月刊敬和新聞

2009年8月号より「学力はリテラシィー(使いこなし)ができてこそ意味をもつ」

小西二巳夫(校長)

チャペルそうじに至るいきさつ
 前々回の「敬和」に書いた子どもたちによる金曜日朝6時30分からの早天祈祷会前のチャペルそうじについて、何人もの方からそれに至るいきさつについてお尋ねがありました。発案者は3年寮生のAさんです。チャペルでは時々卒業生等の結婚式が行われます。結婚式を前日に控えたある日、1人の教師がチャペル内のそうじをしていました。チャペルのそうじは毎日ショートホームルーム前に行います。しかし時間が短いこともあって、完全にきれいにできないことも現実です。そこでその結婚式に関わる教師がそうじをしていたわけです。それをたまたま目の当たりにしたAさんは、ブライダルロードを敷く床が汚れていては、列席される家族が座る座席にほこりがあったのでは、当事者が悲しい思いをされるだろうと思ったのです。同時に、Aさんは毎日の全校礼拝で使うチャペルをきれいにするのは、自分たちの役目だと考えたのです。そして、それが具体的な行為となって毎週金曜日の早天祈祷会前のそうじへとつながった次第です。Aさんの呼びかけに応えたのは3年生だけではなく、2年生、1年生もいます。彼女いわく「後継者がいるので、来年、再来年もそうじは続けられるはずです」。

3年生Aさんの進路、将来展望
 3年生は今自分の進路、進学をどうするか真剣に模索中です。独りで悩みながら、家族や友だち、そして教師と相談しながら、少しずつ方向性が定まりつつあります。Aさんもその一人です。彼女は10年後には国際的な団体かNPO活動を通して、発展途上国や貧しい地域に出向き、そこで働きたいと考えています。最初は漠然と大好きな音楽を通してと考えていたのですが、思いが強くなるにつれて、そうした地域で一番必要とされるのは医療活動であり、それなら看護師、保健師になることだと考え、看護大学に進むことを決めたのです。

学力を測る基準はリテラシィー(使いこなし)
 敬和学園は子どもたちが、自分だけの狭い世界ではなく、広いフィールドと将来展望をもって、「自分がどのように生きるのか」「自分の存在の意味とはなにか」を考える人になってほしいと願いをもって教育を行っています。教育を受ける大きな目的は学力を身につけるためです。一般的に学力とは知識の量を増やすことであり、蓄積させることに目的があると考えられがちです。しかし、それはあくまで狭い意味でのことです。今学力があるかないかを測る世界的な基準は「リテラシィー」です。リテラシィーをわかりやすい日本語にすると「使いこなし」です。学力・知識は使いこなしてこそ意味があります。使い回しができてこそ生きたものになり、世の中の役に立ちます。Yさんの敬和生活の中に、そして将来展望をしっかり持って今を生きようとしている姿にリテラシィーを重要視する敬和教育が表れていると思いました。そしてAさんの姿はAさんだけでのものではなく、敬和生のスタンダード(一般的、標準的)でもあります。