自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2020/07/06
あるファミリーレストランでの話です。
一人の全盲の女性への“神対応”が、ネット上で感動を呼びました。
自粛生活が一段落して、この女性は6月末に4か月ぶりにファミリーレストランを訪れました。
久しぶりのお出かけに嬉しくてお料理をたくさん注文しました。
「料理を運んできてくれた大学生くらいの男の店員さんが[ピザは12時、サラダは 3時、チョリソーは10時方向に置きますね]と説明してくれて、もう、感動しすぎて涙出そうでした」とツイートしたところ、瞬く間に拡散され、丸1日もたたないうちに7万5千件のリツイート、38万8千件のいいねを集めました。
これはクロックポジションという方向の表し方です。
時計の短針の位置で方向を表します。
リプライ欄には「時計に例えれば分かりやすいんですね」「気配りができるってこういうことだと思う」「まさに言葉で表すバリアフリー」といった称賛の声があふれました。
お店にお連れ合いと娘さんとこの女性の3人で行ったのですが、店員さんには特別に何かを伝えたわけではなかったそうです。
入店した時に白杖(目の不自由な方が使う白い杖)をついていたので、たぶん気付かれたのではということでした。
この女性は「あまりにも自然な説明でびっくりして…。お若い方でしたし、きっと、例え知識として知っていたとしても、実践するには勇気がいったでしょうに。本当にうれしくて、お店にお礼のメールを送ってしまいました」とおっしゃっていました。
このファミリーレストランの広報室によると、数年前に目の不自由な方の来店者への「接客ガイド」を制作し、全店に配布し、その中に注意事項などとともに、クロックポジションについても触れていたということです。
この女性は一人で慣れた場所を歩いたり、スマートフォンの音声読み上げ機能を使ってSNSを使えるようになりました。訓練を受けて一つ一つできることを増やしてきました。それでも、誰かの手を借りなければ困ることもたくさんあったそうです。
これまでもクロックポジションで説明されたこともたまにあったそうですが、「今回のような年頃の方にそういう心配りは受けたことがなかったので感動して…」と取材に答えていらっしゃいました。
前に視覚障害者同士で居酒屋に行ったとき、まとめて注文した料理を次々にテーブルに置かれてしまい、食べるか触るかしないと確認できなかったり、黙って置いて行かれたためお料理が運ばれてきていることにも気付かなかったりしたこともあったそうです。
「お料理や飲み物を運んできたとき、それが何か、どこに置くのか、背が高くて不安定な入れ物であるとか、火傷をする可能性のある鉄板ですとかなども伝えてもらえたら、安心して楽しく食事ができると思います」と話します。
この若い店員さんは意識が高く、しかも勇気のある特別な人でしょうか。
私はそうではなく、仕事として接客ガイドをしっかり読み込んで、そういう場面ではこうしようと練習した方ではないかと思うのです。
フロア係として「注文を取る」「サーブする」という仕事を丁寧に誠実に働いた方だと思うのです。
だからさりげなくしっかりと注文の品を説明できたのではないかと思うのです。
自分の与えられた仕事の中でできることを「こんな時はこうする」といろいろ考えていたからこその行動ではないかと思うのです。
私たちは神様からいろいろな力が与えられています。
自分以外の人の力や勇気がうらやましく妬ましく思えるときもあることでしょう。
でもこう考えてください。
神様から与えられているものが一人ひとり違うのです。
ですからそれができないのではなくて、一人ひとりできることが違うのです。
一人ひとり与えられた役割や使命を自分のできるやり方で、オリジナルであることに胸を張って誠実に丁寧に行いで表してみましょう。
敬和学園の毎日はそれを行いで表すチャンスに溢れています。