自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
小西二巳夫(校長)
最も緊張する時間
「校長先生、授業楽しそうにしますね」とある3年生が授業の終わりに声をかけてくれました。思いかけない言葉でした。というのはわたしが一番緊張する時間、それは自分の受け持つ授業だからです。もともと人前で話すのが得意でないわたしですので、教室に向かう前に校長室で自分に気合いを入れるのが習慣になっています。それにわたしは関西弁で言う「ええかっこしい」です。授業がつまらないと言われたくない、という思いもあって余計に緊張してしまうのです。その授業とは3年生の選択聖書です。前期は「スタンドバイミー」「夏の庭」などの主人公の年齢が10代の物語や映画をとりあげ、彼らが経験する生きることに伴う痛みについて考えます。それを踏まえて自分を見つめ直し、夏休みに原稿用紙12枚に自分の18年間を自分史としてまとめます。「幼少時のことは家族などに聞く、自分の人生にマイナスだったと考えていること、できるなら記憶から消し去りたいと思うこと、それらを一度正面から見つめ直しそれを言葉にしてみる」というのが基本的な書き方です。
自分史発表
後期の授業は自分史の発表です。発表に際して、書いたけれど授業の中で語れないと思う箇所はカットしていいことにしています。それでも30人近い人を前にした発表者は緊張します。聴く側も漫然と聴くわけにはいきません。内容をどんどんメモにしていきます。そして発表が終われば、その自分史をどのように聴き受け止めたかを10分間でレポートにするのです。その後集めたレポートの中から3つを選んで書いた人に読んでもらいます。わたしに与えられた特権は誰よりも先に自分史を読ませてもらえることです。思わず涙がこみ上げてきそうになるもの、よくここまで自分を掘り下げることができたと感心するものがあります。事前に内容を知っているだけに、その人が発表するときに、その箇所も読むのだろうかとドキドキすることもあります。辛い体験など、そこまで書けるのか読めるのかと思う時、それはその人の人間的成長を知る時でもあります。
Aさんはみんなの前で話せてスゴイです
夏休み後に集めた自分史を書き直させてほしいとしばしば言われます。それは他の人の自分史を聴いて、表面的な表現や内容に終わってはいけない、もっと掘り下げて書かなければならないと考えるからです。 レポートと自分史の一部を紹介します。「・・・Aさんはわたしにとって典型的な敬和生です。明るく優しいAさんからいつも元気をもらっています。そんなAさんがわたしの想像を超える辛い状況の中で育ってきたことは知りませんでした。・・・わたしは自分史で辛いことを一つも話せなかったけれど、Aさんはみんなの前で話せてスゴイです」。「・・・3年生になってから、わたしは自分が鈍くなっていることに気がついた。自分の弱い所を突きつけられて戸惑った。幼い頃からたいていのことがすぐにできてしまい、自分の持つ力の八割で何となく生きてきてしまったことを言われた。周りに求められたり、期待されたりすると、それに応えようと力を使う。だが、自分から何かを始めることができなくなっていた。・・・具体的に言うと進路の話だ。選択の余地がたくさんある、と言われることもあるが、実を言うと、どれもそこまで魅力を感じないのだ。自分は何が好きなのか、何をしている時が一番楽しいのか、それがよく分からなくなってしまっていた。それに気づかされた時には大きなショックだった。しかし、今気づけたことは大きなことだと思う。気づかせてくれた人に感謝したい」。
弱さを怖れない存在
過去の自分、今の自分を素直に書いて発表できるのは、それを真正面から受け止めてくれるという信頼関係があってのことです。「むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。・・・なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」という聖書の言葉が敬和学園の日常生活に具体的な形、関係として存在しているのです。緊張から解放されることのない授業を、それでもやらせてもらうのはこうした人との出会い、言葉との出会いがたまらなくうれしいからです。