月刊敬和新聞

2008年4月号より「トマトの本 -成長は信じることから始まる- 」

小西二巳夫(校長)

トマトの本
 札幌で教会の牧師をしていた時のことです。ある年輩の方のお宅を訪ねました。 札幌の冬は寒く厳しいので、暖かい気持ちで暮らすためにサンルームを作ることが多くありますが、そのお宅もそうでした。話の途中、サンルームとの境のカーテンを開けながらその人は言いました。「お帰りの時にミニトマトをもって帰ってください」。その言葉に促されるようにサンルームに目をやると、大型のブックケースとおぼしきものから一本の茎が出て、それが天井まで伸びており、枝や葉っぱの間から何百個というミニトマトが見えました。「これどうやって育てたんですか」というわたしの問いに「娘がホームセンターで『トマトの本』を買ってきたので、その説明書どおり水と肥料を与えたら、食べきれないほどの実がついたんです」という答が返ってきました。ブックケースとおぼしきものの背表紙にあたる部分に「トマトの本」と書いてある野が見えました。まさにトマトを育てる本だと思いました。

1粒から13000個のトマトが・・・
 しばらくして、数百個どころか1粒の種から13000個のトマトを育てた植物学者の野澤富雄さんのことを知りました。野澤さんが13000個のトマトの実を生らせるためにしたことは特別なことではありませんでした。大きなハウスの中に大きな水槽を用意して、栄養分たっぷりの水を張り、温度も光の具合もちょうど良くして、そこに1粒の種を置きます。すると根が水槽いっぱいまで伸び、茎は木の幹ように太くなり、葉も生い茂り、その途中でぶどうを育てるように棚を作ってやれば、そこに枝をどんどん広げていき、結果として13000個のトマトができたのです。それではその種が選りすぐりのものであったかというとそうではありません。野澤さんによればどの種の中にも無限の力が宿っているそうです。つまり種に良し悪しはなく、無限の力が宿っていると信じて育ててやれば、どの種も無限の力を発揮するというのです。同じ種を良くない環境に蒔けば、ちょっと伸びたところで、種自身がもうこれ以上無理だとあきらめて成長をやめるのとのことです。

成長させてくださるのは神です
 トマトの種を育てるときの野澤さんの姿勢と気持ちはそのまま教育に通じます。教育に携わる側が忘れてはならないことは「信じる」ということです。その子どもの存在をとことん信じること、その子どもの可能性を信じ抜くことの大切さです。とは言え敬和学園の教職員もそれぞれ弱さをもっています。そのわたしたちが信じる力を持ち続けるのはやさしいことではありません。そこで大切になるのが聖書の言葉でありキリスト教精神に基づく教育を行っているという自負です。聖書に「わたしは植え、アポロが水を注いだ。しかし成長させてくださったのは神です。ですから大切なのは、植えるものでも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です」(コリントの信徒への手紙Ⅰ3章6~7節)とあります。そして敬和学園の正面と教務室(職員室)の入り口にそれぞれ「はきだめに えんど豆咲き 泥池から蓮の花育つ 人皆に 美しき種あり 明日何が咲くか」と記した石碑を置き、額を掲げています。聖書の言葉と「えんど豆」の詩の中心にあるのは信じることの大切さです。毎朝の全校礼拝を通して聖書の言葉を聴き、「えんど豆」の詩を毎日見る敬和学園の教職員は信じることの大切さを確認しながら一日を始めることになります。

できるだけ大きく育てたい
 敬和学園に入学をしてくる子どもたちについて、それまでの学校教育の中で存在と能力をどこまで信じてもらってきたのだろうかと思い巡らすとき、そこに大きな疑問が残ります。自分を信じてもらったという実感を持っている子どもがいかに少ないかを感じるのです。その子どもたちを受けとめる敬和学園は1粒の種が13000個の実をならすようなすべてにおいて整った環境とはいえません。足りないところがたくさんある学校です。それでも入学をしてきた多くの子どもたちが、3年間の自分探しを通して、自分を信じるようになり、そこから始まる成長を見せてくれるのは、そして無限の可能性を感じさせてくれるようになるのは、信じる空気が生み出されているだと思うのです。神様への謙虚さを忘れることなく、また信じることから生まれる喜びを忘れることなく、入学をしてくる41回生と39回生、40回生の在校生と2008年度を歩んでいきます。