月刊敬和新聞

2017年11月号より「敬神愛人に生きることは自己肯定感を回復すること」

校長 小西二巳夫

万城目学「悟浄出立」
 作家万城目学の作品に「悟浄出立」があります。「西遊記」の登場人物の一人、沙悟浄からみた猪八戒について書かれた物語です。猪八戒は天界の水軍の武将として有名でしたが、だらしのない生活をしてお上の逆鱗に触れて天界から地上に追放されます。その際に豚のお腹に入ったために、ユーモラスな風貌に生まれた、これが猪八戒のよく知られた人物像です。万城目学はその猪八戒を内面的に掘り下げて書いています。そもそもお上や周囲の人たちから、その能力を認められ高い地位に上り詰めた猪八戒が、なぜ身の破滅を招くような行為に及んだかです。そこには一種の覚悟がありました。猪八戒は沙悟浄にその胸中を語ります。「自分は過程を貶し、現実を愛せなかった」。猪八戒は立身出世をしたけれど、それでもって心が満たされることもなく、自信も持てなかったようです。猪八戒は自己肯定感が持てなかったというのです。

猪八戒 自己肯定感を回復する
 その猪八戒が三蔵法師に、孫悟空と沙悟浄に出会います。そして西国を目指して旅に出ます。ひたすら歩き続ける旅が退屈でむなしいかというと、そうではありません。猪八戒はかつてバカにしたそこに至る過程を楽しんでいるのです。その変わり様を尋ねた三蔵法師に彼は答えます。「お師匠様たちと一緒に旅をしているからです。だから俺は現実から逃げずにやっていけるのです」。孫悟空は、正義感は強いが激情型で言葉が悪くカチンと来ることもよくあります。沙悟浄には消極的ではっきりしない、イラっとさせられることもしばしばです。猪八戒にとって二人は付き合うのが面倒くさい存在です。その二人を三蔵法師がなぜ弟子に選ばれたのかが納得できませんでした。もっとできのいい存在をお供に選ぶべきではないのかと思いました。ところが彼らと毎日顔を合わせ、言葉を交わす中で、彼らの一言にふっと心が軽くなり、思わず笑うこともしばしばありました。猪八戒は違いをもった彼らと一緒に旅をすることを通して、自分を受け入れることができるようになっていったのです。

校長先生人気ありますね?
 西国を目指して旅をする個性的な面々の様子と、彼らがさまざまな課題に向き合う様子、それと敬和学園の三年間が重なって見えるといったらいいすぎでしょうか。しばらく前のことです。出張帰りにドラッグストアーに寄りました。調剤薬局の入り口から入りました。注文をしようとした時です。後ろから「校長先生」と声をかけられました。卒業生のA君がニコニコしながら立っていました。彼が着ている上着と胸の名札から、そこで働いていることはすぐにわかりました。彼は私に気がついて、自分の持ち場のレジから近づいてきてくれたのです。「えっここで何をしてるん」。ついついいってしまったつまらない質問をきっかけにしばらくやりとりをしました。レジにお客さんが並び始めたので、彼は持ち場に戻っていきました。A君とのやり取りを見ていた薬剤師さんがいわれました。「校長先生人気ありますね。うらやましいですね。うちの息子、卒業した高校の先生に声をかけるかしら」。私が万が一、人気者だとしても、たまたまお店にやってきた卒業した高校の校長に、自分の方から近づいて行って声をかけることをするでしょうか。私にはできなかったでしょう。それが当たり前のようにできる、ふつうに会話ができるのです。そうしたことができればどこでもやっていける、生きていけるのです。それは敬和学園が三年間を通してぜひ持ってほしいと願う自己肯定感の一つです。

敬神愛人に勝るものはない
 敬和学園でその人が本来持っている自己肯定感を回復できるとしたら、その理由は一つです。建学の精神「敬神愛人」がそれを目指しているからです。「主なる神を愛し隣人を自分のように愛する」とは、イエスが人として何を大切に生きなければならないのかと尋ねられた時の返答でした。当時多くの人が存在を否定されながら生きていました。生きる意味を奪われながら生活していました。イエスは彼らに敬神愛人との言葉でもって、存在を肯定し生まれてきた意味を明らかにし回復されたのです。敬神愛人に生きることによって、自分や家族、周囲の人たちが幸せになれる、一人ひとりがそのために大切な存在として生きている、それを当時の人々にわかりやすい言葉で語ったのです。敬和学園は毎日の全校礼拝と授業や行事によって、自己肯定感の回復に取り組んできました。これからもそれを大切に歩む学校でありたいと願います。