月刊敬和新聞

2014年3月号より「ああ、敬和学園の晩鐘 アンジェラスの鐘がある」

小西二巳夫(校長)

ミレーの「晩鐘」
 「晩鐘」と名付けられた絵画があります。時刻は夕方、畑の遠く向こうに見える教会の鐘に合わせて、中央で向かい合っている農民夫婦が静かに祈っている、というものです。18世紀フランス印象派の画家ミレーの代表作です。「晩鐘」は私が子どもの頃はちょっとオシャレなインテリアの代表だったと思います。ですからあちこちで見かけました。ご多分にもれず、私の家の三畳の部屋にもそれが掛かっていました。描かれている場所はミレーをはじめ印象派の画家たちが移り住んだパリから南に50㎞のバルビゾンです。構図から収穫を終えた二人が神様に感謝の祈りをささげていると見るのが自然です。しかし、二人の足元に置かれた籠の中身をめぐる推測もあって、一日の労働を終えた感謝の祈りや聖母マリアに祈りをささげているのではなく、もっと深刻な祈りをしている場面だとの解釈もあります。それでも二人が祈っていることは間違いありません。ですから毎晩寝る前にカトリック信者だった母から、今から思えばおかしなことですが、「さあ、おじちゃんおばちゃんと一緒にお祈りしなさい」と促されたのを思い出します。それから16、7年後、私は語学が苦手にもかかわらず留学先に発音等が難しいフランス語の国を選んだのは、毎日目の当たりにさせられた一枚の絵画を通して、その国と出会い、心の原風景となっていたからかも知れません。

アンジェラスの鐘
 日本では「晩鐘」で馴染みのミレーの絵ですが、世界的には「アンジェラスの鐘」として知られています。アンジェラスとはラテン語でエンジェル・天使という意味です。日本にもアンジェラスの鐘があります。長崎のカトリック教会、浦上天主堂にあった鐘です。長崎の町に朝夕に時を知らせる存在として有名でしたが、1945年の原爆投下に破壊され教会堂も鐘も失われてしまいました。鐘は戦後すぐにがれきの下から掘り出され、再び教会堂の上で平和を願う一人一人の心に共鳴するように音を響かせ続けています。

敬和学園の「晩鐘・アンジェラスの鐘」
 先月末に「44回生を送る会」がありました。その数日前に卒業アルバムが出来上がってきました。44回生の卒業アルバムは、行事の様子や集合写真によって構成される一般的なそれを超越していて、授業等で見せる子どもたちのいきいきとした表情の写真で溢れていました。また、学校の風景も、一瞬これはどこの場所、どこから撮ったのと思わせるものが何枚もありました。引き込まれるようにページをめくっていて、一枚の写真に出会いました。それは進入路から上がってきて、左横にあるKさんの畑越しにチャペルを写したものでした。夕方、Kさんが左端で農作業をしていて、中央にチャペルが見えるそれはミレーの「晩鐘」をほうふつとさせる写真でした。私はつぶやきました。「ああ、これは敬和学園の晩鐘や。アンジェラスの鐘や」。敬和学園が大切にする内面を見事に切り取ったともいえる一枚でした。写真には写っていませんが、チャペルの右側にはてっぺんに風見鶏が立つ鐘楼があり、そこに100キログラムのカリオンがつるされています。これが一日三回、朝8時20分、昼12時、夕方5時に鳴り、学校内や地域に音を響かせています。祈ることを促し平和への願いを響かせているのです。私は時として鳴りだす鐘の音に、思わず作業を止めたり、立ち止まったりすることがあります。そして、頭の中に残っていることや心に引っかかっていることを祈り、新たな気持ちにさせられます。

心の原風景をもった44回生
 44回生はこの風景を毎日目の当たりにしながら、進入路を上ってきたり下りていったりしたのです。アンジェラスの鐘の音を聞きながら3年間の学校生活を送ってきた、呼吸をしてきたのです。この風景の中で培われたもの、それは今日という日を精一杯生きる姿勢と平和への願いをもち続けることです。そして祈ることの大切さです。祈ることを通して、今の時代に生きる人としてどのように生きればいいのか、自分の存在の意味は何かを、44回生は敬和学園の心の原風景の中で呼吸をするようにごく自然に考えてきたといえます。祈るとは謙虚な姿勢を持つことです。他者と関わりを持つということです。敬和学園の晩鐘を通して確信したことがあります。それは卒業していった44回生は心の原風景をもった人間の強みを新しい場所でいかんなく発揮してくれると同時に、共に平和を作り出す頼もしい存在になっていってくれるはずだということです。