月刊敬和新聞

2020年12月号より「心をかけていただいて」

校長 中塚 詠子

恩師が召される
 お世話になった方が5月に次々に召されました。三人の恩師を天に送りました。県を越えた移動が自粛を求められていた期間でしたのでどの方の葬儀にも参列できませんでした。本当にお世話になり、導いていただいた方々でしたので、葬儀に参列できない不義理に申し訳なさがいっぱいでした。新型コロナウィルス感染症のせいで随分と制限がかけられ、学校も休校中で、私の精神状態も万全ではありませんでしたから随分とこたえました。
 さみしさと残念さの中で、ふっと気づいたことがあります。お世話になった先生が次々と召されていき、相談できる恩師がもうほとんどいないのです。さみしさは、もういらっしゃらないという現実だけでなく、頼るべき存在を失ったという心細さでした。

保育園児が先生だった
 学生時代お世話になった教会の牧師であったI先生は、教会が経営する保育園の園長でもありました。その保育園でその教会の学生たちはアルバイトをさせてもらい、たくさんのことを学びました。私はその延長で保育士の資格を国家試験で取得したほどです。
 私はその保育園で人と人とがつながることを園児たちから学びました。言語が違ってもコミュニケーションを取るとはどうすることなのかという基本を学びました。京都大学のすぐ近くにある保育園でした。アジア・アフリカ各地からの留学生が多くいて、そのお子さんたちが通園していました。私がお世話になった時も、多い時で10か国以上の子どもたちが通園していました。日本語が全く通じない子もいて、どのようにコミュニケーションを取るのかなど初めての体験がたくさんありました。

I先生に育てられた私たち
 I先生は様々な事情を持つ園児をたくさん受け入れていました。障がいや特性、発達の課題、言語、国籍、ご家庭の事情など、本当にいろいろでしたが、当時としてはかなり積極的で珍しいことでした。
 教会にはいつも10名前後の神学部生がいました。後に私は教育現場で働くようになりました。それなりの経験を積みずいぶんと後になってI先生に「よくあんな素人を保育の現場で使ってくださったと思います。恐ろしくありませんでしたか。今の私なら心配で園児や生徒をバイト学生に預けられません。」と言ったところ「それも経験だし、なにより訓練だった」とおっしゃっていました。
 その時神学部の学生だった者全員が牧師となりました。現在、そのうち半数が聖書科の教師となっています。残り半数は保育園・幼稚園の園長です。それを見越して私たちは学ぶ機会を与えられていたのです。自分が職業人になってから、与えられたものの大きさを知りました。
 振り返ってみるといつも私には、成長の機会を与えてくれた恩師がいました。私のことを心にかけてくれた人がいたのです。正直に言うとその時はなんて厳しいんだろうとか、やる意味が分からん!と思ったこともありました。しかし、不思議と後になって「あの時の経験がここで生かされている」「あの時厳しく教えていただいたことがここで喜ばれている」という体験をするのです。

心をかけて育てられる
 フィリピの教会は熱心なパウロの宣教によって建てられた教会でした。その教会の活動が獄中のパウロを励ましました。聖書を読むと、自分のことでそれどころではない状況のパウロが自分の心配ではなくフィリピの教会とそこに集う人々に心をかけていたことがわかります。フィリピの信徒への手紙2章19-22節ではパウロが自分と同じあるいはそれ以上にフィリピの教会に親身になって心をかけていたテモテを派遣しようとしています。
 私のことを思ってくれる人、成長を願ってくれる人、親身に接してくれる人、心にかけてもらって私たちは機会を与えられ生きることの学びを深めていきます。今、思い当たる人はいるでしょうか。あなたのことを親身に心にかけてくれる人はいるでしょうか。思い当たる人がいないという人は少し見方を変えて自分の周りを観察してください。あなたに声をかけ、様子を見ていてくれる人が必ずいるはずです。その人に気づいてください。それに気づけた人は誰かのために親身に心をかけることができる人へと成長できます。
 そして何よりも、あなたに親身に心をかけてくださる神様がいるのだということも気づいてほしいのです。学園生活はその気づきによってより豊かになっていきます。