自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2011/01/22
<ラストメッセージ・41回生>
夕礼拝では、3年生のラストメッセージが語られています。
自分が同じ部屋になった後輩達や、同学年の友人達にお礼を含めてろうそくの灯火の中語ります。
一人ひとりから語られるその言葉から、あっという間に感じていた3年間の重さがずっしりと伝わってきます。
1,2,3年生が同じ部屋だった時、3人で川の字になって寝た話、夜中に恋話をして寝不足になった話、ルールをすぐに覚えていて「凄いなあ」と思ったよ、などの話。当事者ではない者にとっても、聞いていて、笑いが出たり、褒められてなんだか照れくさくなったりさせられるラストメッセージでした。
「ありがとう」と、一人ひとりに伝えているそれは、灯されている炎の光で心に染み渡りました。
3年間、ご苦労様。そして、今年の礼拝での話し1年間、3年生で礼拝のお話を綴ってくれてありがとう。
(榎本)
<ラストウイーク>
残すところ3年生が寮生活を送るのは1週間に迫りました。週末の事務室で3年生と1年生がウノをしている光景も残り僅かです。
1年生と、3年生が事務室でウノをしている時、こんな会話が耳に入ってきました。
「私達が1年生の頃は、先輩が事務室に入って来たらすぐに椅子を立っていたよ。こんな風にゲームなんかしなかったなあ!」
ゲームを一緒に出来ることを喜びつつ、なにかしらチクリ。
この3年生は何を言わんとしているのでしょうか。居合わせた1年生は、この言葉を受け止められたでしょうか。
事務室に居るときに、お客様がいらしたり、学年の上の人が入ってきたりした時に、スッと座っていたソファーを差し出すことが出来ると、どんな気持ちが起こるでしょう。自分が見学に来た人だったら・・・。迎えられたと言う気持ちになることは想像に難しくないことですよね。
きっとその時の3年生は、その心得のようなマナーに属することを、伝えていたのだと思います。
この3年生の様に、伝えるという行為が、「~しなさい!!」と言う一方的な命令ではなく、「促し」である場合、そこには、聞いた側の「気づき」が問われてきます。この気づきが出来ているか、この3年生は無意識にですが、試したのです。
寮の中では、その気づきがありとあらゆるところで投げかけられています。「しなさい」だとか、命令での促しだけの関係では、その心の内側では、「妬み、恨み、無理解」が起こっていることを、3年生はよくわかっているのです。
マナー、秩序、自立、思いやり、が心の内側からしっかりと根付くのには時間と、待つという忍耐、が必要です。その本当の力が備わっているからこそ、一緒にゲームを心から楽しみつつ、忘れてはいけない目に見えない大切な事を伝えられている3年生。
いろんな出来事があった分だけ、みんなの成長が眩しく映ります。泣いて、泣いて、また泣いて。そして心が鍛えられて、笑って、怒って、くじけそうになっても、くじけなかったあなた達。ありがとう。ありがとう。
(榎本かな)