自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
小西二巳夫(校長)
それができたら、誰も苦労せんやろ
中学3年生の時のことです。数学の時間に先生が黒板に次のように書きました。「学問に王道(近道)なし」。そしてこの言葉の意味を話してくれました。「学問(勉強)は順序を追って、系統立てて積み重ねることによって修得できるものであり、手軽に身につける方法などあり得ない。だから高校受験に向けて休まずしっかり勉強せい」。わたしは心の中で思わず反発しました。「それができたら、誰も苦労せんやろ」。この格言の元は数学者ユークリッドだそうです。彼に幾何学を習っていたエジプトのエレミー王が手軽に学ぶ方法はないかと尋ねました。その王にユークリッドは「幾何学に王道(近道)なし」と答えたというのです。進路指導や勉強に関する格言やことわざを調べてみると、耳の痛いものがたくさんあります。「学は及ばざるが如くす」は、勉強はつねに休まず努力し続けなければならないとの意味です。これは子どもの頃から机の前に座るのが苦手だったわたしには堪える格言です。
敬和の進路指導はスパンを長く考えて
反対にわたしにとってホッとする格言もあります。「学の前に書来る」。学びたい気持ちがあれば書物は自然と手に入るということです。キリスト教的にいえば、その人に必要なものは神様が必ず何らかの形で用意してくださる、となるでしょうか。何を学びたいか、何をしたいのかとの目的が明確になると、人は自発的に積極的に継続的に学びたくなりますし、面倒なことにも取り組む力が湧いてきます。それはわたしの学に対する貧しい経験からも実感できることです。さらに「学に老若の別なし」というのもあります。勉強に年齢は関係ない、何歳になっても勉強することはたくさんあるわけですから、学ぶことにおいて遅いということはないのです。敬和学園の教育と進路指導は上級学校の合格だけではなく、その人の人生に関わることとしてスパンを長くすることを大切に考えて行っています。
見えないレール(線路)が敷かれている
3年生選択聖書の授業中に、話の成り行きから生徒たちに聞きました。「他の高校に敷いてあって、敬和には敷いてないもの、わかるか?」。答えが返ってきました。「バージンロード」。「それはキリスト教の結婚式で使うから、むしろ敬和だけにあるもんやろ」。「レッドカーペット?」。「他の高校はお笑いをやるんか」。「レールですか」。「ピンポーン、そのとおりや」。たいていの高校には大学進学に向けての見えないレール(線路)がしっかり敷かれています。それの幅は決まっていて広くありません。真っ直ぐです。生徒はその上を外れることなく、できる限り早く走ることが求められます。それに応えられる生徒が優秀と評価されます。止まることはゆるされませんし、レールから外れることは人生を降りたとばかりに揶揄されます。
レール(線路)ではなく道(路)がある
敬和学園の進路指導にあるとするならば、それはレールではなく道(路)です。それも決められた道とは限りません。それぞれにあった道が用意されています。幅の広いものもあればそうでないものもあります。土のように舗装されていないものもあればアスファルトもあります。真っ直ぐ続いているのか適当に曲がっているのかさまざまです。全速力で走ってもかまいませんし、時には腰を下ろしてもいいのです。人それぞれスピードは違っていていいのです。進路指導と勉強は大学合格(入学)がゴールではないのです。真剣に考え悩むことによって道は拓かれていきます。高校の役割はその生徒の人生(道)を拓いていく手伝いをすることです。それが高校の進路指導や教育の本当の「王道」ではないでしょうか。敬和学園の進路指導はそれを外すことなく続けていきます。一曲歌いたくなりました。「進路(線路)は続くよ どこまでも~♪」