自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2017/12/25
私の名前、二巳夫の名付け親は母です。
スポーツが好きで特に野球が好きで、そこで当時プロ野球阪神タイガースの選手で、ホームランバッターとして人気のあった藤村富美男からとったとのことです。ここという時にチームを助けるヒットやホームランを打つ藤村選手のように、助ける人頼れる人になってほしいという願いを込めたというのです。
その願い期待通りの人間になれたのか、残念ながらそうはなれませんでした。
ただ野球選手から名前を考えられたこともあってか、子どもの頃から野球は大好きでした。
見るのもするのも大好きです。
好きな野球チームは阪神タイガースではありません。
11歳年上の兄が阪急ブレーブスというチームのホームグラウンドである西宮球場によく連れて行ってくれたこともあって、阪急のファンになりました。
60年間それは変わりません。
阪急は、今はオリックス・バッワァローズという名前に変わっています。
オリックスはアメリカ大リーグで長い間活躍しているイチローが所属していたチームです。
オリックス、このところ勝てません。
今年こそ優勝してほしいという私の祈りはずっと裏切られっぱなしです。
でも今年うれしいことがありました。
それはプロ野球で打たれたホームランの数が10万本になったのですが、記念すべき10万本目のホームランを打ったのが、オリックスのマレーロという選手だったからです。
9月29日のことです。
この10万本目のホームランにはへぇーという話があります。
9月29日から遡ること5か月、6月9日のことです。
オリックスがセパ交流戦でセリーグの中日ドラゴンズと試合をしている時のことです。
マレーロ選手は5回に日本に来て初めてのホームランを打ちました。
ツーラン・ホームランだったので、2点が入り、オリックスが逆転したかに見えました。
ところが中日からのアピールがありました。
何事が起ったのかよくわからず、球場がざわついているところに、審判の説明が始まりました。
マレーロ選手がホームベースを踏み忘れたのです。
ホームベースを踏まず、そのままベンチに戻ったのを見て、中日のキャッチャーがアピールをして、ホームランが取り消され、記録上は3塁打になりました。
次の日の新聞には、マレーロ、幻のホームランを打つ、ホームベース踏み忘れと、スポーツ欄の見出しで大きく出ました。
まあ、カッコの悪い話です。
こういうシーンはプロ野球の珍プレー特集で繰り返し放送されます。
関西の野球ファン、とくにおっちゃんは、敵のチームにも味方のチームにも笑いそうなヤジを飛ばします。
それから約5か月後のことです。
ロッテ・オリオンズとの試合でマレーロ選手がホームランを打ちました。
それはただのホームランではありません、
プロ野球10万本目の記念アーチとなったのです。
マレーロ選手が打つ少し前に同じオリックスのT岡田もホームランを打ちました。ということはもしマレーロ選手が5月のゲームでホームベースを踏み忘れてホームランが取り消しにならなければ、10万本目のホームランを打ったのは岡田選手だったのです。
マレーロ選手がもしホームベースを踏み忘れなかったら、カッコの悪いことをしなければ、100万円の賞金はもらえず、10万本目のホームランを打った選手として記録されることもなかったのです。
失敗したと思う出来事が結果的によかったのか悪かったのか、後になってわかるということがあるのです。
ホームベースを踏み忘れたマレーロ選手が、ホームランを1本損をして、そのおかげで10万本目の記念すべきホームランを打つことになったのは、マレーロ選手の気持ちや意思とは関係がありません。
たまたま、偶然です。
何かの拍子に何かの力が働いたのです。
キリスト教はそうした偶然としか思えない出来事を、そこに神の意志が働いたと考えます。
そこに神の愛が働いたと考えます。
ホームベースを踏み忘れてホームランをふいにしてしまって、一番情けない思いをしたのは本人です。
他の人はすぐに忘れるでしょう。
でも本人はこのことを忘れたくても忘れられなかったのです。
マレーロ選手が受けたインタビューによると、ホームベースを踏み忘れた自分に、腹が立って仕方がなかったとのことです。
ある人がはっとする一言を言ってくれたそうです。
それは、毎日を大切に過ごことで、あの出来事が違った受けとめ方ができるようになる、とのことでした。
一つの物事を短くではなく長いスパンで見たら、それまでとは違った見え方がするということです。
違う価値観が生まれるのです。
それは学校生活の中にもそのまま当てはまることです。
たとえば今1月の入学試験を受けるために、学校見学をしてくれる中学生がたくさんいます。
その中に、中学校生活が順調でない人も少なからずいます。
人間関係がうまくいかず、また体調が悪くて学校に通えないでいる人がいます。
みなさんの中にもそういう体験を持った人がいるはずです。
そして、それだけを取り出してみれば、マイナスの出来事にしか見えません。
しかし、もう少し長いスパンで見てみると、違う見え方がしてきます。
中学時代にあの嫌なことがなければ、敬和学園を知ることもなかった。
思い出したくもない辛い体験をしなければ、敬和学園に入学することはなかった。中学に行きたくても行けない状況に陥らなかったら、こんな幸せな高校生活を送ることはなかった。
これは敬和学園での3年間を終えた人たちがしばしばもらす感想です。
卒業と進級まで、残すところ2ヶ月3ヶ月になりました。
今の私たちに求められているのは、1日一日を大切に過ごすとの気持ちです。
その人に神の愛が働かないはずはないのです。
それを心にしっかり刻みながら過ごすなら、冬休みは必ず充実と成長の時になります。
1月9日の始業礼拝でお会いしましょう