自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2010/06/10
<これからのエネルギーにするんだよ。>
フェスティヴァルもいよいよ目前に迫ってきました。
長期間にわたって準備をしています。その疲れがみぎわ寮生全員に襲いかかっている、今日この頃。のどが痛いや、咳が出る、身体がだるい、変な二重目になってしまっている、などなどいろんな事を訴えてきます。だけどみんな朝になれば、元気いっぱいなのか、疲れた体に鞭打ってなのか、休まず登校していきます。
先日事務室でこんな会話を耳にしました。「なんだかみんな、フェスで燃え尽きちゃいそうだね。」という言葉に対して「燃え尽きちゃダメなんだよ、燃え尽きちゃ。フェスはこれからの敬和生活へのエネルギーを手に入れる機会なんだから!」と。
私はこの言葉で納得しました。みんながどんなに疲れても、しんどくても学校へ行く理由が!フェスティヴァルは、その当日だけではなく、準備にかかる時間までの全てが、みんなの心のエネルギーを得る場となっているのですね。それぞれ自分の役割があり、日々こなせている事を実感し、仲間と協力しながら互いをより知り、支えあい、創り上げていく事の喜びや達成感を全身で全心で味わっているのでしょう。だからこそ、普段だったらくじけてしまうしんどさも・ストレスにも対抗できているのだなぁ、と思いました。
2日間にわたるフェスティヴァル、大いに楽しんでください。みんながはじけている表情・姿を見るのを私も楽しみにしています。そして、これからの敬和生活におけるエネルギーをしっかり得てきてくださいね!みんながキラキラ輝くステキな表情で帰ってくるのを楽しみにしています!
(森口)
<いいお母さんになるかも!>
カタカタカタ、カタカタカタと夜になるとみぎわホールに響く音があります。何をしているのかなぁ?と見に行くと、そこは工房と化し、フェスティヴァルで着る衣装製作が行われているのです。ズボンを縫い、スカートを縫い、レースを付け、ギャザーを寄せ…それはもう上手に縫うのです。みぎわ館の元気な女の子たち、お裁縫やお料理なんて縁遠い!?なんて思っていた私がごめんなさい!みんな、お料理はしょっちゅう、お裁縫だってこなしちゃう事を、ここ最近になって発見しました。


「先生、見て!こんなの出来たよ!」、「ここの縫い目がちょっと雑かな!?」なんて言いながら素敵なデザインの衣装を見せてくれます。この衣装のデザインも敬和生が行うのですから、驚きです。みぎわ館にも衣装チーフが4人もいます。デザインの締め切りだなんだと、毎日切羽詰まったような顔をして、だけど同時にやりがいに満ちた姿で、生き生きと取り組んでいるみぎわ衣装チーフ団の姿を、みぎわ寮生がカタカタとミシンを踏んでいる時に同時に思い出します。彼女たちのデザインもこんな風に形になるんだな、なんて想像すると私までウキウキ。今縫っている、この人もフェス当日はこれを着て登場するんだな、なんて思うとまたドキドキ。毎日いろんな事を楽しみにしながら、みんなの姿を見ています。
「ねぇ、先生。私がミシン使えるとは思ってなかったでしょ?私、いいお母さんにかるかも!」と笑顔を向けてくれた人がいました。素敵なお母さん、素敵な奥さん、素敵な女性、素敵な人間へと、どんどん成長していってください!
(森口)
<礼拝のお話>
*T.K. (3年生)
今日は『ありがとう』という言葉について話したいと思います。皆さんは、お父さんやお母さんに『ありがとう』を文字にして贈ったことがありますか?私は去年の夏休み明け、お母さんにある手紙を書いて贈りました。それはたくさんの『ありがとう』です。
何に対して『ありがとう』と書いたのかというと、一緒に映画を見に行ってくれた事にありがとう。毎日、おいしいご飯を作ってくれた事にありがとう。お小遣いをくれたことにありがとう。私の相手をしてくれたことにありがとう、などです。とにかく、小さな、毎日の、何でもないような事を沢山並べて『ありがとう』の気持ちを伝えました。
私は敬和に来るまで、親にしてもらう事が当たり前のような毎日を過ごしていました。しかし、親元を離れて寮生活をしていくうちに、親のありがたみが分かるようになりました。普段は、なかなか恥ずかしくて口では『ありがとう』という事が出来ないけれど、手紙に書くことによって『ありがとう』の気持ちはいつまでも残るし、その人の心にもずっと残ると思います。
私は卒業する時に父と母に言いたい言葉があります。それは「敬和へ送り出してくれてありがとう」という言葉です。
みなさんもぜひ『ありがとう』という言葉を口に出してみたり、手紙に書いてみてください。どんな些細なことに対しての『ありがとう』であっても、気持ちは伝わりますし、相手が喜んでくれる事間違いなしです!
(6月2日)
*T.C. (2年生)
最近、日々の疲れが溜まり、毎日のように「クマがひどいよ」「大丈夫?」などといろんな人が心配してくれます。フェスティヴァルで忙しい毎日、それは私だけではないはずです。今日はこの『心配される』をキーワードにお話ししたいと思います。
中学校時代の私はある経験から他人を信じることができなくなりました。「まず疑う」、これが私が他人とかかわる時のルールでした。当時の私にとって「信じられるか?」「信じられないか?」がとても大事だったのです。電話でも愚痴しかこぼさない私を見かねて、「もう他人なんて信じない!」と送ったメールの返信に従姉はこんな言葉を伝えてきました。「信じるかどうかは知らないけど、みんなあなたを心配しているよ。私だけじゃなくて母ちゃんも父ちゃんもおじちゃんもおばちゃんも…。」
当時の私はこの言葉の意味を理解することができませんでした。ましてや、この返事に不満を覚えたのです。私が聞きたいのはそんな事ではない!と。この時の私は自分の事しか考えていませんでした。他人の想いなんてどうでもよかったのです。
それから幾らか月日が経ち、私は寮に入りました。寮での生活は初めてのことだらけで、毎日が楽しくて仕方ありませんでした。そんな日々を送っていく中で、中学時代の苦い思い出も、従姉からもらったメールも私は忘れていくのでした。
しかしそんな楽しい生活も長く続くはずがなく、昨年の9月10月頃は本当に落ち込んでいました。毎日がしんどくて作り笑いすら出来ませんでした。そんな時、寮での礼拝の最中、一人の40回生の先輩と目が合いました。先輩はニッコリと笑顔を向けてくれました。笑い返す余裕が無かった私も少し笑いました。
礼拝も自習時間も終わり、さっき礼拝で目が合った先輩が私のところに来て手紙とお菓子と写真と一冊の本を手渡してくれました。私があっけにとられていると、先輩はまたニコッと笑って「Cが元気になれるように!」と言って去って行きました。
頂いた手紙の中には、素敵な言葉がたくさんあって、その言葉一つ一つが私の心に染みました。くださった手紙や本を読んでいると、自然と涙が流れている事に気付きました。そして、以前従姉が私にくれたメールを思い出しました。思い出して、もっともっと涙が出ました。私はようやく、心配してもらえる事の喜びを知ったのです。
いつもあなたに電話をくれる厳しくも優しい人は誰ですか?いつもあなたを恥を捨ててまで笑わせてくれる人は誰ですか?いつもあなたが苦しい時、手紙をくれる人は誰ですか?その人たちが当たり前のようにあなたのそばにいる事が『幸せ』です。
神様、疲れている人がたくさんいます。どうかその人たちの心が癒されますように!
(6月4日)