のぞみ寮通信

大望館

2015/01/19

大望館通信 第230号(1月18日)

<3年生ラストメッセージ>
 

 先週から3年生の礼拝での最後のお話、ラストメッセージがスタートしました。最後のお話という事で気合の入った、思いの丈が詰まったものを発表してくれていて、その事が礼拝全体の雰囲気をいつもより緊張感が漂うものにしているように感じます。1,2年生は3年生達がこの敬和で何を学び、どんな生活をしてここまでの成長に至ったかを感じとりながら、お話の中から自分の成長に繋がるきっかけを見つけられればうれしく思います。今週のメッセージも楽しみにしています!(堀越)

 

 

K.S (3年 宮城県仙台市)

 今日は3年生のこの時期になったからわかった『時間と意識の壁』についてお話ししたいと思っています。抽象的な話になるので、考えながら聞いていただけたらと思います。

 突然ですが、少しイメージしてもらいたいと思います。ここからイメージしてもらう事が多くなるので、途中でよく分からなくなったら聞いて下さい。「今日は日曜日の夜で、明日の月曜日から定期テストが始まります。あなたは勉強に何も手を付けていません。」こんな状況です。普段、もしくはテスト前は、しっかりと勉強をしている。という人にはイメージしがたいかもしれませんが、大体の人は味わったこともあるのではないでしょうか。こんなとき、心の中の『意識』はどうなっているでしょうか。何も手を付けていない不安が押し迫り、背中に不穏な風が吹き抜ける感じ。人によって感覚は様々だと思いますが、大体でいいです。どうしようもなく不安な感じ。この感じが、12月ごろに訪れました。登校日数が1ヶ月を切り、敬和生活もあとわずかだと実感するころだからなのか。僕は、先ほど皆さんにイメージしてもらった感じを、ここ最近ずっと感じています。聖書へのメッセージも回りきっていないし、何もできなかったなあという想いを感じています。

 さて、このあたりで視点を少し変えて見てみます。この不安はいつ、どのようなときに出てくるのか。そのときが来る意識の壁があると僕は思います。ちょっと考えにくいのですが、ある空間を、皆さんもそれぞれ歩いていて。その中には霧のようなものが かかっていて、ある程度自分の周りは見えるのですが、壁の向こう側(空間のあちら側の壁)は見えません。イメージしてください。はじめに歩いているうちは、向こう側がまったく見えないので大股だろうが、どんどん進むことができます。もしくは、見えないので、そっと進む人もいるかもしれません。そうして慣れていって、自信を持って進んでいくとします。そのうち、向こう側の壁が見えはじめました。 その空間がどのようなものであるかは考えないとして。向こう側の壁は、もうすぐそこまで来ていて、このまま歩いていけばあと少しで向こう側へ着いてしまう。その空間の中、たとえばテスト勉強。向こうの壁までの距離は時間として。つまり壁は今日からその日までの時間です。この空間を抜ければテストが始まる月曜日。なにもしていなかった!勉強しておけば!という気持ちになると思うのです。

 また、その空間がたとえば部活動。ここまで歩いてみれば、もうおわり。もう引退。早かったなあ、何もできなかったなあと。僕は思ってしまいました。

 そして、たとえば自分の進路。進路は1年生のときから3年生になるまで、なってからでも考える時間があるので、空間はとてつもなく大きく考えます。調べようと思えば、いつでも調べることができて、でもまあ時間あるし、面倒くさいからまだいいや。まあ、実際そう考えてしまうと思います。僕の場合、壁が見え始めたのはフェスティヴァルが終わった6月下旬、壁がはっきり目の前に現れたのは7月。テストが終わり、夏休みが始まり、三者面談のときには壁が迫っていました。テスト勉強などの短い期間に比べれば、比にならないほど長い期間、それだけ壁も大きく、なぜここまで考えなかったのかと、思うときがきました。失敗談を聞いても、なかなか自分について考えることは難しいと思いますが、1年生も、2年生も、壁が見え始める前から、考えておいてください。そうすれば、その壁とその空間を越えたあとの壁も、乗り越えることが少しは容易になるはずです。

 そして、たとえばその空間が、敬和生活であり。僕が最近感じ始めているのは、この壁なのだと思います。毎日が終わるたびに、あと少しだ。と感じます。あと3週間後には仙台の家にいて、あとは卒業だけ。

 これも人によるでしょうが、敬和での生活が終われば、もう皆さんと会う事も無くなります。これだけの濃い人間関係も濃い毎日も、なくなってしまいます。僕は特に。みなさんほどアクティヴィティではないので、こう言った巻き込まれるぐらいの環境でなくてはきっと廃れてしまうことでしょう。新生活の場に、「S君」 がいますが、たいして変わるきっかけにはならないと思います。きっと、僕が昨日おこなったようなバカも。いや、これに関しては大人になってもあるいは、ですが…。敬和を出た後の事を想像すると、まだ飛び込んでもいないのに、辛くなります。・・・こんなネガティヴな話をしたいわけではありませんが、このどうしようもない不安な思い、いつか見えてくる時間の壁は、遠い向こう側から少しずつ、こちらへ向かってきています。その壁が見えるまでの距離はみんな等しく同じはずなのです。どのように使ったかで、人を羨んだり、笑ったりするのではないかなと思います。

 みなさんも多分感じたことのある不安みたいな感じ、これのとてつもなく大きいのが、いずれ来る時があります。もちろん、これは僕の考え方で感じ方であって、こんな壁が永遠に来ない人もいるかもしれませんが、今はそうだとして聞いてほしいです。

 その壁が見えてくるまで、時間があります。その時間がまだある46thと47thにこの事を考えて欲しいなあと思います。もう時間が足りない僕(たち)からすれば、それは羨ましいことです。どうぞその時間をめいっぱい楽しんで、苦しんで、悲しんで、怒って、喜んでください。時間は止まることなく少しずつ迫ってきて、でもその事柄だけに集中は出来ず、色々な事を同時進行でおこなわなければいけません。

 この話しを考えていくにあたって、ここに僕の考えをもう一つ追加します。先ほどまでと同じように、イメージできる人はイメージして下さい。皆さんは空間を歩いていて、あなたは壁にある扉からこの空間に入って来ました。向こう側の壁までの距離は時間で、少しずつ壁は迫ってきています。その空間には霧の様なものがかかっていて、自分の周りしか見えませんが、遠くの壁は見えません。ここまでははじめと同じです。迫ってくる壁が見えないのは、霧のような意識(のかべ)があるんじゃないかなと思います。分かりにくいですが、空間の中、時間の壁が来る前に、意識の壁がもう一枚あると思って下さい。この意識の壁は人によって厚さも様々、つまりそれに気付くまでの時間が短い人、長い人がいるわけです。多分意識の壁に早く気付くことができた人は、その時間をどう使うか考えたり、そのまま知らないふりをしたり、するのでしょう。意識の壁の向こう側に、本当の時間の壁があって。いつか時間の壁は向こう側から意識の壁をぶち破ってくるかもしれません。いま歩んでいく中で、このお話のはじめに話したように、そこへ着くまでに慣れて、自信を持って歩いていけば、時間の壁へぶつかってもきっと平気です。心に余裕があるのなら、時間に余裕が無くても、多分大丈夫です。

 このお話しを考えるにあたって、3年生になってから、そしていま感じている事を話したいと思いました。ずいぶん抽象的な話になりましたが、少し考えてみて欲しいと思います。もちろんずっと真面目になんてやっていくわけにもいかないし、そんな事していたらバカをやる機会を逃します。だから、後悔のない生き方、と言えばそれまでですが、そんな感じの歩き方を自分なりの言葉で考えてみました。

 イメージについて、考えやすかったら良かったけど、分かりにくかったならごめんなさい。

 皆さんの考えも聞きたいです。ぜひ、これからの生活では、好きなことや興味のあることには誠実に真摯に、向き合ってほしいなと思います。後から時間は帰って来ないので。思い出と言う時間としては残りますが、それはただの抜け殻です。身のある今が一番輝いた季節です。

 3年生へのメッセージは考えていないのでまたこんど、いつか時間があったなら紙にでも書いて渡そうかなと思います。

 ちなみにLast messageだからこんなお話しが書けたのかも分かりませんが、みなさんもいつものお話でこのぐらいは考えてみて欲しいなあと思いました。

 

O.T (3年 新潟県村上市)

 最後のお話なので3年間、寮で過ごした感想や感じたことを話したいと思います。この3年間は本当にあっという間でした。つい最近に45回生として入寮してきた気がします。1年の時は、あいさつや先輩に対しての言葉づかいなどたくさん学びました。あと自分は副ブロをしていたのでミーティングなどでみんなをまとめることが大変で、元副ブロのS君と一緒にやっていた気がします。2年の時は、学校でクラス変えがありました。そのクラスでは、話す人がいなくてとてもつらかったです。学校と部活などでいろいろと嫌になり寮を抜け出したこともありました。3年は、時間が経つのがあまりにも早く感じたので特にありませんでしたが、進路が決まったことがうれしかったです。自分は大望館の45回生で決まるのが一番遅かったので決まるまでものすごく焦りました。進路は本当にギリギリまで考えていなかったので気づいたら10月ぐらいになっていて他の人の決まっていくのを見て本当にやばいと思いその時にやっと進路を考えました。こういう風にはならないように、1・2年生は早めに進路を決めたほうがいいですよ。本当にあっという間です。

 こんな感じで3年間過ごしていて一番自分的に思ったことは、この3年間一緒に過ごした45回生の仲間の大切さです。自分が寮に帰らない時も仲間が家に電話を掛けてくれました。その時に僕は本当に仲間の大切さを知りました。高校の3年間を大望館で共に過ごした14人は特別で大切な仲間だと思っています。この先みんなはそれぞれの道を歩んでいきますが、ここで過ごした仲間との3年間は絶対に忘れません。最後に1・2年生のみなさん高校生活はあっという間に終わってしまうので仲間とたくさんの思い出を作って下さい。

 

K.S (3年 宮城県大崎市)

 今日がラストメッセージですが、感謝のメッセージではなく、いよいよ明日に迫った「大望フェス」についてお話ししたいと思います。

 「大望フェス」は僕らの代からの初の試みです。例年では「大望祭」という、お客を招き、音楽や笑いで楽しませて、自分達も楽しむという行事が行われてきました。ですが今回は、準備の期間が短く、そして何より、僕らが見てきた43th・44thと比べて大望館45thはおとなしい性格のため、例年の「大望祭」を行うのは苦だと思い「大望フェス」が出来上がりました。

 「大望フェス」は、基本お客さんの事を考えていません。自分たちが楽しむ行事です。そして3年VS1・2年の闘いなので真剣勝負です。はっきり言って部外者が入る余地などないと僕は考えています。身内だけの時に大望館は真に輝ける。僕はそう思います。「大望フェス」は今の大望館にピッタリな行事だと自負しています。そして僕は、「大望祭」よりも好きです。「大望祭」では、参加する人としない人の差が激しいからです。ですが「大望フェス」は連合単位で動くため、練習期間も皆が一丸となって活動することができます。仲間との結束を強めることができます。3年生はフェスで培った知識を使い、1・2年生は来年・再来年のフェスの練習にもなります。3年生はさらに絆を深め、1・2年生は次代の大望館へとまとまりつつある。この準備期間だけでも「大望フェス」には大きな価値があるのです。

 「大望フェス」は僕ら45thが3年間過ごした結果が作った行事です。大望館以外ではしゃぐ事無く過ごしたのでこんな行事になりました。46th・47thはどんな行事を作るのでしょうか。君達がこれから過ごす日々が、君たちにピッタリの行事を作ることでしょう。良いものが出来上がるように、これからの日々を仲間と支え合い生活してください。「大望フェス」を、45thのいない大望館を完璧にまとめるためのきっかけにしてください。明日、思いっきり楽しみましょう。3年生、遠慮なんていらねー。本気で勝ちに行きましょう!

 

<大望祭改め、大望フェス☆> 

 先週の金曜日、大望館初の試みが行われました。この時期の恒例行事となっていた大望祭を、45th流にアレンジした大望フェスなるものです。なぜこのようなものが生れたかは、上でK君が紹介してくれた通りなので割愛しますが、内容を簡単に説明すると、敬和最大の行事『フェスティヴァル』をぎゅっと凝縮して、大望生だけで行うというものです。連合テーマ、衣装、演劇、競技などを2時間程度の時間で一気に行いました。

 1・2年連合のテーマは『真面目』。対する3年チームは『スパルタ』ということでそれぞれがテーマに合った(?)衣装や演劇を披露し、競技でも学年なんて関係ないガチンコ勝負が見られて本当に見ていて楽しいものでした。

 しかし一番驚かされたのは、あの準備期間の少なさからは想像もできないクオリティーの衣装や演劇を作ってくれた君たちのパワーです。発案から本番まで約1週間、毎日30分ほどしかない練習時間で、あれだけの完成度に仕上げた君たちには頭が下がりました。

 大成功に終わった(個人的に)大望フェスですが、来年も続けるのか、大望祭に戻すのか、はたまた新しいものが生れるのか、楽しみになった行事となりました。(堀越)

 

 

<今週の写真☆昨年末~大望フェス>