自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
小西二巳夫(校長)
ニホンカワウソが絶滅種に
8月末のニュースで環境省が絶滅の恐れのある野生生物を調べた「レッドリスト」を見直し、ニホンカワウソを絶滅危惧種から「絶滅種」に変更することが伝えられました。実際にニホンカワウソを見た人はほとんどいません。というのは日本では今から33年前の1978年8月に高知県で目撃されて以降、誰も見ていないからです。私も映像でしか見たことがありません。環境省によれば、昭和の時代まで生存が確認されていた哺乳類で、絶滅種に指定されたのが、今回のニホンカワウソが初めてのことです。レッドリストの中にびっくりするよう生物が入っていました。それは二枚貝のハマグリです。私たちが食べているハマグリは中国などから輸入されたもので、日本の海にはハマグリはもうほとんど生息していないのだそうです。
ハマグリも私も絶滅危惧種に
翌日の新聞にある写真集の記事が載っていました。タイトルは「今や絶滅危惧種となった『川ガキ』」。前日のニュースでハマグリも絶滅危惧種であることを知りましたので、カキは海だけでなく川にもいるのか、その川ガキが絶滅寸前なのか、と思ってさらに記事を読みましたらまったく違いました。川ガキのガキは子どものことで、昔は夏になると川で子どもたちが泳いだり、飛び込んだり、魚を捕ったりと、真っ黒になって遊ぶ光景がよく見られたが、今はそのような光景にお目にかかることはほとんどない、そういう意味で絶滅危惧種という言葉が使われていたわけです。絶滅危惧種が野生動物に使われる場合は悲しさがありますが、これが子どもに使われる場合、何となくほほえましくもあります。
ニホンカワウソの絶滅種決定のニュースが出た前日のことですが、私はある研修会に出ました。そしてそこでも絶滅危惧種という言葉に出会いました。しかもそれは私に向かっての言葉でした。「小西さんは今や絶滅危惧種の牧師ですね」。最近若い人たちに厳しく接する牧師さんがとても少なくなった。そうした中で時に強い言葉で叱る私は、まさに絶滅危惧種のような牧師というわけです。喜んでいいのかどうか迷うところです。
舟越桂 著「個人はみな絶滅危惧種という存在」
数年前に「個人はみな絶滅危惧種という存在」というタイトルの本が出ました。舟越桂という世界的な彫刻家が書いています。舟越さんは自分がふっと思いついた言葉やフレーズを手元にある紙に書くのを習慣にしています。「個人はみな絶滅危惧種という存在」もメモの一つです。それを本のタイトルにするところに、舟越さんが人間をどのように見ているかが感じられます。「絶滅危惧種」を人間に当てはめてみると、積極的な意味が出てきます。私たちが生きていく上で、また社会を形づくっていく上で、大切にしないといけない感覚のように思えます。人間は間違いなく一人ひとり違います。それがキリスト教の人間観です。絶滅危惧種の状態を生きている人間のそれぞれの違いが大切にされているかといえば、そうでないことの方が多いのです。他の人が持つ違いを否定することは、結局自分自身を否定し生きにくくしている、ということの自覚が薄いように思います。
フィリピの信徒への手紙2章より
そういう弱さを抱えた私たちが、それでもなおいきいきと自分の人生を生きるためにはどうしたらいいのかを、新約聖書フィリピの信徒への手紙2章6~8節の言葉から教えられます。そこには神は人間を救うために、イエス・キリストを十字架で死なせることさえいとわなかったと書かれています。
絶滅危惧種の野生生物は、人間がその命と環境を守ろうと一生懸命になってようやく生きることができます。私たちもまた見えない力によって守られているから、今を生きることができているのです。自分の存在をそのように受けとめ直すことによって、自分を大事にでき、そして他の人も大事にできるようになるのです。そこに平和の道が見えてきます。お互いが絶滅危惧種であるとの自覚をしっかり持つとき、お互いが共に助け合う、まさに貴重な存在になっていけるのです。そのようなセンスでもって、子どもたちと向きあう学校になっていきたいと願います。