自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
小西二巳夫(校長)
帰って来たヨッパライ
最近映画になった長編冒険漫画「20世紀少年」の主人公ケンヂがバイクに乗りながら口ずさんでいた曲を聴いた瞬間、わたしの頭の中は40数年前の中学3年生に引き戻されました。その曲は「おらは死んじまっただあ」で始まるフォーククルセダーズの「帰って来たヨッパライ」です。わたしがいわゆる受験生だった1967年の晩秋に爆発的にヒットしました。語りの部分で神さまがいい加減な主人公に京都弁でいいます。「なあおまえ 天国ちゅうところは そんなあまいもんやおまへんにゃ もっとまじめにやれ~」。模擬試験の結果表を渡しながらクラス担任が神さまの言葉をもじって大阪弁で言いました。「高校(受験)ちゅうところは そんなええかげんなもんやおまへんやん もっとまじめに勉強せんかい」。模擬試験のクラス全体の結果が悪かったため、クラス担任の小言がしばらく続いたのを思い出します。苦しい思いをして勉強したら必ずいい結果が得られる、だから学校でも家でも遊ぶな、楽しみは後に取っておけ、ということでした。学校はまじめに勉強するところで遊ぶところではない、楽しむようなことは不謹慎と思う人がほとんどかもしれません。
スクールの語源
それは必ずしも正しいとは限りません。日本語で学校と訳している英語スクールの語源はギリシャ語の「スコーレ」です。スコーレは学ぶ、遊ぶ、余暇という、3つの異なった意味を一言で表す言葉です。二千数百年前のギリシャ人たちは、人間が本当の意味で幸せになるためには、そして人間としての資質を高めるためには、体を動かして働くだけでなく、知的な営みが必要だと考えたのです。そのための時間と場所としてスクール(学校)が作られてきたわけです。「忙」という漢字が表すように忙しくしているだけでは心が亡ぶ、つまり考えない人間になってしまいます。自分の将来を考え、周囲の人のことや社会全体のことを考えられるようになるためには、しっかり学ぶと同時に時間と場所をしっかり楽しむことが大切です。学校には学ぶことと同時に遊ぶことや楽しむことがあっていいわけです。
敬和学園を楽しむ
42回生のみなさんにしてもらいたいのは敬和学園を楽しむことです。敬和学園を楽しむ場面は大きく分けて三つあります。まず学ぶことを楽しんでください。敬和学園が最も大切にするのは授業です。模擬試験や大学入学試験で高い点数を取るだけのための勉強ではなく、物事を深く考え受けとめられるようになるための授業をぜひ楽しんでください。二つ目は人間関係を楽しんでください。中学校までの学校生活の中で人間関係に失敗してきたと考えている人は少なくないでしょう。だから敬和学園では失敗しないように意気込んでいる人、逆に知りごみをしている人がいるはずです。42回生212名の果たして何人が、自分は関係作りがうまいと自信を持っているでしょうか。そういう人はほとんどいないのです。敬和学園の人間関係作りは失敗が前提です。失敗していいのです。失敗がゆるされるのです。それは敬和学園の教育の精神であるキリスト教の中心にあるのが「ゆるし」だからです。一緒に作り上げていくことを楽しんでください。敬和学園は大切にする行事がたくさんありますが、それらはあれこれ悩みながら作り上げていくものです。作り上げるためには一致しなければならないことがあります。しかしそれは同じになることではありません。それぞれの参加の仕方、協力の仕方があっていいのです。
自らが楽しむ42回生クラス担任
敬和学園を楽しんでほしいといわれて戸惑う人がいるかもしれません。その人は42回生の6人のクラス担任をしっかり見てください。6人はみなさんと3年間過ごすのを楽しみに待っていました。学年として何ができるだろうか、どんな人がやって来てくれるだろうか、どのように成長していってくれるのだろうか、わくわくしながら待っていたのです。42回生のみなさんが3年間の敬和生活の中で、しんどいと感じることがあること、辛くなる時期があること、途方に暮れてにっちもさっちもいかなくなることがあること、をわかっています。6人はそれも含めて楽しみたいと考えているのです。敬和学園が信じる神さまならきっと次のようにいわれます。「なあおまえ 敬和学園ちゅうところはそんなガチガチになるところやおまへんにゃ もっと楽しんでやれ~」。