毎日の礼拝

校長のお話

2011/02/07

「グッドウィルハンティング」(ルカによる福音書22章60~62節)

グッドウィルハンティングという映画があります。
マットディモン演ずるウィル・ハンティングはマサチューセッツ工科大学の清掃員のバイトをしていました。
マサチューセッツ工科大学というのはアメリカでも超エリート大学です。
彼は親友のチャッキーたちとつるんで、たびたび警察沙汰の事件を起こすのですが、実はたいへんな能力を持った人間でした。
記憶力が抜群で一度読んだ本の内容にすぐに理解できました。
特に数学に異様な才能を見せる天才でした。
ある日、ウィルは大学の掲示板に書かれた難解な数学の証明問題をいとも簡単に解いて、その解答を掲示板の横に張り付けておきます。
出題者のランボー教授は学生がすぐに解けないと思っていたのに、それを解いた人間がいる、しかもそれが清掃作業員であると知ってビックリします。
そして傷害事件を起こして拘置所にいたウィルを訪ね、その才能を開花させたいと身柄をあずかることにします。
釈放の条件は、週2回ランボー教授の研究室で勉強すること、そして週1回カウンセリングを受けることでした。
こうしてウィルは新しい生活を始めるのですが、数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞をもらったランボー教授でさえ手こずる数学の難問をあっさり解いて、周囲をびっくりさせます。
 
そんな彼ですが、カウンセリングはいやがります。
ランボー教授が依頼した一流のカウンセラーを次々にやりこめてしまいます。
ウィルがカウンセラーに敵対心をもったのは、育った環境のためでした。
彼は小さいときに両親がいなくなり、あちこち預けられます。
しかも里親から虐待を受けるという不幸な体験をしてきました。
家族からそして周囲の人から、愛されたという体験がほとんどありません。
誰かに心を開くということをしてこなかった彼にとって、心を開かせようとするカウンセラーを受け入れることができなかったのです。
ウィルの周囲の人たちの苛立ち、それは彼が自分の才能を大事にしないこと、そして自分自身も大事にしないような生き方をすることでした。
特にウィルの数学的能力が100年に1人といえるほどのものであることを知っているランボー教授にとって、それは許せませんでした。
親友のチャッキーは違う意味で、能力のすごさにもかかわらず、人生を捨てるような生き方をしようとするウィルを何とかしてやりたいと思っていました。
ある日、「自分は一生下町で労働者として暮らしてもいい、お前らとつるんでバカをやっていきたい」とつぶやいたウィルに、チャッキーはいいました。
「俺たちは10年後もこの町でしがない労働者として生きているはず、しかし才能のあるお前が、20年後もこの町にいたら、俺はお前をゆるさない」。
 
困ったランボー教授は大学時代のルームメイトで、かつては名声を馳せ、最愛の妻を亡くした後、やる気をなくして、今は市民大学で講師をしているショーンを訪ねます。
ウィルと境遇が似ている彼ならカウンセリングができると考えたわけです。
初対面の日ウィルはショーンの研究室にかかっていた絵を見て、辛辣な言葉でショーンを傷つけます。
さらに彼の亡くなった妻を侮辱するような言葉を口にします。
それに対してショーンは怒って詰め寄ります。
しかし愛されたとの体験が薄いウィルにとって、なぜショーンは瞬間的に激怒したのか、わかりませんでした。
ショーンはカウンセリングを通して、ウィルに自分の人生を他人に語ることの大切さと、自分の人生を投げやりではなく真正面から捉えるべきだと淡々と語ります。
ウィルは少しずつ変化し始めたものの、その投げやりな態度や自分の人生を真面目に考えるまでに至りませんでした。
そうした彼に最後のカウンセリングの日に決定的なことが起こります。
どうしても、自分自身を受け入れようとせず、素直になれないウィルにショーンが次の一言で迫ったのです。
「お前は悪くない」。
「お前は悪くない」と言われてウィルは「ほっといてくれ」と反論します。
しかし「お前は悪くない」「お前は悪くない」と繰り返しながら真正面から見つめ詰め寄ってくるショーンに、ウィルは突然「ごめんなさい、僕を許して」と泣きながら抱き着きます。
「お前は悪くない」に対して「ごめんなさい。許してください」との答えるのは、言葉の使い方としては的外れのように思えます。
「お前は悪くない」には「ありがとう、わかってくれて」あたりが一番ふさわしい答えのように思えます。
しかし「お前は悪くない」に対する「ごめんなさい。許してください」には何か真実な響きが感じられます。
人は誰でも自分でも悪いことをしたと思った時に、謝りなさいと、言われたら当然謝るでしょう。
でも心の底から謝っているかどうか、本人もわからないのです。
そういう人間が心底ごめんなさいと謝ることができるのは、つまり素直な自分になれるのは、もっと突き詰めて言うなら、それまでとは違う生き方ができるようになるのは、それは自分が許されているということが実感できた時です。
ウィルはショーンの「お前は悪くない」との言葉によって、小さい時から余計な人間として、不必要な存在として迷惑がられながら生きてこなければならなかった、その自分が初めて生きていていいということ、がわかったのです。
 
その姿は自分の弱さからイエス様を裏切ったにもかかわらず、許しのまなざしで見つめられ、激しく泣いたペトロに重なります。
敬和学園で学ぶことの大切な目的がそこにあります。
敬和生活を通して、一人ひとりに実感してもらいたいのは「自分は神様に許されている」ということです。
言い換えれば「受け入れられている。愛されている」ということです。
人は自分が受け入れられている、愛されているということがわかったとき、素直になれます。
素直になることによって、人は本当の意味で学ぶようになります。
自分の人生を真正面から生きられるようになれます。
敬和学園の3年間は、そして一日一日の授業は、一つ一つの行事は、そのためにあるのです。