毎日の礼拝

校長のお話

2020/01/22

「違いをあたりまえとする」(使徒言行録 3章26節)

週末、なんとなく眺めていたスポーツニュースでは、その戦績はもちろんですが、2020年オリンピックイヤーに期待される選手が大勢紹介されていました。

私はスポーツを観るのも大好きです。

オリンピックは大変楽しみですが、パラリンピックもとても楽しみにしています。

パラ競技の中で特に注目しているのはユニバーサルリレーです。

 

この競技は「視覚障害」「切断・機能障害(立位)」「脳性まひ(立位)」「車いす」の障がいカテゴリー順にトラック1周(400m)をリレーします。

男女2人ずつで、どのカテゴリーに起用してもよいのですが、各カテゴリーで最も軽度な障がいの選手は4人のうち2人しか走れないというルールもあります。

ひとつのチームを組むにも組み合わせ条件が複雑です。

リレー競技ですが、おなじみのバトンは使いません。

バトンを使わずに手や背中にタッチして次の走者につなぎます。

しかし、このタッチのタイミングが非常に難しいのです。

タッチワークはユニバーサルリレーの醍醐味でもあり、難所でもあります。

一般のリレーとは異なり、性別や障がいの違いにより、助走からトップスピードに乗るまでの時間が異なるからです。

とくに難しいのが車いす選手へのタッチです。

車いすは、漕ぎはじめはゆっくりですが、一度スピードに乗ると一気に加速するのが特徴です。

ですからタッチ合わせのためのスピード調整がとても難しいのです。 3走の立位の選手と車いすの選手には高低差があります。

車椅子を漕ぐときに選手はぐっと前にのめりますから、どのタイミングで計ることもそうとう難しいといいます。

3走の選手は体を少しかがめてタッチしなければならないというテクニックの問題もあります。

 

一般のリレーだと4人ともが同じように走り、バトンワークもパターンが一つです。

ユニバーサルリレーは選手が全員違う障がいがあり、タッチのやり方も3回とも違います。

そこが見所です。

昨年の世界陸上で私は初めてこの競技を観ました。

おもしろい!と思いました。

けれど後で思い至ったのです。

一般のリレーが普通だと思っていましたが、果たしてそうなのかと。

それぞれのあり様が違うのだから、タッチのやり方もそのあり様に合わせて調整する。

こちらの方があたりまえではないのかと。

 

先日、若いお母さんから悩みを相談されました。

連絡帳に、お子さんの様子が書かれて来るのだそうですが、どうもそのお子さんがユニークで他のお子さんと違う考え方をしたり同じ行動を取らなかったりすることをその担任の先生は「困ったこと」と感じているようだというのです。

周りと同じようにふるまうこと、同じであることを求められているような気がすると感じる、同調圧力という言葉が語られるようになって久しいです。

そのお母さんはお子さんの持っている性質をのびのび生かして子育てしたいと願っているのですが、担任の先生から「他のお子さんのように」「他の子と同じように」と言われると心が揺らぐというのです。

同じようにしなければいけないのかなあと自信がなくなるとおっしゃるのです。

お話を聞きながらそれは生きづらいと感じるだろうなあと思いました。

 

学校や世の中を落ち着いて眺めてみれば、一人ひとりのあり様は違ってあたりまえです。

一人ひとり違うのですから価値観や対応や処し方や振る舞いももちろん違うのです。

なのに「他の人と同じように」という圧力がかかれば当然苦しくなります。

 

私がユニバーサルリレーに魅力を感じるのは、違ってあたりまえを前提とした競技だからかもしれません。

一人ひとり違うというのは、神様が一人ひとりをオリジナルの存在として創造し、この世へ送り出したということです。

それは神の祝福です。

私たちは祝福された一人ひとりです。

学園生活を織りなす出来事と人々は祝福された者同士のつながりです。

違いを感じ、味わい、祝福に応えて歩んでまいりましょう。