月刊敬和新聞

2018年11月号より「揺るがない正しさを求めて」

校長 中塚 詠子

正しいエスカレーターの乗り方
 東京に行ってきました。泊りでしたのでそれなりのキャリーバッグを持っての移動でした。東京はオリンピックの準備のためにあちこち改装工事がなされている途中でした。キャリーケースを持っていると移動がなかなかスムースにいきません。大阪に長く暮らしていましたので「そうそう、関東と関西はエスカレーターの空ける列が違うんだよなあ」と思い返していました。
 さて、片側に寄って列を空けることがしばしば見られるエスカレーターですが、前に正しいエスカレーターの使い方を調べたことがあります。新聞などで「急いでいる人のために右側を空けて」という投書が相次ぎました。それもそうだと右側を空けることが定着しかけたところ怪我や後遺症などで左側のベルトがつかめない人もいますから右側と決めるのはやめてほしいといった投書が紹介され出しました。
 これに対して日本エレベーター協会がエスカレーターは本来二列で使ってもらうために設計されているもので片側に偏って利用すると故障の原因になるので列を空けずに二列に並んで片側を空けないで利用してほしいとお願いしました。それを受けて大手家電店やデパートのアナウンスではエスカレーターは片側を空けずに詰めて二列で利用してくださいと促すようになりました。利用者も二列で使う方が輸送量が上がり効率がいいと納得しかけました。
 そこに待ったをかけたのが警察だという説があります。大きな駅のたくさんの人が利用するエスカレーターはちかんと盗撮の多発地帯です。現場を見つけて現行犯逮捕するために捜査員が駆け上ることもあるため片側は空けてほしいというのです。
 さらに寛容さに欠けてきた世の中が追い打ちをかけます。片側利用を中心にすると故障しやすいという主張はメーカーやプロの姿勢としていかがなものかといった意見がSNSを中心に声高に書き込まれるようになりました。定期的にしっかりメンテナンスをし、部品等を交換すれば良いのだから故障の原因になるからと言って利用者に利用の仕方を狭めるようなアナウンスはおかしいといった内容です。

立場が変わると視点が変わる
 どの立場の人の意見に賛成ですか、それはなぜですか。その他の意見についてはどう思いますか。私はこれらの主張はすべて正しいように思います。それぞれの立場から確かに納得のいく理屈の通る理由があるからです。
 視点が変わると正しさが変わります。立場が変わると意見がかわることもあるのです。誰のための正しさで、何のための正しさなのかということが大切です。自分の中の正義、正しさは他の誰かにとって正しいことではないかもしれない。他の誰かを傷つけることになるかもしれないという冷静さと優しさを持ってほしいと思います。

物事を俯瞰して見る
 何を基準にどちらを見るかによって正しさは変わります。ですから聖書では変わらぬ基準を持つことを勧めています。それは神様の目で見たらどうなんだ?という新たな俯瞰する目線です。同時に私と神様の対話、関係の中で自分を見つめ決断していくことの大切さが示されています。
 これは聖書や教科書に書いてあるからとか先生が言ったからその通りにするということではありません。しっかり頭と心を使って自分と向き合いまた神様と向き合うことがいつでも求められているのです。
 そういう意味ではキリスト教は厳しい宗教です。自分を見つめることや冷静に俯瞰して物事をとらえるということはなかなかレベルの高い要求です。
 自分の考える正しさが暴走するとき戦争やテロが起こります。それはたくさんの人の命や財産そして魂を奪うことにつながります。ですから聖書は難しくとも人を生かし命を活かし魂が輝く選択をしなさいと警告するのです。

共に成長する
 現在日本エレベーター協会は正しいエスカレーターの使い方として「手すりを持ち黄色い線の内側に乗ってください」としか言っていません。その時々の状況や環境、地域において最もふさわしい乗り方をその都度選んでくださいということでしょう。
 自分の考えや意見に固執することと主体的に生きることはちょっと似ていて大分違います。誰にとって?何のために?と考えることは時に苦しいこともあるでしょう。しかし、あきらめずにしっかり考え、神様と自分に向き合うことを大切に過ごしてほしいと思います。そうすることで違った意見の人や立場の違う人とも共に成長できます。