月刊敬和新聞

2014年1月号より「おもろい子になったなあ ほな しっかりやんなはれ」

小西二巳夫(校長)

NHK「ごちそうさん」
 NHK朝の連続テレビ小説、今やっているのは「ごちそうさん」です。ドラマのタイトルを、食事の際の「ごちそうさま」からとっているだけに、食べることにまつわる話が毎回のように出てきます。主人公の西門め以子さん一家は食べることが大好きです。ただ長女のふ久ちゃんだけは食べることにあまり興味がありません。彼女の関心は他にあるようでした。8歳の時のことです。二階から石を落して叱られます。彼女は下に落ちない石があるのではないかと試していたのです。煙がなぜ上に上っていくのか、それが知りたくて物を燃やしてまた叱られます。そうしたふ久ちゃんは周囲からは子どもらしくない子、変な子、困った子と受けとめられます。しかし、ふ久ちゃんの毎日を間近で見ている祖父はいいました。「この子にはこの世の中がどんな景色に見えているんやろ。見えんもんを見ようとするおもろい子やなあ」。
  そして、風はなぜ横向きに吹くのかを尋ねるふ久ちゃんに、「目に見えん力があれこれ働いていてくれているから、お前はそこにおることができるんや」と教えます。

第93回全国高校ラグビー決勝
 冬がシーズン真っ盛りのスポーツにラグビーがあります。社会人トップリーグ、大学選手権、そして全国高校ラグビーに毎年この時期わくわくさせられます。今年の全国高校ラグビーは大阪のT高校が優勝しましたが、決勝を前にしたインタビューでキャプテンがいいました。「てっぺんに立って見える景色を見てみたいので、絶対に優勝します」。そして優勝後のインタビューで「特別な何かが見えましたか」との質問に次のように答えました。「ぼくのてっぺんからの景色はみんな(仲間)の笑顔でした」。彼は仲間をはじめとするさまざまな支えがあったからこそ、やってくることができたことを実感したのです。その意味でなかなか素敵な言葉だと思います。そしてこの発言はラグビーをあるレベルまで極めた高校生から出ている言葉だけに実感があります。

神殿での少年イエス
 聖書にも「ごちそうさん」のふ久ちゃんのような変な子、困った子が登場します。ルカによる福音書2章にはヨセフ一家のエルサレム巡礼のエピソードが書かれています。帰り道のことです。一家の12歳の少年イエスが行方不明になりました。生きた心地もしない両親がようやく見つけたわが子は、親の心配をしり目にエルサレム神殿内で学者たちの間に座り、一人前の顔をして質問したり答えたりしていたのでした。その様子を見た母親はわが子を叱ります。両親には少年イエスのしていることが子どもらしくないと映りました。わが子が困った子どもにしか見えなかったのです。イエス様の周りには「・・・。見えんもんを見ようとするおもろい子やなあ」といったふ久ちゃんの祖父のような人がいなかったのでしょうか。

チャペルの景色はどう見えているのか
 敬和学園の毎日はチャペルでの全校礼拝から始まります。一年生から三年生、そして教職員が一堂に会しての朝の時間は毎日同じ景色です。みんなで同じ景色を見ているはずです。しかし学年によって景色の見え方が違うのです。三年生には一年生、二年生には見えないものが確かに見えているのです。それは敬和生活三年を極めつつある者だけが見える景色といっていいのではないでしょうか。彼らには三年間の学校生活を過ごす中で、見えない力が働いていると感じられる出会いがあったのです。存在そのものを否定しない大人の一言や仲間の配慮があったからこそ、今自分はこの風景を見ているとの思いを持って、自分の席に座ることができているのです。見えない存在と力に支えられ生きているとの考えは、あくまで一つの価値観です。そしてそれは人が共にいきいきと生きていくためにぜひ持ちたい価値観です。さらに立場や考えの違いを超えて平和な社会を築くためには欠かすことのできない価値観です。それをそれぞれの方法と感性で持つことのできる存在になった44回生は、敬和学園を卒業するのにふさわしい時期を迎えたといえます。二月終わりの卒業礼拝で「君らは見えんもんを見ようとするおもろい人になったなあ。ほなしっかりやんなはれ」との言葉で送り出せたらと願います。