自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2010/05/24
今人気がある曲が何かを教えてくれるものに、そして自分の気に入った曲がどのくらい売れているかを知るためにヒットチャートというものがあります。
アメリカの曲ならビルボード、キャッシュボックス、日本の音楽ならオリコンを思い浮かべます。
そのヒットチャートの一つにユウセンというのがあります。
そのユウセンの総合順位で最近1位になって話題になった曲があります。
曲のタイトルは「祈り」です。
アルファベットでINORIと書きます。
歌っているのはクミコというおばさんのミュージシャンです。
クミコさんはメッセージソングを得意としていて、平和の大切さや戦争の愚かさをテーマにした曲を歌うことが多い人です。
INORIもその一つです。
歌詞の一部を紹介します。
『別れが来ると知っていたけど、本当の気持ちが言えなかった。
色とりどりの折り鶴たちに こっそり話しかけていました。
折り鶴を一羽折るたびに 辛さがこみ上げてきました
だけど千羽に届けば 暖かい家にまた戻れる
願いは必ずかなうと 信じて祈り続けました
だけど涙が止まらない 近づく別れを肌で感じていたから
泣いて泣いて泣き疲れて 折り鶴にいつも励まされて
祈り祈り祈り続けて 夢をつなげた毎日でした
めぐりめぐり行く季節をこえて 今でも今でも祈ってる
二度と二度と辛い思いは 誰にもしてほしくはない 誰にもしてほしくはない』。
この歌の主人公はもうすぐ死んで行く人です。
その人が残される人たちに語りかけているわけです。
そして歌詞の中に何度も「折り鶴」という言葉が出てきます。
この曲の作詞・作曲は佐々木祐滋という人です。
祐滋さんはロックバンド「GOD BREATH」のボーカルとして活動中ですが、彼のおとうさんは雅弘さんといい、佐々木偵子さんという今から55年前に亡くなった女性のお兄さんです。
偵子さんは広島にある平和記念公園の中にある 「原爆の子の像」のモデルになった少女です。
偵子さんは2歳の時に爆心地から2キロ離れた場所で被爆します。
その後は元気に生活していたのですが、被爆から10年目の1954年に急に体調を崩し、広島赤十字病院に入院します。
偵子さんは病院で、鶴を千羽折れば、病気が治ると信じながら、薬の包み紙や包装紙などで1,300羽以上の鶴を折り続けました。
しかしその願いもむなしく1955年10月、原爆症で亡くなります。
禎子さんの死に衝撃を受けた同級生たちは、「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑をつくろう」と全国へ呼びかけ、そして完成したのが「原爆の子の像」です。
祐滋さんが「祈り」という曲を作ったのは、原爆の犠牲になった偵子さんを叔母に持つ自分の使命だと考えたからです。
クミコさんは「祈り」を6月6日アメリカ、ニューヨークのセントラルパークで行われる第4回のジャパンデーで歌うことになっています。
ジャパンデ-というのは日本の文化や習慣を知ってもらうために開かれるフェスティヴァルです。
最初、クミコさんはそういう場所で「祈り」を歌うことに躊躇したそうです。
それは原爆の愚かさを、原爆を落とした国で歌うことが受けいれられるだろうかと不安になったからです。
大きな反感を買うのではないだろうか。
けれど、ジャパンデーで「祈り」を歌うことを通して、原爆の愚かさや人間の悲しみを伝えるのが、これまでメッセージソングを歌い続けてきた自分の使命であることに気づきます。
そして、この曲を通して、一人でも多くの人が、平和について考えて欲しいとの祈りをこめて歌うことにしたそうです。
平和について、今日の聖書は実に明快に書いています。
「平和を作りだす人は、幸いである、その人は神の子と呼ばれる」。
神の子という言葉は最高のほめ言葉です。
神の子と呼ばれることほど、人間としてほめられる生き方はないということです。
そして、その生き方こそが神様が、人間一人一人に共通した使命として与えられているものだということです。
敬和学園の校歌3番に「使命の道に生き抜かん」とありますが、敬和生にとっての共通の使命とは「平和を作りだす」ことなのです。
「平和を作りだす」ときくと、ものすごくたいそうに思えるかもしれませんが、決してそうではありません。
わたしたちのごく身近なことです。
たとえば、毎日ある敬和学園の授業においてしっかり学ぶことです。
近現代史をきちんと学べば、日本の侵略戦争とは何かがわかってきます。
敬和学園の図書館にたくさんある近現代史関係の本を借りることです。
また、新聞の見出しを眺めるだけで、今日本の中で何が起こっているかがわかります。
フェステイヴァルあけにやって来る海外教室アメリカ版の人たちと平和についてディスカッションしてみる事です。
夏にある広島碑めぐりの旅に参加してみることです。
41回生は秋の修養会でヒロシマに行くわけですが、それまでにしっかり事前学習を深めることです。
そうした毎日の生活をきちんとすることによって、その人たちは神の子と呼ばれるようになるのです。
本当のことを知ろうとする姿勢を持つ人を、イエス・キリストの神様は神の子と呼んでくださいます。
それでは自分の使命を自覚しながら、お互いがお互いを神の子と認めあえるような1週間にしていきましょう。