のぞみ寮通信

のぞみ通信

2010/03/10

のぞみ通信 No.159(3月10日)

「私の愛の内にいなさい」

   
寮長 信田 智

 

 

Y.A.さんが、のぞみ寮における3年間の自分探しを振り返って、本当に素晴らしい成長の軌跡を見せてくれました。おそらく40回生皆で、共有できる内容であったと思います。

 

私は、新潟に来た最初の年の正月に、5歳と3歳の子供を連れて、雪が積もっている中で凧揚げをした。新潟で正月に凧揚げをしている人など誰もいないのです。こまを回そうにも雪で回す場所がない。新潟では正月に凧を揚げたり、こまを回したりしない事に、36歳にして初めて気付きました。
 生まれも育ちも、文化も違うところから来た思春期の若者たちが、一つ屋根の下で生活を共にするのですから、私のように信じられない行動を取る者もいるし、理解に苦しむような事が日々起こり、ぶつかり合いがあり、苦労する事が多かった日々だったと思います。それが今では、切っても切れない絆で結ばれ、兄弟のような交わりを持つようになった。なんとも不思議な事です。のぞみ寮での出会い、交わりを通して、君たちはいろいろな違いを受け止め、吸収できる豊かな心を養ってきた3年間であったのです。その事に自信を持ってください。

 
 40回生一人一人、厳しい現実、緊張の連続の中で、よく忍耐しつながり続けてくれたと思う。その柔軟さ、逞しさに敬意を表します。中には、離れないでよかった、離さなくてよかったと思う人も何人かいる。つながり続けた結果、今日があるのです。
これからは、更なる困難が待ち受けていると思う。そこには、新たな緊張が生まれてくる。その緊張の糸を断ち切ったら、どれだけ楽になるだろうと思う時がある。けれども、決して、つながるべき所から離れてはならない。私が正月に揚げた凧は、強風に吹かれて、緊張の糸が切れ、気持よさそうにどこかに飛んでいってしまった。その結果は自ずと分かるでしょう。
 主イエス・キリストは「私につながっていなさい。私を離れては、あなたがたは何も出来ない。」と言われた。君たちは、ここを巣立っていけば、今までのように、いつも主イエスが傍にいる環境ではなくなる。しかし、この敬和学園で、こののぞみ寮での3年間、自分の人生において、本当につながるべきところがどこであるかを、身をもって感じ取ってきたはずです。
 どんな事があっても、主イエス・キリストから離れないで欲しい。主イエスは「私の愛の内にいなさい。」と招いておられる。その愛の内にとどまって、つながってさえいれば、たとえ、自分の魂が枯れ果ててしまったように思えても、やがて、主の命が通いはじめ、豊かな実りの時が来る。

寮修了礼拝 2010・3・1

 

 

 

 

 

 
寮生リレー通信  (第 77 回)

 

<めぐみ館>

 

『3年生への感謝』        M.M(2年:新潟県上越市)
 寮修了礼拝は、私たち2年生にとって2年間もお世話になった40回生との最後の行事でした。私たちは、どうしたら3年生の方に感謝の気持ちを伝えられ、また、心に残るような出し物が出きるか、めぐみ館2年生全員で考えました。そして、歌と一人一人の名前を呼ぶこと、40回生めぐみ館のサブテーマを出し物に盛り込むことに決めました。
決めるのは割と簡単に進んだけれど、いざ練習となると、2年生同士の連携がとれていなかったり、まとまることができなかったりと大変でした。今まで、いつも私たちを引っぱって下さっていた3年生の存在の大きさを実感しました。何回も練習を重ねることで、まとまりもでてきて、本番のめぐみ館の出し物の時には、トラブルも多少ありましたが、上手くいってよかったと思います。何よりも、3年生の方に喜んでもらえたことがうれしかったです。
感謝の気持ちが伝わって、「もう、41回生に任せても大丈夫!」と思っていただけるといいなぁと思います。2年間、本当にたくさんお世話になりました。今までありがとうございました。

 

 

 

 

<光風館>

 

『一年間の振り返り』     H.M.(1年:新潟市西蒲区巻)
 僕にとって、この一年間は寮生活と学校生活を両立させるのが大変でした、何がどう大変だったかというと、寮生活では、あいさつや気遣いなど、上級生下級生の関係のことでした。また、入寮してから一から組み上げていく、まるで積み木のような友達関係も最初はとても大変でした。でも、右も左もわからない僕に同級生達は優しく接してくれ、また先輩方は丁寧にいろいろなことを教えてくれました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
 寮生活をするようになって、大きな変化がうまれたのは勉強のことです。特に自習時間の使い方が変わりました。僕は、はじめの頃、自習時間中ほとんど勉強していませんでした。テスト前にすればいいや、と考えていたからです。でも、二回目の部屋替えで、ある先輩と同室になったことで僕は変わりました。その先輩は、僕とは全く逆なことをしていました。どういうことかと言うと、その先輩はいつも、自習時間中は遊ばないで勉強をしっかりやっていたのです。だからテスト前になっても焦らずにコツコツと勉強していました。その先輩は僕にこう言いました。「自習時間に勉強する癖をつけたほうがいいぞ」と。そして僕は、自習時間中に勉強するようになり、テストの時も全く焦らなくなりました。中学生の自分と高校生の自分は全く違うものになりました。僕は寮生になってとても変わりました。最近、そのことに気付きました。ですから、この一年間はとても充実していたように思います。
       

 

 

 

 

 

 

<みぎわ館>

 

『夢の中みたいな出来事』    A.N.(2年:東京都大田区)
 阿賀北ロマン賞とは、敬和学園大学主催の文学賞だが、その第二回目で私は『一般・大学生の部』で『大賞』を【夢の中で】というタイトルの小説で受賞した。こんな名誉ある賞をぽっと出で登場した私が受賞して良いのかと思うが、自分の作品が認められて凄く嬉しい。更にのぞみ寮通信にスペースを頂いたので、私の過去を少しだけお話したいと思う。
 私は小学三年生まで男子の中に混じってサッカーをしたりする方が好きで、本を読むことが嫌いだった。それが、図書館で読書の授業中に読んだ【アラジン】がきっかけで本の世界にどっぷりはまってしまった。それからは童話から専門書までとり憑かれたように手当たり次第読み漁り、読書の虫を越えて立派な活字中毒となっていた。小学五年生になると自作小説を書き始め、それは登場人物や時代背景を変えて、趣味となり今も続いている。ちなみに私の作風はライトノベルでありケータイ小説とは違う!
 そうすると今度は誰かに認められたいという思いが募った。賞に出したいと心の中で叫んでいたところ、敬和で阿賀北ロマン賞と出会った。その第二回目に私は応募した。そして1月15日。敬和大学の先生からなんと大賞を受賞した事と、慶応義塾三田文学の編集長である加藤宗哉先生から「もう一作品読みたい」という事をメールで知らされた。それに祖父は狂喜して親戚中に電話しまくり、祖母は文字通り引っくり返ってから「あれや、神さんのおかげや」しか口にしなくなり、妹はそんな二人を冷静に観察し、父は「信じられない、だが認めるしかない」とケーキを買ってきた。ケーキを食べながら、「好きこそものの上手なれ。レッツチャレンジ!」と私は思った。これを読んで下さった方、執筆活動中の協力者の方々、有難う御座いました。そして今、加藤先生依頼の「もう一作品」の締め切りと受賞式と第五定期テストに追われる毎日を送っているのであった。

 

 

 

 

 

 

<大望館>

 
『不安と期待の2年生』        S.T.(1年:新潟県三条市)
校長先生と入学礼拝で握手してから1年の月日が流れました。本当に「アッ!」と言っていたら終っていた、と言うような長いようで短い1年でした。そして、そんなこんなで自分もとうとう2年生になる時がやってきました。後輩が入ってきて自分も先輩になるのです。そして、2年生になるに当たって自分も不安がないわけではありません。勉強が更に難しくなるに当たって、成績が下がらないか不安だ、寮に後輩が入ってきてその後輩達に上手く寮のきまり事などを指導できるか不安だ、皆の手本となれるような立派な上級生になれるか不安だ、など言い出したらキリがありません。でも、僕はこれを一つのチャンスでもあると考えています。不安というものは自分の弱点を的確に表します。その弱点を知ることでそれを克服する良い機会である、と思えるからです。それに何と言っても後輩ができるわけですから、何も全部が全部不安と言うわけではありません。むしろ楽しみや期待といったものの方が大きいです。この貴重な機会をバネにしてこれからの敬和生活も励んでいきたいです。

 

 

 

 

 

 

<寮修了礼拝 40回生代表挨拶>            

 
                                 めぐみ館 Y.A.              
 「今までの自分を誰も知らないところだったら、きっと全てがうまくいくはず。」
そう信じて疑わず、この場所にやってきたあの春から、もう三年の月日が経とうとしています。
実際の私の寮生活は、笑えてしまうくらい、うまくいかないことの連続でした。仲間たちとの共同生活で、私はあるひとつの壁にぶつかりました。「自分の気持ちが、うまく相手に伝わらない。皆のきもちも、よく分らない。」仲間と自分との間に、大きな距離を感じて、焦りばかりが募り、焦りは、もどかしさに変わり、そしてそのもどかしさは、いつからか「なんで皆は自分のことを理解してくれないのだろう。」という思いに変わっていきました。
 しかし、あるときふと気付きました。「理解してもらうことを求めている自分こそ、みんなのことをちっとも理解しようとしていなかった」ということに。また、「今も、今までも、うまくいかないことを、周りのせいにしてきていた」ということに。
 それは、自分中心でしか物事を見ることができずにいた自分に気づいた瞬間であり、また、今まで目を背け続けてきた、というよりは、認めようともしなかった、自分の持つ「弱さ」を思い知った瞬間でした。それから私は、相手の話にしっかりと耳を傾けること、そして、自分自身と真正面から向き合うことをはじめました。しかし、全然うまくいきませんでした。良かれと思ってやったことは裏目に出、焦れば墓穴を掘り、空回りと失敗ばかりを繰り返しました。自分のだめさに、泣きたくなりました。

 
 心が折れそうになっていたそんなある日、寮の友人が話を聞いてくれました。彼女は、何もいわずに相槌を打ちながら聞いた後、こう言いました。
「ぜーんぶ完璧な人間なんか、うち好きにならへん。あほでばかで、しょーもなくて、どうしようもないくらいだめなとこのある人間のほうが、人間らしくて、うちは好きや。」肩の力が、抜けていきました。彼女は私に「受け入れる」ということを教えてくれました。
 自分自身を前よりもやさしく眺めることができるようになってくると、次第に人やものの見方が、変わっていきました。以前は「価値観や考え方が違う=理解しあえない」という風にしか、考えられなかったのですが、自分と違うものに出会っていくことを、面白いと感じるようになったのです。 
すると、寮での生活が、何十倍も楽しくなりました。「みんな違う。だけど、みんな同じ。」
 三年かけて、私は「人と人との、深い部分での確かな繋がり」を感じることができました。
一緒に笑って、一緒に泣いて、一緒に悩んで、たまに本気でぶつかって、でも気づけばまた笑いあっている。一人ひとりが、本当にかけがえのない存在で、友達というよりは、もはや家族。そんな温かい環境の中で、私たち40回生寮生は、学年テーマ「ともに喜ぶ」を、三年間全身で味わっていたのかもしれません。

 
 今、40回生一人ひとりの胸の中には、寮生活を通して得た「目には見えない宝物」があると思います。この宝物、一人で新しい道に飛び込むとき、何かに挑戦するとき、孤独に押しつぶされそうなとき、辛くて逃げ出してしまいたくなったとき、そんな時に、そっと自分を支えてくれることでしょう。だからきっと、大丈夫です。私達はこれから自分の道を、力強く進んで行けるはずです。
 私に様々なものを与えてくれた、のぞみ寮で出会った人たち、のぞみ寮での日々に、感謝します。
特に、私達と正面から向き合い、信じて、支えてくださった寮務教師の先生方と、のぞみ寮での生活を許してくれ、遠くから見守ってくれていた両親に、深く感謝します。
 最後に、今の私の気持ちを、そのまま代弁してくれている聖書の言葉を、結びの言葉とさせて頂きます。「見よ、兄弟たちが共に座っている。なんと言う恵み、なんと言う喜び」(詩篇133編1節)

 

 

 

 

 

 
<寮修了礼拝 保護者代表挨拶>

 

   S.Sさん
 こんばんは、S.Sの母です。本日はおめでとうございます。3年生は昨夜、久しぶりに寮のみんなにあって寮の良さをつくづくと感じていたかもしれませんね。
 さて、敬和での生活を振り返り、少しお話させていただきます。中学3年の冬、お父さんの「ふたまたなんてとんでもない!敬和1本で行け!」の一言で、こうして敬和にやってきました。もし、地元の高校に行っていたら、Sはゲームを夜遅くまで夢中でやっていたか、勉強ができないと言って塾に通わせていたかもしれません。敬和に決める時「朝晩の駅までの送り迎え、自信がないわ。」と私が言うと「ボク寮に入るから大丈夫!」とさらっと言われて、ちょっと淋しい気持ちになりました。

 
 Sは、中学ぐらいになった時、近所の人や親戚の人からよく「あのSちゃんが・・・」とか「あのSが・・・」と言われました。あのってどういう意味なんだろう?とSが聞いたことがありました。そういえば小さい時からチョロチョロしていて危なっかしくて私は「この子、大きくなるまできちんと無事に育つのだろうか」と心配したぐらい好奇心旺盛で落着きのない子でした。そんなSが親元を離れ、寮での生活大丈夫かな?入学して1ヶ月後の寮祭で、みんなとそれなりに生きいきと頑張っている姿を見てホッとひと安心した私でした。
 でも今は、そんなSが先生や敬和のみんなのお陰で、なんとかブロック長やシュビの部長を無事やり終えることができました。私から見れば、もっと適任者がまわりにいたのでは・・・とも思いましたが・・・。決してグィグィと仲間を引っ張っていくタイプでもなく、かといってどかっと落ち着いて見守るタイプでもない。そんなあのSが、きちんと他の人をリードしていけるのだろうか?けれども学校での行事を見る度に、少しずつ成長して、みんなと共に一生懸命に取り組んでいる姿を見ては、涙もろい私は、あのSが・・・と思うと胸がいっぱいになってしまいました。力強くリードすることはできないけれど、様々な出来事にまっすぐに向きあいみんなでじっくり話し合って納得のいく結論を見つけていく。年下の人や弱い人の立場に立って物事を考えることができる。Sの気持ちの良さはうちの家族みんなも認めているところなのです。だから今回の大役も、みんなの力を借りながらもなんとかできたのだと思います。

 
 寮の信田先生の書かれた文の中で「みんな別々、みんな大切」という言葉があり、私の好きな言葉のひとつとなりました。ひとりひとりの個性を尊重する、本当に“敬和そのものだ”と思いました。
 寮に入り。きびしく指導される1年生。下級生と上級生との板ばさみの2年生。そして決していばるだけでなく、指導したり責任ある立場にある3年生。きちんとした上下関係。そして同じ立場の同級生とのきずな。そう、この立場の違いは、まるで世の中の縮図のようです。社会に出てとても大切な事を、もう学んでいるのです。
 寮の中で、考え方や感じ方の異なる仲間達と接して、認め合うこと、協力し合うことを様々な体験を通じてみんが身につけました。そんな寮で培った力を就職試験で存分に発揮し、この就職難の時代にみごと採用を決めた3年生もいましたね。他の学校では、決して教えてくれない事をたくさん学びました。自主性を大切に伸びのびとした高校生活を送ることができ、この3年間は、みんなの人生の中での大きな大きな宝物だと思います。敬和でのことを土台としてさらに自分の夢に向かって大きくはばたいて下さい。私達保護者はサポーターとなってみんなを応援します。

 
 本当に、次から次と湧いて出てくる様々な問題を寮の先生方は、力で律するのでなく、じっくり見守り愛情込めてここまで立派に育てて下さいました。
 3年間本当にありがとうございました。先生方に心より感謝し、御礼の言葉とさせていただきます。 

 

 

 

 

 

 

 

 

<離任のごあいさつ>

 
 寮の教師にとお誘いを受け、早いもので19年が経ち、本当に神様の恵と見守りに満たされた年月だったなと、感謝の思いでいっぱいです。当初は高校生のパワーに圧倒され、生徒の命を預かる重責に、ただただ心配ばかりの毎日でしたが、生徒とのふれあいを通して、さまざまな成長と出会うことが出来ました。寮と言う集団の中で人間関係に悩みながらも、自分はどうあるべきかを模索しながら歩む姿は、敬和教育の『自分探し』そのものです。私もまた自分探しの毎日でした。明るい笑顔、げんきな歌声、時にはつらい日々、行き場のない憤り、他愛の無いおしゃべり、失恋の涙に出会います。そんな生徒たちの教育に、携わる事が赦されためぐみに感謝いたします。19年間お支え下さった、生徒の皆様、保護者の皆様、先生方をはじめ敬和の皆様方に心よりお礼申し上げます。混沌とした時代にあって、敬和教育の必要性を痛切に感じます。敬和の教育がこれからも神様の豊かな愛と導きによって、多くの子ども達の成長の場となることを祈りつつお別れの挨拶とさせていただきます。

大西晴子

 

 

 

 

 

 
  <編集後記> 

                 
  明るい陽の光に、数十年ぶりの大雪も嘘のように消え去り、新潟にも待ちに待った春がやって来ました。3月1日には寮修了礼拝、2日には卒業礼拝を終え、第40回生は喜びにあふれ、敬和を巣立っていきました。彼らの明るい笑顔に別れを告げながら、私達寮スタッフも心に温かいものがあふれました。
さて今年度もこの1年間『のぞみ寮通信』を通して保護者の皆様方に、寮の様子をお伝えさせていただきました。生徒の様々な生活の様子を味わっていただけたたら幸いです。また来年度のぞみ通信は、この1年間編集を務めさせていただきました大西から、みぎわ館寮務教師の森口先生に交代いたします。若さあふれる森口先生です。きっと楽しいいきいきとした生徒の様子が伝わる紙面になることでしょう。どうぞお楽しみに。保護者の皆様方のお支えありがとうございました。桜咲く4月、新入寮生を迎える日々ももうすぐです。元気な姿で帰寮する寮生を寮務教師一同お待ちしております。

みぎわ館寮務教師  大西晴子