自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
小西二巳夫(校長)
教科書裁判 JR大阪駅で
今から三七、八年前、高校を卒業して二年ほど経ったときのことでしょうか。JR(当時は国鉄)大阪駅の改札を出た時のことです。のぼりを立ててチラシを配り、マイクで道行く人に訴える集団がいました。訴えの内容は当時第二次訴訟の最中であった家永教科書裁判(通称家永裁判)に関することでした。この裁判は高校の日本史教科書執筆者である家永三郎さんが教科書検定に関して国を相手に訴えを起こしたものです。最高裁で結審するまでに三二年かかりました。関心事でもありましたので、訴える声のする方を見ました。しかし次の瞬間、わたしは思わず知らん顔をして通り過ぎてしまったのです。マイクで訴えている人はわたしが卒業した高校の先生でした。授業中にしばしば現代社会の問題と平和について語ってくれる誠実な先生でした。その人に偶然出会ったのですから、「お久しぶりです。お元気ですか・・・」と声を掛けるべきであるにもかかわらず顔を背けたのです。先生がわたしのことを見とがめていたら傷ついたはずです。今も思い出すたびに恥ずかしさがこみ上げてきます。
先生、お元気ですか
学校で教えるようになってからの街中を歩く時の癖は誰とも目を合わせないようにすることでした。それは生徒と目が合ったときの気まずさや目を逸らされたときの嫌な気持ちを味わいたくないとの思いからです。ある日の午後のショッピングビル内でのことです。隣の妻が「ほらほら、こっちを向いて声を掛けくれている子がいるよ。敬和の生徒と違うの」と耳打ちをしました。妻が目で示してくれた方向にニコニコと手を上げている若い人がいました。三年生のA君でした。「おお、気がつかんかったわ、ごめんごめん、ところで何してんねん」とわざとらしく言ったわたしに、「彼女の誕生日が近いんで、プレゼントを買いにきました」と持ち前の笑顔で答えてくれました。
先日のことです。通っているスポーツジムでぱっと目が合った若い人が、視線を逸らすことなくニコッとしながらいいました。「元気、先生? どうしてますか」。昨年卒業したBさんでした。その後、彼女は直前まで発展途上国に家を建てる国際的ボランティア活動で海外に出かけていたこと、同級生の動向など屈託なく話してくれました。
幸せな時間
この二人の敬和生の教職員に対する態度はいわばスタンダード(標準)です。卒業生、在校生を問わず学校の外で会ったとき、たいていは明るい表情であいさつをされます。敬和生の教師へのそのような態度は、かつてのわたしとは違います。卒業生や在校生の態度から、その人が高校でどのような三年間を過ごしたのかを想像することができます。その意味で敬和生はわたしよりはるかに「幸せな時間」を高校で過ごしたのです。「幸せな時間」とはただ楽しかったという意味ではありませんし、何事もなかった、平穏無事であったということでもありません。何事もなかったのはむしろわたしの方です。通り一遍の行事と部活動以外はすべて大学進学に向けての勉強と数字による結果だけを求められた三年間でした。学校の中で何事も起こりようがなかったのです。それに対して敬和生の学校生活は「何事もあり過ぎる」三年間であるといえるのかもしれません。
人間性が練られていく敬和生
しっかり聴くことを求められる毎日の全校礼拝、考える人になることならびに関心を持つことを求める授業、お互いの間にあつれきが起こることを前提とした各行事、いい意味での上下関係がある寮生活などによってそれぞれの人格、人間性は深められ練られたものになっていくわけです。それがわたしと敬和生のたまたま出会った教師に対するとっさの態度の違いとなって現れたのです。わたしは今敬和教育に関わることによって、かつて味わえなかった「しあわせな時間」を体験させてもらっているのです。神さまに感謝しながら敬和教育に取り組ませていただいています。 気がついたら、街中を歩く時のわたしの視線は下向きではなくなっていました。