎日であることを願っています。一時曇っていたり、思うようにいかない苦しい時期もあるでしょう。落ち込むときもあるでしょう。不安や悲しみに打ちひしがれるかもしれません。
 でも、大丈夫です。そんなときこそ神様はあなたのそばにいてくださいます。あなたの一番核になるところに、芯になるところに、一番弱いところに、愛のしるしである十字架が示されるのです。ですから安心して、自分の足でしっかり立って(自立して)まっすぐな道を歩んでください。