のぞみ寮通信

みぎわ館

2010/06/05

みぎわ館 第47号(6月5日)

<意外と呼吸、忘れてる!?>

 

 
普段の学校生活と寮生活に加え、フェスティヴァルの準備が大詰めになってきた今日この頃、

「イライラする~!」「もー!疲れた!」「人に当たってしまう自分が嫌だー!」という言葉を耳にすることが多くなっています。心に起こる怒りや悲しみの感情や、プレッシャーや心地良くない緊張を緩め、ほぐす方法の一つに“呼吸”があるように思います。
0605m_01そのことを感じたのは、先日行われた第2回目のピラティスのレッスンの時でした。講師のM先生が難しいポーズを決めながら何度もおっしゃったことは、呼吸や身体を“意識すること”でした。一つ一つのポーズに近づくのに一生懸命になっていると、ついつい呼吸を意識することを忘れてしまいます。先生に促されて、意識してみると、呼吸が止まっていたことに気がつき驚きました。
皆、やるべきことが盛りだくさんの中でのピラティスでしたが、M先生が最後におっしゃったのは、「先回よりも集中していたよ!すごい!」という言葉でした。先回も、シャッターを切るのをためらってしまうほどの静けさだったのに、それ以上ということに感心しました。
「イライラする!」と叫び、「疲れた…」つぶやきながらピラティスに向かった生徒も、レッスンを終えて帰る時には、「ほー。」「はー。」と、柔らかな表情でした。この時期にピラティスのレッスンを開いていただける有難さをしみじみ感じました。2レッスン受けさせてもらった私は、まるで温泉に入った後のようなすっきり感・脱力感を味わいました。  
参加者の皆さん、あと2回のピラティスレッスン、貴重な時間です。参加できなかった皆にも伝えられるくらいに、自分の心や身体を知って整えるコツを少しでも掴んでください。
フェスティヴァルまであと数日です!心や頭がいっぱいになった時、ぜひ、深呼吸してみましょう。呼吸や身体を意識してみると、少しでも・少しの間でも、いつもの自分らしさを取り戻せるかもしれませんよ。

(冨井)

 

 

 

 

 

 

<ニャー!> 

 
0605m_02 人に自分の想いを伝える事は簡単で難しいものです。サラッと通じるときもありますが、きつく言ったつもりはないのに、怒られたと感じさせてしまったり、ビシッと言ったつもりでも冗談に受け取られていたり、なんてことがよくあります。
 みぎわ寮生間では、後輩は先輩に敬語で話しかけ、先輩は後輩に「意図が伝わるように」噛み砕いて話をしている姿がよく見かけられます。先輩が後輩に声を掛ける時、面白い話でも恐く聞こえるときがあります。それは語り手が「先輩」であるからです。声色や表情、その時の「先輩」の心の病み度によって「後輩」が受ける印象が変わってくるのです。それを知ってか知らずか、先輩達はいつも後輩達に言葉掛けする時にはとても優しく伝えます。自分の様々な経験から編み出した技なのでしょう、感心します。

 
 先日、みぎわ事務室でこんな事がありました。一人の3年生がゴミをゴミ箱に捨てる為椅子からスッと立った瞬間、入れ替わりで一人の1年生がその椅子に座りました。この間1秒もありませんでした。(その3年生が私と話をする為、その椅子にすぐ戻ってくる事を知っていた私は、どんな言葉の掛け合いがあるのか興味深々に見守っていました。)椅子に座ろうと振り向いた3年生、そこに1年生が座っているのを見るなり「ニャー!」と声を発したのです。まるで子猫がじゃれているように、とても可愛いジェスチャーを交えながら「ニャー!ニャー!フギャー!」と。見ているみんなから楽しい笑いが起こり、その椅子に座っていた1年生も笑顔で戯れながら席を譲っていました。
 「その椅子に私は座りたいんだ」という意思を表示するための方法はたくさんあります。「どいて」とストレートに言うのも一つでしょう。しかし、3年生が1年生に無表情・単刀直入に物を言うと、それだけで威圧感を与えてしまいます。自分の意思をしっかり表現しながらも、その場にいた誰一人として嫌な思いをさせずに伝えきった3年生の大人度に大いに感心した瞬間でした。

 
しかし、彼女が1年生の時からその様な事ができていたのか?答えはNOです。1年生の時ならきっと「え!?なんで座るの?」なんて言っていたでしょう。3年間の寮生活、山を越え谷を越える中で培われた心なのだと思います。寮生活の3年とはなんと中身の濃い、意味のあるものなのでしょう!この3年間で自分がどんな風に変身するか、分からないところがたくさんあります。毎日、同じことの繰り返しで、寮生活って何なんだ!と怒りがこみ上げ、不安に苛まれる日もきっとあると思います。だけどみぎわ寮生を見ていると、日々確実に前進している事、学年を追うごとに「隣人を愛する」ことができるようになっていることを実感します。いつの日かみぎわ寮生一人ひとりがそれを自覚でき、喜べる日が来る事を願っています!   

(森口)

 

 

 

 

 

 

<礼拝のお話>

 
*T.M. (3年生)
 私は2年生の春休みに、ある壁にぶつかりました。それは部活である声楽部で、練習を頑張っても成果が出ないという事でした。今私は声楽部のマネージャーですが、当時は普通の部員でした。
兄が声楽部・シュビドゥバーズのOBだったこともあり、歌う事が好きだった私は1年生の4月に声楽部に入部しました。その頃は、練習は厳しいながらもまだ歌うことを楽しめていたのだと思います。しかし、そんなに甘くはありませんでした。声楽部にはコンクールに出る人を選ぶ「セレクション」というものがあり、1年生の冬、アンサンブル・コンテストのセレクションで、私はあと一つ!というところで落ちてしまいました。でも落ちてしまった事で部活が嫌になったのではなく、今まで一緒に頑張ってきた仲間達がどんどん上手くなっていく事に焦りを感じていたのだと思います。
それから私の病み期は始まりました。音楽室に行けばなぜか疎外感を感じ、涙が出てしまう。挙句の果てには歌を歌うことが大嫌いになっていました。そこで私が出した結論は退部する事でした。
声楽部に私が居る意味はないと感じ、私は昨年の4月に退部届けを出しに行きました。しかし、荒木先生はその退部届けを受け取ってはくれませんでした。9月末まで休部して、それからもう1回考えようと言ってくださいました。この荒木先生の言葉が今に至っている訳です。多分、あの時先生が退部届けを受理していたら、今の私は無かったと思います。
それからというもの、気持ちが落ち着くまでは部活の事を考えないようにしていました。しかしある時母に言われたのです、「このまま部活を辞めるのも良いけど、お前が辞めても部活自体は今と変わらないよ。そういう気持ちを経験したお前が変えてみろ。」と。
その言葉をきっかけに私はマネージャーと言う立場で戻る事を決心しました。初めは、みんな私のことを受け入れてくれるか不安でしたが、やっぱり戻って良かったとみんなの笑顔を見て、思えました。だから私は今まで散々迷惑を掛けた部活のメンバーと荒木先生に恩返しをする為に、精一杯、やれる事を頑張りたいと思います。
みなさんもぜひ、何事にも逃げずに立ち向かってみてください。きっとよい方向に何かが変わるはずです!

(5月18日)

 

 

 

 

 

 

*W.Y. (3年生)
今日は『愛』について私の思ったことをお話したいと思います。
水俣病・イタイイタイ病という有名な、公害による病気があります。これは科学技術が進歩したから出てきた病気です。昔、政府は国民がこの病気に苦しめられていても、進歩や発展のために知らない振りをしていました。しかし、政府の中にこの問題を解決しようと動いた人が一人いました。田中正造という人です。この人は国民の為、政府に訴えました。そんなことをすれば政府は彼を疎ましく思います。案の定、彼は政府から追放されてしまいます。それでも彼は長い間訴え続けました。すると政府は公害を認め、苦しめられている人々や町を助けようと動き出しました。しかしこれで公害が終ったわけではありません。工場から出る排水・煙を受けていた街を助けたら、その排水や煙はどこへ行くのか?それは他の町に向けられます。そうしたら、また新たな町や人に公害が生まれます。田中正造は、そんなのは本当の解決ではないと再び政府に訴えます。今度は、彼が最初に助けた町の人たちが協力してくれて、公害の苦しさを知っているからこそ、一緒になって訴えてくれました…という訳には行かなかったのです。その人達は「自分達が助かったから良い」「田中正造の後に付くと政府に目をつけられて面倒だ」という事で、彼を見捨てたのです。それでも彼は国民の為訴え続けました。訴えながら、彼は一人寂しく死んでいったのです。

 
私は政府から追放され、町の人たちから裏切られ、お金も家も全てを無くしてしまった田中正造は、公害問題に触れなければ地位も名誉もお金も家も失う事はなかったのに…とおもいました。しかし、一文を読んで考えが変わりました。「田中正造が独りで死んだときの持ち物は、鼻をかむ紙切れと、ボロボロに読み込まれた聖書だったそうです。」という所です。彼の持ち物はこの2つです。
田中正造は聖書を通して本当の『愛』を見つけたんじゃないのかな、と思いました。愛があるから、自分以外の人にあれほど尽くして死ねたんじゃないかと思いました。地位や名声やお金や家よりも、愛のほうが価値があって、色んなものを幾つ並べても、たった一つの愛には勝てないのではないかと思いました。大げさに言えば、愛さえあれば、何も必要ないんじゃないのかな、とも思います。色んなものを持っていても愛が無ければ、どこか満たされないだろうし、生きていてもつまらないと思います。愛は地球上のどんな物よりも大きくて価値のあるものなのだと思いました。
私は人に愛をあげられる人になりたいです。他の人から愛をもらったり、返して欲しいという感情抜きに、沢山の人に愛情を与えてあげられる人間になりたいです。 

(5月25日)