毎日の礼拝

校長のお話

2010/04/19

「シャーロットのおくりもの」(ヨハネによる福音書12章23~26節)

「シャーロットのおくりもの」というお話があります。
アメリカを代表するファンタジーで1952年に発表されました。
わたしが生まれた年ですので58年前の作品です。
世界中で愛されているお話で、数年前に映画になりました。
メイン州の田舎町の農家で11匹の子ブタが生まれます。
しかし母ブタの乳は10個しかありません。
そこで一番小さな1匹が処分されることになります。
それを知った11歳の娘ファーンは、その子ブタにウィルバーと名付け母親代わりなって育てことになりました。
やがてウィルバーはファーンの隣に住む叔父さんの農場で飼われることになります。納屋には馬、牛、羊 ガチョウ、それにねずみがいました。
最初は他の動物とうまくやれていたウィルバーですが、内面的に成長していないこともあって、それに何より身勝手な行動をや言葉をいうために、周囲はだんだん嫌気がさしてきます。
ウィルバーが「遊ぼう」と誘っても、「今は忙しい」「ブタには興味がない」「「遊ぶなら一人で遊びなよ」と無視をされるようになります。
しかしウィルバーは周りの動物が自分にかまってくれなくなった原因のほとんどが自分にあることにまったく気づきません。
そしてつぶやきました。「ぼくはまだ小さい。この納屋には本当の友だちはいない。ああやんなったちゃうな」。
そのウィルバーに暗闇から声をかけてきた存在がいました。
頭の上、納屋の天井の方から聞こえてきた声がいいました。
「ねえ、ウィルバー、友だちがほしいの、わたし、お友だちになってあげるわ。一日中見てたら、あなたのことがすきになったの」。
次の朝その正体がわかりました。
それが本のタイトルになっているシャーロットです。
シャーロットはメスのクモでした。

 

ウィルバーはシャーロットという友だちができて元気になり、毎日が楽しくなります。しかし彼は自分の運命を知りませんでした。
その運命とは農家の人たちがクリスマスのご馳走としてウィルバーを殺してハムやベーコンにするということでした。
やがてその運命を知ったウィルバーは泣き叫びます。
その様子を見ていたシャーロットは何とかしてウィルバーを助けようと決心します。
シャーロットは納屋の入り口の上にクモの糸で、日本語にすると「特別なブタ」、「たいしたやつ」とアルファベットで綴りました。
それを見た農家の人たちはびっくりします。
農家の人たちの中には、糸でアルファベットを綴ったクモがすごいと考えた人もいたのですが、常識から考えてクモが自分の意思でそれを行ったとは考えられません。ですから彼らは「奇跡」が起こった、そしてウィルバーが特別なブタだと受けとめました。
評判はあっという間に広がり、あちこちから大勢の人が見物にやってきます。
この奇跡によってウィルバーは殺されずにすんだように見えました。
しかし、しばらくすると誰も見に来なくなります。
そこでシャーロットは再び糸で今度は「最高、すばらしい」という意味のアルファベットを綴ります。
再び奇跡は起こったともてはやされますが、しばらくすると、前と同じようになりました。
そうこうしているうちに秋になり動物や農作物の品評会があり、「奇跡のブタ」であるウィルバーも出場することになります。
もしウィルバーが1等賞のメダルを取れば食べられることはありません。
しかしウィルバーが優勝するはずはありませんでした。
そこで、シャーロットは卵を産むという人生の大仕事をしなければならなかったにもかかわらず、品評会の会場に出かけ力を振り絞ってウィルバーの柵の上にアルファベットを綴りました。
シャーロットは何と書いたのでしょう。
それは「ひかえめ、つつましい」です。
その文字はそれまでの大げさな表現と違ってウィルバーにぴったりの言葉でした。
結果、ウィルバーは、それによって奇跡的にメダルをもらい殺されなくなりました。シャーロットは会場で卵を産むと力尽き果てて死んでしまいます。

 

このお話から本当の奇跡とはなにか、わたしたちが何に気づき、何を大切にいきていけばよいのかがわかります。
それを映画のエンディングで歌われる曲の歌詞が教えてくれます。
「すぐ近くで起きているふつうの奇跡
 雪は冬に舞い、新芽は春に顔を出す
 人生はまるで毎日が贈り物のよう あなただけの宝物を見つけ出して
 すぐ近くで起きているふつうの奇跡
 つらい朝を迎えても 夢を手放さないで しっかりと胸に抱き 奇跡を信じて
あなたも奇跡の一部 
どんなことでも 時が来れば答えが出る
 すぐ近くで起きているふつうの奇跡
 今日も あなたの近くで 起きている奇跡が」
奇跡というと何か人間業ではないような出来事、神秘的な出来事ばかりを想像しますがそうではないのです。
「あなたも奇跡の一部」というように、みなさんの存在そのものが奇跡なのです。
こうして毎朝敬和学園のチャペルで一緒に礼拝をしていることが奇跡、みなさんが41回生、42回生、そして43回生として授業を受けられることが奇跡だということです。みなさんはすでに奇跡の中に生きている、毎日を過ごせているということです。
そして「どんなことでも、時が来れば答えが出る」というように、今自分にわからないことがあって、納得できないことがあっても、その毎日がすでに大きな贈り物だということです。
毎日をウィルバーのようにつつましく生きようとする、そこに一粒の麦が地に落ちて死んだように、命をかけて支えてくれたシャーロットのように、イエス・キリスト、イエス様の支え、助けがあるのです。
今週1週間共に歩んでいきましょう。