のぞみ寮通信

大望館

2011/02/06

大望館通信 第163号(2月6日)

<巣立ち>
 
 ついに3年生が自宅学習期間に入り、次の歩む道の準備をしています。

若干名、残務処理に追われている者もいますが、出て行った3年生の居場所はもうありません。卒業をするわけではないんですが、実質、大望館から巣立って行った事になります。次、帰ってくるときには彼らの部屋は無く、お客様扱いでホールに雑魚寝をしてもらい、用があって帰って来ても許可なく寮に入ってくれば大変なことになります。
 さて、この巣立ちの時期を迎えると、下の学年に変化が現れます。2年生は、うっとうしい?上級生がいなくなり最高学年へ。この頃から3年生としての風格が見られるようになり、新入生が入ってくると急に大人に見えます。少し丁寧な表現をさせてもらいましたが、要は、かわいらしかったあの子たちがおっさんになっていくという事です。
 そして、何より変化を迎えるのが1年生。もう後2ヶ月で1年生ではなく先輩になります。この変化は大きいです。恐らくこれからミーティングなどをしていくうちにその準備が進められ、先輩としての自覚が芽生えてくるでしょう。43回生の大望館はどんな先輩になるんでしょうか?楽しみでなりません。
 巣立ちの時期。それぞれの学年が、次のステップへの準備の時期でもあります。何よりも、しっかりとした心構えが出来るよう臨んで欲しいものです。

(澤野)
 

 
 
 

<ボランティア>
 
 雪国新潟。雪とは全く無縁の地域で育った私には、雪国は憧れの地でもあったのかもしれません。子どもの頃、年に1度降るか降らないか、そんな雪にテンション上昇。積もろうもんならそりゃ大変、大はしゃぎで雪遊び。その名残か、今でも雪が降ると、少しワクワクしてしまいます。あたり一面真っ白になると、じっとしてられなくなり雪かきを始めます。すぐに道ができあがりその道に大満足。年が明け、何度かありました。
 見上げる雪壁。押し寄せる雪塊。今回の任務はその除去作業。作業中、ある生徒が口にした言葉を私は逃しませんでした。「敬和の労作とは比べものにならない・・・」
 これが私の憧れていた雪国だろうか?いや違います。私の憧れとは、雪の量が違いすぎます。あってもせいぜい30センチでしょう。背丈を超える量はいりません。小出教会の清水先生は言っていました。「これでも50センチほど縮んだ。」「???」縮んだ高さ2メートル以上。縮んだと表現されただけあって、その雪の硬さは「ガチメでハンパない」それをひたすら、除去するわけです。まさに“労作”昨日、小出教会にボランティアに行ってきました。
   

 寮生、ラグビー部、野球部、教師、総勢34名、日頃の有り余るパワーを思いっきりぶつけに行ってきました。一汗かきに行くか?そんな乗りの人もいたかもしれませんが、現地に近づくにつれ、私の憧れはとうにそれを越え、すごい雪ではなく、やばい雪である事の意味が現地に着いて良くわかりました。
 特に、小出教会の保育園では雪がガラスを圧迫して今にもガラスが割れそうな勢いです。屋根の上も、私の背丈をらくらく越えています。園庭なんてものはどこにも見当たりません。上の写真9番の男の人(三浦先生)がひたすら穴を掘っていますが、そこが多分、園庭なんでしょう。「この雪、夏には本当に無くなるんだろうか?」そんなことすら感じさせられるぐらいです。
 とりあえず、どこからやるべきか?窓に押し迫っている雪をどけようということで、1時間ほどやってきてもなんだか進んでいる気配なし。という事で作戦を練り、上の雪から階段状に攻めていくことにしましたすると、徐々に雪は窓から遠ざかり、迫っていた雪の壁も人の背丈ほどは移動できたでしょうか?終った後の写真を撮らなかったのが残念ですが、よくあんなに雪をどけることができたもんだと、大満足です。その中でもいい働きをしてくれたのが、でんでん君、さすが雪国育ち。彼は作戦を練る前から地道に一人で階段を作るように上から雪を移動させていました。雪の移動を良く心得てらっしゃる。褒めてつかわそう。
 そんな雪かきをしている時、寮長の礼拝のお話が私の頭をよぎりました。「山は動く」というものです。数年前の大望館のいわゆる「改革」は、山を動かすことが出来たんだという例えで話して下さいました。
 どんな大きな山でも地道にコツコツと移動させれば、いつかはその山も動かすことが出来る。目の前の大きな雪壁も地道にやれば動かす事が出来る。でも、出来る事なら超強力なガスバナーで一気に雪を溶かしたい気分でしたがそんなものはありません。本当にこの雪を動かす事ができるのか?そんなことすら思わされましたが、何人かで力を合わせ、少しずつ雪をかいでいき、結果、あの大量の雪を除去する事ができたんです。地道にやるということの大切さと、地道にやるということの大きな力を改めて感じさせられました。
 そんなボランティア、終わってみるとメチャクチャ疲れました。体を使い、腕も背中もパンパンになって働いた。いつもジムに行って体を動かしている私でも、パンパンに張って、息が上がる。そこまで体を使って、人のために働く。疲れれば疲れるほど、気持ちのいいものです。でも、現地の人はそれでも人手がなくて困っているということを覚えずにいられません。私たちに出来る事って何なんでしょうかね。 

                                       (澤野)