自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
小西二巳夫(校長)
「白髪のニール」
重松清という作家がいます。この人の小説の主人公はそのほとんどが生徒か先生です。「白髪のニール」もその一つです。登場人物は高校の富田先生と生徒の長谷川君です。物語は2007年と長谷川君たちが高校生二年生だった1977年の間を行き来します。
話は富田先生がロックバンドを組んでいた長谷川君にギターを教えてほしいと頼んだことから始まります。富田先生はニール・ヤングの『孤独の世界』と『ライク・ア・ハリケーン』が弾けるようになりたいから、ギターを教えてほしいと言うのです。ニール・ヤングは1960年代から活動をしているミュージシャンで、1995年に米国のロックの殿堂入りをした人です。平和に強い関心を持っていて、作る曲にはメッセージ性があります。しかしヘビメタ一本だった長谷川君にはニール・ヤングが誰かわかりませんでした。富田先生はニール・ヤングのレコードを長谷川君たちに聴かせながら言いました。「味があるだろう、渋いだろう、説得力あるだろう」と。こうして夏休みの間、長谷川君たちは富田先生に恩を売っておけば、成績に配慮してくれるかもしれないとの期待もあってギターを教えました。しかし富田先生のギターと歌は夏休みの練習もむなしく一向に上達しなかったのです。期待した成績への配慮も一切ありませんでした。
ロックンロールすること
どちらかというと演歌が似合いそうな富田先生が、なぜロックンロールを歌い弾きたいかを語る場面が何度かあります。富田先生は次のように言いました。「人生にとって肝心なことはキープ・オン・ローリング、止まらないということ、終わらないということ、生き抜くこと」。「ロックは始めること。ロールは続けること」。「ロックは文句をいうこと、ロールは自分が言った文句に責任を取ること」。「ロックは目の前の壁を壊すこと。ロールは向かい風に立ち向かうこと」。
それから30年後、富田先生は町のサマーフェスティバルのステージで、ギターを抱えて、ハーモニカホルダーを首に掛けて、ニール・ヤングの「孤独の旅路」を弾いて歌っていました。中年になった長谷川君は富田先生の姿を目の当たりにしながら、人生をロックンロールすることの、止まらないことの、終わらないことの、生き抜くことの、大切さをあらためて知ります。
人生60年 これすべて中途半端
もうすぐ60歳になる私の変わらない悩みは、何でも中途半端になってしまうことです。一番の悩これすべて中途半端みは何か、嫌な部分は何か、と聞かれたら、中途半端な生き方をする自分、何事も中途半端にしかしないこと、と答えます。これまで何かを極めたという自覚がありません。その私にとって、重松清が描く富田先生の言葉は慰めと励ましになります。この歳まで何一つ極めることはなかったけれど、それでも60年なんやかんや言いながら、同時になんやかんや言われながら、それでも生き抜いてきたことは間違いないわけです。与えられた場所で転がり続けてきたことは確かです。ロックンロールし続けてきたと言えるのです。そして、ロックンロールしなさいとの言葉から、聖書マタイによる福音書7章でイエス様が「求めなさい、探しなさい、たたきなさい」と語られたことの大切さがあらためてわかりました。
求めなさい、探しなさい ロックンロールしなさい
「求めなさい。探しなさい。門をたたきなさい」は、一回お願いして終わりではなく、二、三回探して終わりではなく、数回たたいて終わりではありません。どこまでも求め続けなさい、探し続けなさい。たたき続けなさい、ということです。イエス様はこの言葉でもって「止めないこと、あきらめないこと、生き抜くこと」の大切さを語られているのです。イエス様が弟子たちに、そして今に生きる私たちに、何より望んでおられるのは生き抜くことです。イエス様は一人ひとりが、それぞれの場所で、共にロックンロールし続けることの大切さを語られているのです。私はこれでいいのだろうかと、自らに問いながら、あるいは周りの人に問いながら、時には厳しい問いかけや批判を受けながらも、それでも共に与えられた命でもって社会を生き抜こうと呼びかけられているのです。そして、そのために必要な知恵や力を必ず何らかの方法で与えて下さることを約束して下さっているのです。そのことを希望として、子どもたちにしっかり語り続けることのできる学校でありたい、ロックンロールし続ける学校でありたいと願います。