自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
小西二巳夫(校長)
始業礼拝の様子
敬和学園の2010年度は4月6日の始業礼拝から始まりました。1年生(43回生)の入学礼拝は翌日なのでチャペルには2,3年生だけが集まります。ふだんの礼拝は司会も奏楽も生徒が行ないますが、始業・終業礼拝はそれらを教員が担当します。礼拝が始まる前のチャペルはたいへんにぎやかです。2週間ぶりに会う同級生もいますから会話が弾むのは当然です。笑い声があちこちから聞こえてきます。8時45分になるとクラス担任が生徒の顔を確かめながら出席を取り始めます。そうこうしているうちに50分近くになります。頃合いを見計らって文化委員長が「時間になりました。自分の席に着いてください」とアナウンスします。司会者ボックスの小田中教頭は黙って待っています。そして潮が引いていくように話し声が小さくなり、静寂の訪れが感じられた瞬間、小田中教頭の「ただいまより2010年度前期始業礼拝を始めます」の言葉で礼拝が始まりました。この間、どこの学校の集会でも当たり前に連呼される「静かにしなさい」は一度も発せられませんでした。
入学礼拝の生徒会長歓迎あいさつ
翌日の入学礼拝は緊張感でいっぱいの43回生を迎えて行います。礼拝直後に生徒会長の歓迎のあいさつがあります。41回生生徒会長の渡辺光太郎君は敬和学園で学校生活を充実させるために大切にするべきことを、自身の経験からポイントを3つに分けて新入生に語ってくれました。1つめは「行事・学年・クラスに協力する。敬和学園が大切にする行事・集会に積極的に参加すること、がんばっている人のために自分もがんばってみる。それが自らの成長につながる」。一つとばして3つめは「自分らしく生きる。それは自分勝手に生きるという意味ではなく、夢、目標に向かって努力することである。自分をゆるし受け入れられる人になってほしい」。特筆すべきは2つめです。「キリスト教にまっすぐ触れる。学校生活の中で全校礼拝、聖書の授業、祈祷会とキリスト教に毎日接することになるが、それと正面から向き合うことによって、自分の世界を拡げるきっかけになる。違いを持った存在や世界を認められるようになる」。「キリスト教にまっすぐ触れてほしい・・・」は自らの学校生活の中で実感してくれているからこその発言です。
敬和学園の出エジプト40年
旧約聖書出エジプト記には、人々がエジプトでの虐げられた生活から神様が約束して下さった祝福の生活にたどり着くまで40年の苦難の旅をしなければならなかったことが書かれています。40年という長さは苦難の旅を続けるための担い手が次々に交代し、そっくり入れ替わった年月のことでもあります。敬和学園は創立43年目を迎えますが、初期の教育から携わってきた人たちはほとんどおられなくなりました。敬和学園も出エジプトの旅を太夫浜で続けてきたと言えます。その一つの結果(祝福)が「静かにしなさい」に訣別した始業礼拝の自然な静けさであり、そして生徒会長の入学礼拝の歓迎挨拶「キリスト教にまっすぐ触れてください」という自らの体験に基づく素直な言葉です。
新しい時代に入った敬和学園の全人教育
敬和学園の43年は歩き続けた年月であると共に、ひたすら「待つ」ことに徹してきた時間でもあります。敬和学園の教育は子どもたちを信じることから始まります。信じるとは待つことに他なりません。しかし教育においてこれほどしんどいことはないのです。キリスト教による全人(人格)教育は携わる者が、自らのあり方を問われ続けることであり、また待つことのしんどさを自らに課すことでもあります。 「はきだめにえんど豆咲き 泥池から蓮の花が育つ 人皆に美しき種あり 明日何が咲くか」 全校礼拝で見せる生徒の姿は一人ひとりの心と精神が育っていることを教えてくれています。43年の歩みが間違っていなかったことを確信させられます。新たな気持ちで敬和学園はこれからも変わることなく、ぶれることなくキリスト教による全人(人格)教育に臨んでいきます。