月刊敬和新聞

2014年4月号より「敬和学園には本物のタレントがいる」

小西二巳夫(校長)

1タラントンは莫大な金額
 才能、能力、芸能人と訳される英語タレントの語源はギリシャ語のタラントンです。タラントンは重さを計る天秤ばかりのことでしたが、やがて重さやお金の単位になりました。それが才能や能力という意味を持つようになったのは、マタイによる福音書25章の「タラントンのたとえ」話からです。旅に出かける主人が3人に5タラントン、2タラントン、1タラントン預けます。主人が長い旅から帰ってくると5タラントンと二タラントンの人はそれを倍に増やしていましたが、1タラントンの人はお金をそのまま地面に埋めていただけでした。報告を受けた主人はお金を増やした2人はほめたのですが、1タラントンの人は叱りました。ところで1タラントンはどのくらいの貨幣価値があるのでしょうか。当時、1デナリオンあれば一家が一日暮らせました。そして6,000デナリオンは1タラントンです。つまり1タラントンあれば16.4年は働かなくても生活できるのです。このことからタラントンが想像以上に大きなお金であったことがわかります。「タラントンのたとえ」は、人は誰でも生きるにあたって、神様から有り余るほどの才能や能力を与えられていることを前提にしているのです。

才能、自由、個性は誰のもの
 このたとえ話から興味深いことが明らかになります。一般的には、5タラントンを10タラントンに増やした人の方が、2タラントンを4タラントンにした人よりほめられるはずです。しかし主人は二人を一字一句変わらない言葉でほめているのです。その一方で1タラントンの人を厳しい言葉で叱ります。彼の何がいけなかったのでしょうか。彼がお金を地面に埋めて増やしもせず減らしもしなかったのは、もし増やそうとして失敗したら、主人から厳しく叱られると考えたからです。これらのことから、主人つまり神様は物事を自分の損得でだけ考えることを問題されていることがわかります。キリスト教は、タレントと訳される才能や能力や、さらに自由や個性も、自分のためにだけ使うのではなく、他者と共に喜んだり励ましたりするために与えられていると考えているのです。もし、自分の才能や能力、個性を共に生きるために使おうとする人が増えたら、間違いなく平和な社会になり、生きやすい世の中になるはずです。

ノートが回覧される
 中学時代を競争の中で過ごしてきた一人が敬和学園に来て驚いたことがあります。それはふだんの授業や定期テスト前にノートが回覧されることでした。そのノートは学習にまじめに取り組み、授業内容をしっかり理解した一人が作成したものです。それがあれば、学習がはかどりテスト勉強の大きな力になり高い点数が取れます。それが自分の得にならないとわかっているにもかかわらず、なぜ人に見せることができるのか、納得できなかったのです。

イエスの言葉が具体的な形に
 少々のことでは驚かなくなった私ですが、「タラントンのたとえ」そのもののエピソードに出会った時には唸ってしまいました。また聖書の言葉を、なんとなく受けとめていた自分を反省しました。それは定期テストのしばらく前のことでした。敬和学園にとって、日頃の学習成果を知ることのできる年五回の定期テストは重要です。その定期テストのために、一人の生徒がある教科のテスト予想問題を作ってクラス内に配ったのです。誰かから頼まれたわけではありません。彼女は自分が予想問題を作ることで、クラス全体が学習とテストに前向きに取り組むことを願ったのです。結果そのクラスの平均点は他よりも高くなりました。さらに起こったのは、予想問題を作った彼女よりも点数の高い生徒が何人も出たことです。物事を損得だけで考えたら、あるいは勉強と進路を競争だけで考えたら、何でそんなばかばかしいことをするのだろうとなります。でも彼女は自分のタレントを自分だけのことに使うことを良しとしなかったのです。敬和学園においてイエス様のたとえ話が現実になっているのです。この話はこれで終わりませんでした。それを知った他のクラスの生徒が、テストの予想問題を手書きではなくパソコンで作ってきたのです。敬和学園には聖書の求める本物のタレントがいるのです。つまりイエス様の呼びかけに応え、共に生きることを実現しようとする存在が、そして平和の担い手が確かに育っているのです。