毎日の礼拝

校長のお話

2010/06/23

「マンデラの名もなき看守」(フィリピの信徒への手紙3章20節)

南アフリカ共和国というと、みなさんは何を思い浮かべることができますか。
サッカーの好きな人はもうすぐ始まるサッカーのワールドカップの開催国ということがピンと来るでしょう。
そして、歴史や世界情勢に関心のある人はアパルトヘイト政策を続けてきた国と考えます。
アパルトヘイト、日本語で人種隔離政策と訳されています。
南アフリカ共和国のアパルトヘイトを説明するとこんな感じでしょうか。
この世界にはいろいろな肌の色の人がいます。
白い人、黒い人、こげ茶色の人。そして、日本人は黄色い肌といわれています。
それは自分で選んだことではありません。
それなのに、もしもあなたが「あなたは肌が黄色いから、この学校に来てはいけません。」と言われたり、「あなたは白い肌ではないから、このホテルに泊まることはできません」などと言われたらどうでしょうか。
そんな話があるわけないと思う人がいるでしょう。
しかし、そのとんでもない法律を1994年まで持っていたのが南アフリカ共和国です。

 
そのあり得ない法律を変えて、黒人も当然の権利を持つ国にしようと運動を続けた人たちがいました。
その代表かアパルトヘイトを撤廃した最初の選挙で大統領になったネルソン・マンデラという人です。
当時の政府は黒人解放運動のリーダーであるマンデラを危険な人物、テロリストとして捕らえて刑務所に入れました。
そして、マンデラに送られてくる手紙や面会に来る人との間に、どのような言葉が交わされるか、探らせるために、マンデラが育って地域の言葉であるコーサ語がわかるグレゴリーという看守をスパイとして送りこみます。
そのグレゴリーとマンデラの27年間にわたる出会いと人間関係を描いた映画があります。
タイトルは「マンデラの名もなき看守」です。
クリスチャンであるグレゴリーは当然今日の聖書の箇所フィリピの信徒への手紙3章20節「わたしたちの本国は天にあります」という言葉を知っていました。
この言葉が意味することは、人は神様によって作られたのだから、本来人間には優劣がない、それぞれ平等であり、人とてのしての権利はみんなが持っているということです。
ところが人種隔離政策が当たり前の中で育ったグレゴリーは、この言葉が同じ国に生きる黒人にもそのまま当てはまるということがわかっていませんでした。
アパルトヘイトというのは、そういう当たり前の考えを人間から奪ってしまう政策でもありました。
そのグレゴリーがマンデラと毎日接する中で、アパルトヘイトがおかしいと感じ始めます。
そして最初は見下していたマンデラに次第に尊敬の思いを持ち始めます。
そのためにグレゴリーは周りから批判されるようになり、家族も辛い立場に立たされます。給料も上がらなくなります。
夫であるグレゴリーの変わり方に、ある日妻がいいました。「あなたは家族とマンデラのどっちが大事なの」。
それに対してグレゴリーが言いました。
「わたしはマンデラに出会ってしまったのだ。お前もマンデラに会ったらわかるはずだ」。
「出会ってしまった」というのは「俺の意志を越えた何かの力が働いて、そうなってしまったのだから、しかたがないじゃないか」との気持ちが込められたセリフです。
そして、そうは言いつつも、むしろ喜んで受け入れる、ことが感じ取れる一言です。

 
「マンデラに出会ってしまった」、それを今この場にいるみなさんに当てはめて言うと「敬和学園に出会ってしまった」となります。
ここにいる人の中に「自分は敬和学園に入りたくて入ったのではない」との思いを持っている人がいるかもしれません。
600人近い人がいるわけですから、みんながみんな敬和学園に満足しているはずはありません。
でもそういう人も含めて、ここにいる人すべてが敬和学園に出会ってしまったことは間違いないのです。
敬和学園に出会うということは、イエス・キリストに出会うということであり、敬和学園が第一に考えるキリスト教による人間教育、価値観に出会ったということです。
キリスト教の価値観とは、一人一人が大切にされなければならない、その人にはその人だけに神様が与えてくださった役割、使命があるということです。
その人の代わりになる人は他にはいないということです。
でもそれは実際には面倒なことでもあるのです。
その人だけが持っている使命というのは、簡単にいうと自分だけのことを考えていてはいけません、ということです。
自分のやりたいことをやりたいようにやるのではなく、あるいは自分の時間を自分のためだけに使うのではなく、周りの人のために使うということです。
時には得にならないなあ、損だなあと思えること、何で自分だけがこんな苦労をしなければならないなあと思うこともしなければならないのです。

 

明日から第1定期テストが始まります。
41回生3年生にとっては自分の進路を考える上で大切なテストです。
このテストにきちんと取り組み成果を出すことが進路を拓くことになります。
けれど、そのテストに結果を出せばいい、他のことはしなくていいと考えないのが敬和学園です。
大切なテストに取り組みつつ、なお3週間後に行われるフェスティヴァルに取り組むことを求めるのが敬和学園です。
しんどくないはずがありません。
ですから進路についてあれこれ悩み考える中で「敬和に来なければ良かった」と思う瞬間があるかもしれません。
けれどみなさんは「敬和学園に出会ってしまった」のです。
出会ってしまった以上、敬和学園が大切にすることから目をそむけるわけにはいかないのです。
そして、目をそむけない中で大切なことに気づくことになります。
それは生きるということは、いくつものことを同時に考え、同時に取り組まなければならない、同時進行だということにです。
いくつものことを同時進行で行うことが、本当の意味で生きるということです。
それが物事を深く考えるということです。
それを失敗も許されながら取り組むのが敬和学園の3年間です。
グレゴリーがマンデラと出会うことによって人間らしくなっていったように、敬和学園と出会った、つまりイエス様と出会うことによって、自分らしい自分になれるのです。あるべき自分に変わっていけるのです。