毎日の礼拝

校長のお話

2014/12/05

「バベットの晩餐会」(創世記Ⅰ章27節)

デンマークの作家にイサク・ディーネセンという人がいます。

この人の小説に「バベットの晩餐会」という作品があります。

随分前に映画にもなり、アカデミー賞の外国映画賞を取りました。

物語の舞台は北欧の国ノルウェーのベアレヴォーという小さな町です。

そこにマチーヌとフィリッパという年老いた二人の姉妹が住んでいました。

彼女たちの亡くなった父親は教会の牧師でした。

信仰に厳しいけれど信頼される人として国中に知られていました。

この牧師さんの考え方は厳格でした。

たとえばおいしいものを食べたりすること、洋服で着飾ったりすることは、人間を堕落させてしまうと考えていました。

その厳しさの中で育った姉妹は当然のように質素な生活をしてきました。

質素な生活をするのはただお金を使わないということではありませんでした。

それによって節約できたお金は、いつ貧しい人が訪ねてきても、助けられるように、食事や着るものを提供するために使われました。

その姉妹のところに、フランスに住む古い知り合いから1人の女性を使用人として雇ってほしいとの手紙が届きます。

程なくしてやってきた女性がバベットでした。

 

フランスのパリという当時の世界の中心から、遠く離れたノルウェーの、しかも多くの人が名前も聞いたことがないような小さな町にやって来るのですから、わけありの女性であることは間違いありませんでした。

ですからマチーヌとフィリッパの姉妹は困ったなと思いました。

パリ育ちの女性が作る料理にはお金がかかるだろう、掃除洗濯も果たしてできるのか。

そうした姉妹の心配がとりこし苦労であることはすぐにわかりました。

バベットは姉妹の言いつけに従って質素の食事を長年作り続けてきたように作ります。

市場での買い物は片言のノルウェー語であるにもかかわらず上手に値切ります。

そして彼女の作る食事は姉妹が作るよりもはるかにおいしいのです。

訪ねてきた貧しい人たちに提供する食事も同じで、食べた人はそのおいしさのおかげで、それまで暗く陰気であった顔がパッと明るくなりました。

しかも材料費は今までよりかなり安いのです。

それもそのはずです。

バベットはかつてパリの高級レストランの有名なシェフでした。

そして掃除洗濯、古着のつくろいにも能力を発揮します。

パベットが姉妹の家にやってきて14年目のことです。

彼女あてに1通の手紙が届きます。

それはパリに住む古い友人からで、バベットはパリを逃げ出した後も、その友人に宝くじを買ってもらっていたのです。

手紙は宝くじで1万フランに当選したとの知らせでした。

当時の1万フランを今のお金に換算すると1千万円ぐらいだそうです。

そのお金があれば何でも自由にできます。

どこにでもいけます。

ですからマチーヌとフィリッパの姉妹はバベットが今の不自由で貧しい生活から抜け出すためにどこかに行ってしまうだろうと考えました。

バベット自身、宝くじに当選した以降しきりに何かを考えているようでした。

そしてある日彼女は姉妹に1つの申し出をします。

それは姉妹の父親であった牧師の生誕100年を祝う会で晩餐会を催すこと、その食事を自分に作らせてほしいということでした。

姉妹は承知しました。

そして考えました。

バベットはこれまで世話になった自分たちをはじめ町の人にお礼をするのだろう、そしてこの町を去っていくのだろう。

 

その日から準備に取り掛かったバベットのところには、姉妹が今まで見たこともない様な食材がフランスから次々に届きます。

そして招待された12人の晩餐会が始まりました。

姉妹の父親であった牧師のもとで育った人たちは、ごちそうは人を堕落させてしまうと思っていましたので、できるだけ味合わないように無表情で食べようと決心します。まるで食べることに関心がないような食べ方をしようと考えました。

けれど、一口食べた瞬間から、そのような決心はどこかに吹き飛びます。

顔がパッと明るくなり、会話がどんどん弾みます。

そして一口も残すまいと、次々に料理をたいらげて行きます。

こうして晩餐会は喜びの内に終わります。

姉妹はバベットにこれからどこへ行くのかと尋ねます。

彼女は不思議そうに答えました。

「私にはお金がありません。どこにも行けません」。

バベットは1万フランをすべて晩餐会のために使ったというのです。

姉妹はびっくりして、なぜせっかく手に入れた宝くじの賞金全部を使って自分たちや町の人たちのためにごちそうしてくれたのかと尋ねました。

バベットは答えました。

「晩餐会は自分のためにしたのだ」。

彼女は次のように言いました。

自分は料理を作る芸術家である。

すぐれた芸術家は自分に与えられた才能を発揮するために、最善の努力をするものであり、そういう機会が与えられることを何より望むものである。

自分は1万フランによって料理の才能を発揮する機会を与えられた。

その料理を食べた12人が心からの喜びに包まれ、幸せな気持ちで帰っていった、これほど幸せなことはない、感謝したいのは自分のほうだ。

芸術家が自分の作品によって、人が喜んだり希望を持ったりする、そこに神様から才能を与えられた者の存在の意味と生きる目的があるということです。

 

そこで考えました。

それではこの世界で最高の芸術家はいったい誰だろうか。

ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ピカソ、音楽でいえばバッハ、ベートーベン、モーツアルト、というように優れた芸術家の名前を上げることはできます。けれどその中の一番は誰かと言うと、それは人によって意見が違います。

そこで気づかされるのは、彼らも私たちと同じように作られた存在なのです。

今日の聖書によればそれを作ったのは神様です。

つまりこの世界で最も優れた芸術家は創造主である神様だとなります。

私たちは神様からつくられた作品なわけです。

その作品の役割が何かというと、それは見る者、聴く者、味わう者の気持ちを明るくすることです。

塞いでいた心に希望の穴をあけることです。

作品に接したその人が傷をいやし、絶望や失望から脱するきっかけを作ることです。

それが芸術家によって生み出された作品の役割です。

そのように考えた時、神様によって作られた私たちの、神様の作品である私たちの、一人ひとりの存在の意味と役割が何かがわかってきます。

貧しい他者のために質素な生活を続けるマチーヌとフィリッパの姉妹の生き方はまさに神様の作品にふさわしいものでした。

私たちの大きな使命は他者のために生きる、他者の生きる希望となることです。

そこに私たちの生きる意味、存在の意味があります。喜びがあります。