のぞみ寮通信

光風館

2020/09/23

光風 114号「あの時」

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 寮の中で何かが起こったとき、彼らにミーティングを開かせます。自分たちで、何か物事を決めるときにもミーティングを開きます。彼らの表情を見たとき、これから行われるミーティングが楽しいのか、嫌な空気の中で行われるのかすぐに分かります。そして後者のミーティングの方が長くダラダラ行われます。

 1年生の頃、ミーティングを開く度に、ギスギスとした空気が流れてしまい、意見を言う者と、何も言わない者。熱く自分の思いをぶつけることの出来る者からしたら、自分の思いがこれでも伝わらないかと歯がゆい気持ちになってしまい、いつの間にか相手を責めてしまう。言われている方は、言いたいけれども、その思いを言葉にすることが苦手だったり、何よりも勇気がなかったり、決して何も感じていないわけではないのに、それをその場の雰囲気では口に出来ないだけなんです。そしてどんどん溝が深まってしまう・・・・・・。

 ミーティングを「ぶつかり合い」と表現し、そのぶつかり合いがあるからこそ、築いていける「絆」。なんてかっこいいことを言うことがありますが、嘘です。そんなにうまくいきません。「ぶつかり合い」もありますが、それだけで終わってしまったら何も見いだせません。本来あるべきミーティングの姿は、意見の違いや考え方の違いの接点を見いだすことです。ゴールは一緒で、何もぶれません。「みんなで、うまくやっていきたい」それだけです。だからミーティングは「ぶつかり合い」ではなく「受け止め合い」であるべきなんです。

 彼らはまだまだ未熟でした。そんなうまくいかないミーティングを何度も開いてしまい、ミーティングを開くことさえ嫌になっていました。ブロック長のKI君は、いい奴らしかいないのに、なぜかうまくいかない現状に自分を責めていました。しかし、寮生であるならば、このままで終わるわけにはいかないんです。

 聖書には時間を表す言葉がいくつかあり、その中でも、クロノスとカイロスというギリシャ語はよく知られているそうです。クロノスは英語の「clock」の語源で時を刻んで流れていく時間を表し、「カイロス」は点を表す時間だそうです。例えば、「生まれた時」や「誰かと出会った時」などで、ググって訳を調べると「機会」や「チャンス」と出てきました。あなたにとって一番大きな「カイロス」はいつですか?と問われたら、私はいつと答えるべきでしょうか?

 光風館3年生にとって「カイロス」はいつだろうか?いくつかありますが、私はあの時だと思っています。小説のように、そのときのやり取りを詳しく表現したいところですが、残念ながらそんなスキルが私には備わっていませんので、ざっくりです。

 それもやっぱりミーティングでした。ある光風生が、「俺はおまえが嫌いだ」とストレートに伝えたんですが、言われた側は「俺はお前が嫌いではない。嫌われているなら好かれるよう努力する」とこれまたストレートに伝えたんです。そのミーティングも着地点はありませんでした。でも、ミーティング後「嫌いだ」と言った生徒が「さっきは言い過ぎてごめん」と言った相手に謝りに行き、言われた彼が涙ながらに私にその出来事を伝えに来てくれたんです。「嬉しかった」と言葉を添えて・・・・・・。夏休み前のミーティングでしたが、その時初めてミーティングを経て受け止め合った姿を見たきがします。そんなミーティングが出来たんです。

 そして新しい部屋になり、今まであんな風に交わることのなかったメンバーが、同じ空間で、心底楽しそうに時間を過ごしています。それもそのはずです。彼らが決めた3年部屋は、仲の良い者同士ではなく、むしろ互いに距離を置いていた者が一緒になる部屋にあえてしたんです。それは、このまま寮生活を終えてしまったら後悔すると誰もが思ったからに違いありません。新しい部屋を決めるミーティングを私は見ることが出来ませんでした。出来た部屋割り表を見たとき、彼らの誇らしげな顔を見たとき、さらっと部屋替えミーティングが終了したと聞いたとき、よっぽどいい話し合いが出来たんだとすぐに想像できました。これまでの積み重ねがそうさせたのでしょう。そう考えたとき、ぶつかり合っただけのミーティングも意味あるものだったと思えます。

 「この部屋で過ごしたら、僕たちはさらに成長します」部屋替えミーティングの後にそう言ってきた3年生がいます。まさにそうだと思います。今まであった出来事のひとつ一つに意味があり、意味あるものにするためにひとり一人の存在がある事を実感したのではないでしょうか。

 そして何より、変化と成長を信じ、取り組み、待ち続けたブロック長の働きに尊敬の念を抱いてなりません。