自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2010/10/31
ある日・・・「委員会や、学年のミーティング、部活の合宿で全然勉強ができていないので消灯後12時以降も勉強したいのですが、、、」と、申し出がありました。
その後、数人からも声があり、3年生では、論文の練習に放課後、自習時間だけでは足りないという事で12時以降の勉強も要望を出して頑張っていました。
勉強熱心は結構結構!!
勉強に熱心でも、前提に寝坊や、遅刻、違反をしない。体調管理をしっかり出来る、と言う約束をしました。
これだけでは無く、めぐみ館生の後期最初の定期テストに向けての取り組みですが、それぞれ頑張っていたように思います。
1つに、テスト前の連休の外出先が、教会か、個人的な用事など除いて、しっかりと勉強時間に当てられていたこと、しっかりと勉強できていたように思います。
継続は力なり!
さて、こんな事を言ったものの、結果が伴わなければ、元も子もない訳ですから、、、。
赤点があった人は、次回のテストまで、しっかりと自習中勉強をして、次回の結果に繋がるように頑張りましょう。満足な点数だった人は、そのプラスの波を継続して、自分自身の力を高める努力を惜しまずに進めていきましょう!
(榎本)
<災 害>
チリの落盤事故で33人の方々が無事に帰還されたニュースは、世界中が喜びに包まれました。
非常事態が続く中、大騒ぎをしない、パニックにならない、協力体制を整えていたと言われています。チームワークを取り、常に役割分担をしてそれぞれの役目で、生きている価値を感じ続けられたそうです。
新潟でも6年前に生活ラインを断絶された中越地震がありました。
私自身は阪神淡路大震災を経験しました。北海道育ちの私は地震の揺れには慣れていたつもりでしたが、阪神淡路大震災を経験した後は、特に揺れると、咄嗟に身構えるようになっています。
先日には、大雨が奄美大島を飲み込むという、想像を絶する災害に見舞われました。
特に学校生活、寮生活などの集団でいる私たちは、災害を想定し、しっかりとした備えが重要でしょう。また、日頃から2次災害を最も小さく収められるように精神的な訓練もしておかなくてはいけません。
ある登校日のことでした。地震の揺れを感じて、外に出た時、4階の窓から男子生徒がふざけて大声を上げていた事がありましたが、1年生とは言え、そんなことをしてはいけません。どんなに小さな揺れでも、緊急避難時と思ってください。
先週、学校では抜き打ちの避難訓練が行われていました。寮生の速やかな声掛けができていたという報告がありました。皆さんの自覚がしっかりと根付いている証拠ですね。日頃からの危機管理を心掛けましょう。自室の使い方、足元や、身の回りの整理、大切です。コンベックや、ガス台を使ったときは、換気と、火の消し忘れなど無い様に、指差し確認をしてください。普段からの心がけがいざと言うときの危機管理意識につながります。
(榎本)
<新しい部屋で>
先日、めぐみ館の皆さんの一言や行動が、他の誰かの喜びの種になっていることに、嬉しい気持ちにさせられたことがありました。
みぎわ館にいたときのことです。毎週火曜の自習時間に行われている“ゴスペルの会(有志が集まってゴスペルソングを歌う会)”から戻ったみぎわ館の生徒が興奮しながら言いました。「今日は何だか落ち込むことが多かったけれど、今、ゴスペルの会でめぐみ館の子から言われた一言がすごく嬉しかったんです!」なになに?と聴くと、「『私、4月のころから、○○さんのその笑顔にパワーをもらっていたんです。』って言われたんだけど、その言葉にこっちがパワーをもらいましたよー!!」彼女の興奮は、まだ収まりません。「更にね、めぐみ館の○○ちゃんが、部屋替え前最後だからって、部屋の子みんなを誘って来てくれて、『楽しい!』って言ってくれたんです!私達もそうしたかったなー。」
さて、20日に部屋替えを終えた1、2年生、新しい部屋はいかがでしょうか。点呼に各部屋を回ると「なんだか落ち着きます〜。」「ムーンライトパーティーします。」「どんな話を共有できるかなあ。色々試してみよう。」と、とても前向き・積極的です。この部屋でいられるのも約3ヶ月。その先には、1年生は2年生に、2年生は3年生になる時が見えています。ぜひ、来年2月の部屋替えの前には、“この部屋でよかった”と思える部屋づくりをしていってくださいね。
一方、部屋替えがなくて楽だけど、あのドタバタがなくて少し寂しさも感じる3年生。それぞれの進路に向かって頑張っています。出願書類や面接での自己PRなどを考える際に、必ず行っていることは、3年間の寮生活の振り返りです。めぐみ館での3年間で得られたことは何か・仲間とどのようにして、どんな関係を築いてきたのか等の問いに取り組んでいます。その様子を見ていると、寮生には語る材料となる出来事がたくさん与えられ、それを自分のものにしてきたことがよくわかり、感心させられます。
1・2・3年生のそれぞれの寮生活が充実した実となり、自分自身を語る時が来たときには、その実を生かせる一人一人になって欲しいと思います。
(冨井)
<礼拝の話>
3年 Y.N.
今日は、社会の教科書に載っていない日本の過去についてお話したいと思います。
日本は、1945年に第二次世界大戦が終戦したのは皆さんご存知だと思います。その時、長崎、広島に原爆が落とされたこともご存知でしょう。日本は世界で唯一原爆が落とされた国、被爆国として原爆の恐ろしさを世界に伝えています。
日本は、被爆国だといわれますが、ある面においては加害国だと言われたら、皆さんはどう感じるでしょうか。
確かに日本は加害国といわれる行為を沢山してきています。第二次世界大戦時、日本に住んでいた人々は、日本人だけではありませんでした。当時、日本は、韓国、朝鮮を支配し、植民地化していました。
戦争時は、日本男性は皆、兵士としてかり出され、日本は人手不足となりました。その時、日本政府は韓国、朝鮮から無差別に、そして仕事があると甘い言葉をかけ、沢山の人を日本に連行してきました。
日本で仕事をさせられていた朝鮮や韓国の沢山の人々は、アメリカによって落とされた原爆によって、この日本で命が奪われたり、被爆者となってしまったのです。
日本政府は日本に住んでいる人、日本人には、被爆した人達には給付金、見舞金として金銭的な手当てをしています。
ですが、終戦時、朝鮮・韓国の人で母国へ戻った人はどうでしょう。その人達は、帰郷後、原爆の後遺症に悩まされていました。原爆の後遺症だと知らずにです。
彼らのほとんどは、全て自費で治療をしていたのです。日本人なら補助が出るのに、韓国人だからという理由で日本政府は何もしませんでした。
日本政府にこの差別的な行為を訴える団体の働きかけにより、戦後50年近く経ったころにやっと援助されましたが、被爆者の方々は、高齢者であったり、既に亡くなってしまった方もいました。
この事実を皆さんはどう感じますか?日本が被害を受けただけと考えられるでしょうか?他にも日本が外国にして来た事は数え切れない位残虐な事があります。政府はこの様な事実を教科書から無くし、なかった事にしようとしています。
私は、少しでも知っている人達が次世代へ繋げていくべきだなと思います。
皆さんも、パソコンなどで調べてみて下さい。