のぞみ寮通信

大望館

2014/12/02

大望館通信 第229号(12月1日)

<クリスマスはくるしみます?> 

 今年もこの時期がやって来ました。今日からアドヴェントに入ります。そして一年生は、明日最後のテストが終われば、クリスマス準備に突入!

 これが大変です。毎年、色んな事が起こります。みんながみんな気持ちよく作業をすることが出来ればいいんですが、そうはいきません。副ブロック長は毎年悩みます。どうしたらみんなが協力してくれるんだろう?その事で頭がいっぱいになるぐらいです。でも、そんな思いをするからこそ、一生懸命になれるし、出来上がった飾り付けに愛着が持てるのかもしれませんね。

 さて、私が一番印象に残っている飾り付けのことを紹介したいと思います。42回生の話です。ブロック長は現大望館旧ブロック長の兄、D君です。彼も、現大望館旧ブロック長と性格は本当に似ています。不器用な所もそっくり。現大望館旧ブロック長を新ブロック長は「あの人本当にいい人なんですけど・・・本当に○○なんです」なんてことをみぎわ館の先生に語ったそうですけれど、兄貴もいっしょでした。まったく同じことを周りに言われていました、「良い奴なんだけれど・・・」です。そんな彼が一年生の時です。何をどうしたのか、まさかの副ブロック長になりました。でも、周りを上手くまとめることなんてできる訳がございません。他の館が楽しそうに全員で飾り付け作業に取り掛かっているのに、大望館だけまばらです。中には大望館ホールで数人が一生懸命作業している、その傍らで、マンガを読んでいたり、隣の部屋でテレビを見ていたり、それはもう最悪です。

 現大望館旧ブロック長の兄はその時、「もういやや、俺やめたい」そんなことを口にしていた事を思い出します。で、出来上がった大望館の飾り付け・・・。

 それはもう何とも表現できないショボさ。他の館と比べられると、そのショボさがいっそう目立ちます。あの時のことを彼は「言わないで、思い出したくないから・・・。」今でも言います。言ってみればそれは見事な大失敗です。あんな失敗作は後にも先にもないでしょう。

 あの時、寮担任だった私も恥ずかしかったんです。他の先生に「大望は・・・何?」なんて思われてるだろうって感じで、その場にいることがしんどかったんです。それと同時に、この先この学年がどうなっていくのか?心配でした。

 でもね、その心配は無用だったんです。そんな学年だから、途中いっぱい色んなことがありました。いっぱいミーティングしました。そしたらいつの間にか、今までで一番といってもいいぐらい、まとまった学年になってたんです。

 で、過去のことも振り返ってみました。そしたら以外に気が付いたんです。1年生の時の飾り付けがグダッている学年ほど、大きな変化と成長があったという事に。

 よってですね、この飾り付け失敗もアリなのかも・・・。そんなことを最近は思っています。ま、確かに言えることは、今の大望館一年生という集団がどんなもんなのか?それはこの期間ではっきりとわかります。言ってみれば、ここまでの成長の成果ってことですかね。

 どちらにしても、私たちは君たちの頑張りに期待しています。色んな事があったらいいですね。(澤野)

 

 

 

<礼拝のお話> 

S.S  2年 新潟市西区 

 今日は嫌なことを心に残さないようにするにはどうしたらいいかということをお話ししたいと思います。私たちは、いつも明るく楽しい毎日を送りたいと思っている人が多いと思いますが、やはり生きていく上で人間関係が、なかなか自分の思い通りにはならず、色々とストレスを抱え込んでしまうということがあると思います。ストレスをためる人とためない人との違いは、「うまく心を切り替えられるか」ということにかかっています。勉強で失敗する、部活で失敗するという経験のある方は多いのではないでしょうか。一度失敗して「ああ、もう嫌だ」という気持ちを抱えたまま続ければ、かえって身が入らず、普段ならしないような失敗までしてしまうのです。

 また、誰かとけんかしてイライラしているとき、関係のない人に八つ当たりをしたり、愚痴をこぼしたりして、ほかの人からも嫌われてしまう、ということもよくあります。小さなストレスをうまく処理できなかったために、さらに大きなストレスを生み出してしまうのです。なるべくストレスを抱え込まないようにするためには、「嫌なことがあったときは、その傷口を広げないようにしよう」と考えたほうがよいのです。では嫌なことがあったときは、どうすればよいのか「その瞬間だけ、嫌な思いをすればよい」のです。ストレスは「嫌なこと」によって生じるというよりも、「嫌なことが起こらないだろうかと気に病むこと」によって生じるのです。よいことも悪いことも、すぐに忘れるのがよいのです。よいことも忘れたほうが良いのは、おかしいと思われるかもしれませんが「よいこと」というのも「悪いこと」との比較にすぎません。「よいこと」はその場限りの幸運にすぎないのでその瞬間を大事にしなければならないのです。

 やはり人生は、好きな事、楽な事だけをして生きていくというわけにはいきません。おいしいものを食べ、遊んで暮らして・・・「毎日がうれしいこと、楽しいことばかりで彩られていたら、どんなにすばらしいだろう」と思うかもしれません。が「よいこと」もそれが当たり前になってしまえば、ありがたみも薄れ、さらに大きな欲求に悩まされるだけです。心が惑わされたときは、手を叩いたり、大きく深呼吸をしたりと自分なりの落ち着く方法を決めておくのもよいでしょう。生きていれば、つらいことや悲しいことが起こるのは、避けられませんしかし、それを心に残さず、ストレスを最小限にとどめることはできるはずです。皆さんもストレスができてもあまり深く考えず前向きに生きてみてはいかがでしょうか。

 

H.T  2年 兵庫県川西市 

 今日は僕が2年になって気付いたことについて話します。僕は敬和に入って、寮に入って、中学の時よりも色んな人と関わって、というか暮して人間関係について考えることが多くなりました。というのも、僕はよく色んな人にキレられたり、注意されたりしたからです。僕はそのたびに、そういうのに慣れてないってのもあるんですが、自分はそんなに悪くない、僕は間違ってないと思ってました。

 しかし2年になって、色々あって、やっと僕が全部かどうかわかんないけど、間違ってたと気づきました。自分のことしか見えてなくて、自分のことしか考えてなかったって気付きました。

 何があったかというと、学校である通生と、トラブル?みたいなのがあって、その人に、もっと考えて物言えよとか、「まじデリカシーないよね」みたいなことをたくさん言われました。そして部活でも、4月から6月くらいまで、よくサボってました。それで演奏会の日、練習もろくに来ないような僕を出させるわけいかないのに、僕のかわりに3年生が出たりするのに腹を立てたりしてました。今考えると、練習行かない僕が悪いし、むしろその3年生にもっと感謝しなきゃいけなかったなーって思います。それにたまたま部活に行ったとしても、ダルそうにして、帰りたいような態度をとっていました。3年生の人がサボってた分を教えてくれたのにです。そのことで辻元ペット隊の3年生に怒られました。一生懸命やってる人の前で、そんな態度をとったら嫌な気持ちになるのは当たり前だと思います。

 と、まあ色々あって僕はやっとそーいうことに気付けました。要するに、僕は、自分のことしか考えてなくて、色んな人を嫌な気持ちにさせてきたってことです。それにこんな僕の事を思ってくれてる人がいるのに、それに対しての感謝の気持ちってのもありませんでした。なので僕はもう一つ気付きました。今まで、僕に対して怒ったり、注意してくる人の中には、僕のことを思って、そういうことをしてくれてる人もいたということに。

 この前、実習生のK先生が言ってた、自分には分からない自分、他人から見ないと分からない自分ってのを、僕は受け入れることができてなかったんだと思います。もちろん僕のことが嫌いで、他の人なら笑って済むようなことも、僕という理由だけで理不尽にキレたり、お前だけは嫌みたいに言ってくる人もいますが。それも僕の今までの行い、接し方が悪いからだと思います。

 みなさんも、よく怒ってきたり、注意したりしてくる人がいたら、それは自分のことをよく見てくれてるってことだと思うし、自分のことを思って言ってくれてるんだと思います。そうやって怒ったり、注意したりしてくれてる友達を大切にしてはどうですか?そして自分も相手の出来てないとこや、悪いとこをその人のことを思って注意したりしてはどうですか。

 

<成長> 

 このお話の後、思わず私は彼の頭を撫でてしまいました。あの彼が、こんな気付きを与えられるなんて、やっぱりのぞみ寮っていいところです。親元離れて、地元の友だちと離れて、思い切って一歩を踏み出した君たちに改めて感謝したいです。

 その君たちの成長を間近で見られる私たちは幸せ者だと心から感じさせられています。一つ一つの出来事をしっかりと受け止め、考える時間にするからこその成長なんです。その事をしっかりと胸にとめておきたいです。(澤野)