毎日の礼拝

校長のお話

2010/12/13

「オシムからの旅」(マタイによる福音書2章13節~15節)

「オシムからの旅」という本があります。
わたしがこの本を読もうと思ったきっかけは、タイトルが変だったからです。
オシムという言葉を聴くと、たいていの人はある人を思い浮かべるはずです。
オシムはしばらく前のサッカー日本代表の監督だった人の名前です。
日本代表はワールドカップ南アフリカ大会で決勝トーナメントに進みました。
本来ならオシムが日本代表監督としてワールドカップに出ていたはずですが、脳こうそくで倒れたために岡田武史さんが代わって監督になりました。
「オシムからの旅」のオシムはこの人のことです。
○○からの旅の○○が人の名前というのは、日本語ではまずありえません。
そう思いながら、読み始めたのですが、読み終わって、この本を書いた木村元彦(ゆきひこ)さんがなぜ「オシムからの旅」という落ち着かないタイトルにしたのかがよくわかりました。
「オシムからの旅」を他の言葉に言い換えると「オシムから学んだこと」となります。
木村さんはオシムから何を学んだのでしょうか。
そして、この本を読む人に何を知ってほしい、学んでほしいと思って書いたのでしょうか。

 

オシムはユーゴスラビアという国の出身です。
ユーゴスラビアといわれて、どんな国かすぐにわかる人ほとんどいないでしょう。
その理由は東ヨーロッパという遠い地域にあることと、そして何よりの理由はユーゴスラビアをという国は、今はもうないからです。
一つの国がなくなるというのは普通のことではありません。
自分が生まれた国に重ねて考えるとわかるのですが、自分が今生きている国が消滅するというのは、話が大きすぎて想像しにくいのです。
しかし、それが実際にオシムに起こりました。
木村さんがオシムのことを書くきっかけになったのは、同じユーゴスラビア出身のサッカー選手ストイコビッチに関心を持ったからです。
ストイコビッチは今年Jリーグで初めて優勝した名古屋グランパスの監督です。
今から16年前、木村さんはその日Jリーグ、サンフレッチェ広島と名古屋グランパスのゲームをテレビで見ていました。
ゲームを見ていて木村さんが気づいたことがあります。
それは画面に映るたびに、怒っている選手がいることでした。
彼はレフェリーの判定に納得がいかないのか、判定のたびに、顔をこわばらせては怒鳴り、そして食って掛かっていました。
そしてイエローカードを2枚もらって退場処分になります。
それがストイコビッチでした。

 

ストイコビッチはその4年前にワールドカップイタリア大会で大活躍をした有名選手でした。
そのプレイの華麗さからピクシー、妖精というニックネームを持った人でした。
木村さんは自分が知っているストイコビッチと、目の前のゲームでイエローカードを2枚もらって退場処分を受けた選手が同じストイコビッチには思えませんでした。
その後のゲームでもストイコビッチは自分の感情がコントールできず、しばしばトラブルを起こしていました。
そうしたことで、仲間やファンからも失望され始めたストイコビッチですが、ある時から変わり始めます。
それはストイコビッチが尊敬するベンゲルという人が監督になったからだと多くの人が思ったのですが、木村さんはもっと何か複雑な理由、深いわけがあるように思えて仕方がありませんでした。
そこでストイコビッチへの取材を始めます。
わかってきたのが、ストイコビッチそしてオシムの生まれたユーゴスラビアで起こった民族紛争、ボスニア紛争の影響のことです。この国はその紛争のために国連による制裁を長い期間受けることになったことです。
国際社会と文化やスポーツの交流が禁止されました。
そのためサッカーのユーゴ代表チームは国際試合への出場ができなくなります。
そして一番大きな制裁は経済制裁です。
経済制裁のため多くの人が生活に困り、さらに民族紛争が激しくなります。
そして自分が生まれ育った場所を追い出される人、激しい戦闘によって家や財産を捨てて逃げ出さなければならなくなった人たち、つまり難民となった人たちがたくさん出てきたのです。
オシム自身も家族と離れ離れになり、奥さんと3年間会うことができませんでした。
そういう民族紛争と命を脅かされる10数年間をストイコビッチとオシムは体験しなければならなくなったのです。
ストイコビッチのゲームでのいらだちの原因もそこにあったのです。

 

木村さんはある時Jリーグの監督をしていたオシムにインタビューで尋ねました。
「あなたが試合中に何が起こっても、冷静でいられるのは目を覆いたくなるような隣人殺しの民族紛争を体験し乗り越えたからですか」。
オシムは答えました。
「確かにそういう影響は受けたかもしれない。けれど、そういうものから学べたとするなら、それが必要になってしまう」。
短い言葉ですが、これはすごい言葉です。
よく過去の戦争、過ちから学ぶということが言われますが、下手をすると、それは戦争そのものを肯定することになる危険性があります。
オシムは短い言葉でもって戦争から学ぶものは一切何もないと断言しているわけです。
これほど、戦争や民族紛争がいかに愚かなことであるかを、わかりやすく言い切る言葉はないとわたしは思いました。
そして、このオシムの一言は、今日の聖書の箇所に書かれていることにそのままつながります。

 

天使はヨセフに、妻マリヤと生まれたばかりのイエス様を連れて、エジプトに逃げなさい、避難しなさいと言いました。
それはユダヤで虐殺が始まるからです。
ダビデ王は自分の権力を守るために、2歳以下の子供をすべて殺すことを命令したのです。
ヘロデ王の行為がいかに愚かで残酷であるのか、16節から書いてあること見ればすぐにわかります。
けれど、その愚かな行為は聖書の中に書かれてあるだけでなく、遠い昔の話でもなく、今も様々な地域で起こっていることを、オシムの一言が気付かせてくれます。
わたしたちは今もそういう権力によって命が簡単に奪われてしまう愚かな世界、社会に生きているということです。
それだけに、戦争や紛争から学ぶものなど一つもないというオシムの言葉の重さをしっかり受け止めなければならないと思います。
イエス・キリストの誕生の出来事を通して、ここにいる一人一人が、毎日の生活を問われているのです。
それを自覚しながらクリスマスを迎える一週間共に生きていきましょう