自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
小西二巳夫(校長)
敬和の3年は夢のような時間
しばらく前のことですが、ある卒業生が言いました。「敬和の3年間は夢のような時間だった」。わたしは思わず彼の顔をのぞき込み、彼の3年間がどのようであったかを思い起こしてみました。どう考えてみても、彼の3年間は順調であったとはいえません。 うまくやれないことが多かったはずです。人との関係でもしばしばトラブルを起こしました。敬和学園を続ける、続けないで、周りを巻き込んでもめました。進路もすんなり決まったわけではありません。けれど、彼は本心からうれしそうに、しかも自信を持って「夢のような時間だった」と言ったのです。 今日の聖書は「若者は幻を見、老人は夢を見る」です。この言葉は、人が生きるためには、そして社会があるべきものになるためには、そこに夢、幻がなくてはならないことを教えてくれています。わたしは小さい時から自分を夢のないつまらない人間だと自分でも思ってきました。そうはいうものの、それでもそれなりの充実感と使命感を持って生きてくることができました。
母の夢は実現しなかったのか
昨年のことです。母の人生を通して、夢のない自分がそれなりに生きてくることができたのかを知ることができました。勉強の好きな母の夢は上級学校に進学して学校の先生になることでした。ところが父親が事業に失敗します。そのために上の学校に行けず、昼間働きながら夜間女学校に通います。成績が大変よかったこともあって、卒業後はその学校で教えることを条件に奨学金を出してもらえることになり、当時女性が行ける最高の学校であった奈良の学校を受験することになります。ところが、直前になって兄が徴兵を受けて軍隊に入ることになります。心細くなった母の母が、息子に続いて娘もいなくなってはと引き止めます。そのために母は入学をあきらめます。この後も、「勉強したい」「学校の先生になりたい」という母の夢は何度も実現寸前でだめになるのです。母にはその無念さがずっとあり、80歳を過ぎてからも、大学の教員をしている弟の講座の聴講生になるなどしていました。
夢は親子二代をかけて実現される
わたしは今敬和学園高校で働いています。誤解されるかもしれませんが、わたしは学校で働きたくて働くことになったのではありません。というのも、わたしは子どもの時から学校苦手、勉強嫌い、成績もう一つの人間でした。そういう自分が、50歳を前にして学校で働くことになるわけです。わたしは牧師ですので「神様が行きなさいというところには行きます」が働く基本姿勢です。ですから敬和学園で働く以上、自分のできることは何でもしようと、それなりにがんばってきたつもりです。でも学校で働くことは何かしら受け入れがたかったのです。 わたしが気づかされたこと、それは母の「学校で勉強して先生になりたい」との夢は、家族のために、戦争のために、そして子育てのために必ずしも断ち切られたのでなかったことです。それは命を受け継ぐ形で、具体的には大学の教員となった弟と50歳を前に敬和学園で働くことになったわたしという人間、子どもを通して、実現しているということでした。神さまは一人の人間の夢を50年、60年という年月をかけて、また親子二代をかけて実現してくださっていたのです。 それをわたしの立場からいうならば、わたしは母の夢に生かされてきたということです。先ほどの卒業生が敬和学園での3年間を「夢のような時間だった」と表現したのも、彼もまた夢に生かされたからなのです。さらに気づきたいのはそれが誰の夢なのかです。
イエスの夢に生かされて生きる
敬和学園の建学の精神は「敬神愛人」です。イエス様は、人はどのように生きるべきかと問われたときに、最高の生き方として示されたのが、神を愛し隣人を愛するということでした。気づかされたのは「神を愛し隣人を愛する」はイエス様の夢であったのです。それを実現するために十字架に架かられたのです。つまり、敬神愛人の敬和学園で過ごす3年間は、イエス様の夢に生かされて生きる時間であるのです。そして、それはこれからの人生にも関係することです。イエス様の夢である敬神愛人を大切にする限り、人生は失望に終わることはないのです。社会の一員としての使命感を持ち続けることができるのです。自分の人生が、イエスの夢の実現のために用いられる、これほど夢にあふれた人生、意味ある人生は他にはないのです。今日を出発として、それぞれの道に歩みだす41回生のみなさん、神を愛し隣人を愛することを、自覚しながら生きていきましょう。イエス様の夢に生かされながら歩んでいきましょう。