自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2010/02/07
< 新しい光風館の姿が見えてきた・・・? >
先週の水曜日から1年生が「スキー教室」に出掛けたために「のぞみ寮」は2年生だけとなりました(光風館1年生が怪我もなく無事に戻ってきてよかったね。何人かに感想を聞いたんだけど、とても楽しかったってさ)。2年生だけとなった初日の夜、「のぞみ寮」では、毎年恒例の「鍋パーティー」が開かれ(熱々の鍋、とても美味しかったね)、4館集まっての合同礼拝をもちました。鍋を囲んだことで夕食を終えるのがいつもより遅くなってしまったのですが、光風館ではその後、一昨年度から始めた「リーダーズ・トレーニング」を行いました。
今年の「リーダーズ・トレーニング」は、「後出しジャンケン大会」で場の雰囲気を軽く和ました後、「Will ・Can・ Must」を行いました。3年生がいなくなって、新しい時代の幕が開けた光風館を、どのような館にしていくのか、2年生たちにそれを改めて問い直すことが目的でした。「新しい光風館として」というお題を掲げ、「Will=してみたいこと」、「Can=できること」、「Must=しなければならないこと」を皆で挙げていきました。
皆であれやこれや考えている内に、いろんなものが挙がってきました。「Will」の「してみたいこと」には、面白い内容が沢山ありました。「屋上に上がって素っ裸で叫びたい」とか「寅さん、仰也さんの家にお泊りしたい」など、「・・・?!」と思わされるようなものもありました。一方、「Can」の「できること」と「Must」の「しなければならないこと」には、マジメでシビアな内容が挙がりました。その内容を見て私は思いました。「ああ、うちの光風館2年生たち、結構、ちゃんと考えているんだな」って。
光風館2年生たちは、その後、「Will ・Can・ Must」それぞれのカテゴリーで重なる部分を見ていきました。「してみたいこと」で「できること」、「できること」で「しなければならないこと」、「しなければならない」ことで「したいこと」を確認したのです。そしてさらに、3つのカテゴリーが重なる部分、すなわち、「してみたいこと」で「できること」かつ「しなければならないこと」が、新しい光風館として目指すことの中で、最も優先順位の高いものであることに気付けたのです(大きく3つあったんだよね)。
本当は、この紙面にその3つの内容を書き記したかったのですが、まだ抽象的な表現に留まっていて、具体性に欠けているので今回は止めておくことにします。2年生たちは、今週もミーティングをもち、さらに具体的な目標を設定するようです。どんな目標設定がなされ、どれだけの実行力をもってそれらを成し遂げていくのか、私は大いに楽しみです。
(岩原)
< 「26年ぶりの大雪!!」に思い、考えたこと>
先週の水曜日から日曜日にかけて新潟では大荒れの天気が続きました。最高気温が零度以下だった日もあり、木曜日から土曜日には強風を伴った大雪となりました。テレビのニュースによると、新潟市の積雪量は81cm(!!)に達したそうで、こんな大雪になったのは実に26年ぶりなんだそうです。私は、そのニュースを聞いていてフト思ったんです。「26年ぶり・・・?!」って。私の年齢から26年を差し引くとちょうど私が高校生1年生だった年になるんです(正確には、「59豪雪」と呼ばれる大雪になったのは1986年の1月のことで、僕が入学する数ヶ月前のことだったんだけれどね)。そして「僕が高校1年生の頃・・・」なんて考えていたら、当時の記憶が徐々に甦ってきたんです。
そうでした。その日の朝、私たち寮生は放送で叩き起こされ、朝食前に雪掻きをしたんです(今みたいに除雪車が入ったような記憶はないんだよね)。確かに大雪でした(「59豪雪」や今年のようなレベルの大雪ではなかったんだろうけどね)。長靴なんか持ち合わせていなかった私は、ズボンの裾から容赦なく入り込む雪の冷たさに耐えながらスコップを使って「のぞみ寮ホール」(「友愛館」じゃなくて、旧「のぞみ寮ホール」ね)までの道をつけたのです。はじめのうちはものすごく寒かったのに、雪掻きをしているうちに次第に暑くなってくるのです。「寒いのに暑い」、そんな変な感覚を味わったのもその時が初めてでした。
東京生まれの東京育ちの私にとって「雪」は愉快で美しい対象物でしかありませんでした。「新潟は雪国である」、それは知っていました。でも、生まれて初めてした雪掻きによってそれを実感し、雪のもつ「厳しい」側面も知ることになったのです。鼻水を啜りながら「とんでもないところに来ちゃった・・・」新潟で初めての冬を迎えていた16歳の私は、そんな風にも思ったのでした。
あの日から26年の月日が流れたんですね。何だか感慨深い気がします。いろいろなことがあった26年間でした。勝手気ままに自分のやりたいことをやってきました。いくつかの修羅場と呼べるような場面もありました。でも、一つ自信をもって言えることは、私は自分が進むべき道を自分自身で切り開いてきたっていうことです。自分自身の道を切り開くためには「強さと逞しさ」が必要です(「強さ」だけだと、ポキッと折れてしまうから、しなやかさ、あるいは粘りの意味を含んだ「逞しさ」も要ると思うんだ)。私は、私自身の内にその「強さと逞しさ」が身についたのは、やはり寮生活のお陰だったと思うのです。大雪の中でしたあの雪掻きもその寮生活の一つであったように考えるのです。「26年ぶりの大雪」と聞いて、そんなことを思い、考えた私でした。
(岩原)
< 礼拝のお話し >
K.M.(3年)
今日は、「できること、できないこと」ということについて話したいと思います。敬和で三年間学んで、自分には出来ることがいっぱい増えました。敬和に入学する前より自己表現ができるようになったので、幾分マシになったと思います。それでも、出来ることが増えた分、出来ないことも増えました。運動ができなくなりましたし、朝起きる時も一人では起きられなくなりました。そして自分を好きになることは最後までできませんでした。
しかし、よくよく考えてみると、自分はもともと何もできなかったのです。赤ちゃんは最初から二本足では歩けませんし、言葉を話すこともできません。人は、「できない」ということを知って、そこからどう「できる」にたどり着けるか、という模索の中で成長していくんだと思います。
これで、最後のお話になってしまうので、皆さんに伝えておきたいとことを片っ端から言っていくことにします。まず、自分のもっている「負い目」を大切にしてください。それがなかったら、本当に心から「辛い」って思える経験を敬和生活の中でしてください。敬和は「温室」かもしれません。でも、その気になれば自分自身で室温温度を下げることだって出来ます。そして、その辛い経験の中で、「自分は本当に何もできない人間なんだ」っていうことをちゃんと知ってほしいと思います。
僕は、この三年間で、「できる」ことよりも「できない」ことの方を大事にしてきたつもりです。これからも自分のもっている「負い目」を忘れずに、しっかり背負って生きていきたいと思います。
H.D.(3年)
最後のお話ということですので、皆さんに一番伝えたいメッセージを言おうと思います。まとまりのない話になるかもしれませんが聞いてください。私が、光風館前にあるリングで、体育館で、バスケをしている姿は誰もが見たことがあると思います。今回はそのバスケについて話そうと思います。私がバスケを始めたのは小学校5年の時です。試合には出ていましたが、そこまで活躍することはなく、怪我をしてばかりで、当時はバスケというのがとてもつまらないものでした。でも、なぜか中学でもバスケ部に入ってしまいました。
ちょうどその頃だったでしょうか。治療法がないと言われる耳の病気になってしまい、僕のバスケット人生はあっけなく終了してしまいました。バスケをやめたくて仕方なかったので、正直その時は嬉しく思ったのを覚えています。だけれども、敬和に来てリングを見て興奮した自分がいました。先輩の元希さんに、「部活、何してた?」と聞かれて、「バスケです!!」と自信をもって答える自分がいました。なぜだか、バスケがもう一度したくなったのです。
あの日から今日までひたすら進んできました。気持ち悪くて、頭が痛くて、めまいがして、耳鳴りがひどくなっても、医者に何度も「運動はするな」とクギを刺されても、今度はバスケを諦めたくありませんでした。「敬和のバスケ部」で活動出来ればよかったのですが、体力はもちませんでした。辛くて心の余裕をもてなくて、周りの人に相談もできずにここまで来てしまったように思います。
本当はゲームや一対一をたくさんしたかったのですが、体が意思についていけなくて、友達のそうした誘いをたくさん断ってきました。だけれども、それは毎日欠かさずバスケをするためには必要なことでした。日常生活でも耳鳴りがして頭が痛い日が常なので、人の話は聞かない、また適当に相槌をうつ、そんな程度の人間関係しか築けなかったような気がします。本当にゴメンなさい。でも、その代わりと言ってはなんですが、自分の本当にしたいことを狂うほどに集中できたので、よかったと思います。皆さんも本当にやりたいことがあったら、気が狂うほどまでやり続けてください。「よくわからない…」とか「バカじゃないの」とか言われても気にしないでください。たとえ、その先に何もなくっても、きっと皆さんも後悔しないと思います。僕自身がそうであったように。