自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2014/11/20
< 光風館へようこそ!〜寮体験プログラム〜 >
9月に行われたプログラム後から“寮体験プログラム”は随時受付となりました。今回、11月16日(日)から21日(金)の間に申し込んでくれた通学生がいますので、紹介します。
S.M君(新発田市出身)
『器楽部でサックスを担当しているので、趣味はサックスを吹くことです。この寮体験プログラムでは先輩や友達との仲を深めていきたいと思います。寮に入りたいので、今回プログラムに参加出来て嬉しいです。』
S君と私は器楽部で接点があるので、普段からよく話をしています。先日行われたオープンスクールの時、私のところへ来て『寮に入りたいんです』と優しい笑顔で話しかけてくれました。そのことをすぐ澤野先生に伝えたところ、「そうか!よし、来週日曜日からおいで!」と、とんとん拍子に話が進んでいきました。『出来たら光風館で寮体験をしたいんですけど…』という彼に「大望館と人数のバランスがあるから、ちょっと待ってて」と寮務教師で相談しました。相談が終わり、「S君、人数のバランスを考えた結果……」と話し始める澤野先生を見て、肩をガクッと落としたS君。すぐさま「光風館で寮体験をしてもらいます」と言われ、一瞬の沈黙の後、「今、騙されてしまいました!」と明るい笑顔で喜んでいました。「寮体験プログラムが終わったら、感想文を書いてもらうから考えておいて」と、続けて説明する澤野先生に『それは本当ですか?…もしかしてまた騙されていますか?』と、めっちゃ警戒しているS君を見て、その場は大爆笑でした。
部活で見せる姿とは全く違う先輩の本当の姿を見て、戸惑いを隠せないようですが…光風館での寮生活を満喫していってください。どうぞよろしく!(片岡)
< 広島碑巡りの旅 & 原爆展 >
少し前の話になりますが…敬和学園では『広島碑巡りの旅』が毎年8月6日前後の数日間に行われています。今年は光風館からI.H君(3年)とO.K君(1年)の2名が参加しました。展示会と報告を兼ねて11月12日(水)から19日(水)まで敬和学園チャペルで“原爆展”が開催されました。暑いあの日に広島を訪れ、語り部の方から証言を聴き、様々なことを学び、感じてきたようです。I君は9月18日(木)全校礼拝でのお話、O君は9月2日(火)光風館礼拝でのお話をしてくれたので、記載します。
『広島碑巡りに参加して』 I.H
夏休み、みなさんはどのように過ごしましたか?私は広島碑巡りの旅へ参加しました。今日はそのことについてお話したいと思います。
私は初めて広島へ行き、戦争の体験を話してくださる語り部の方のお話を聴きました。戦争や原爆のことは、小学校から教科書で習っていたので知っていることだと思っていました。しかしそんな甘い考えはすぐになくなりました。語り部の方のお話は想像を絶する内容でした。原爆が投下され、焼け焦げて亡くなる人や熱を避けるために川へ入りそのまま亡くなる人。放射線の影響で亡くなる人、飢えで亡くなる人、家族が亡くなったことを知り自ら命を絶つ人。単に原爆の直接的影響で亡くなった人だけではないということを知りました。また奇跡的に生き残った方も壮絶な苦しみがあることを知りました。教科書では数ページでしたが、語り部の方のお話は人生そのもので比べ物になりませんでした。私は何も知らなかったのです。それで知っていたと思っていた自分が恥ずかしくなりました。教科書には描かれていない“行間”を学んだ気がします。
最初にお話してくださったKさんは戦後すぐに語り部になったわけではありませんでした。あまりにも悲しく苦しい想い出だったため、35年間心の奥にしまっていたそうです。そんな状況を変えたのはある子どもの一言でした。その子ども達が楽しそうに遊んでいるのを見て、何をしているのかと聞いたところ、衝撃的な言葉が返ってきました。「戦争ごっこをして遊んでいるんだ。楽しいよ。」その時、今の子ども達は戦争の苦しみを知らないのだと気が付き、語り部になることを決意したそうです。そして、今でも思い出すと苦しいと言っていた戦争の記憶を若い世代に語り継いでくださっています。
そのKさんのお話の中で頭から離れない言葉があります。それは「生命を大事にしながら、みんなで仲良く平和を願うことが大切。人を苛めながら、人を泣かせながら、人とケンカをしながら願う平和ではダメだ」という言葉です。平和を願っているけれども、その平和は漠然としたモノでどこか遠くにあるように感じているから、目の前にある小さな出来事に平和を見出すことが出来ない。みなさんの中にもそんな人がいるのではないでしょうか?自らだけでなく周りの人も幸せでこそ平和だと気が付くのと同時に、平和というモノは実体がなくひとり一人が違う平和の形を持つ難しいモノだと知りました。
私の考える平和とは、何かを見つめ直すことが出来ました。しかし明確な平和の答えはまだ見つかっていません。それは一人ではなく、多くの方が平和について考えることにより、ひとり一人の意識を変え、平和に繋がっていくと考えているからです。そのために広島に行くことの出来ない方に少しでも平和について考えてもらうために、戦争や原爆について学んだことを伝えていきたいと思います。
またみなさんに平和について考えてもらう第一歩として11月12日(水)から11月19日(水)までの1週間、チャペルロビーで原爆展を開きます。忙しい方も多いと思いますが来てくださると幸いです。また耳を傾けてくださりありがとうございました。
『広島碑巡りに参加して』 O.K
僕は8月3日から8日までの広島碑巡りに参加しました。最初はとても迷いましたが、両親からも行くようにすすめられたので、この碑巡りに行くことを決めました。1年生は僕一人だったので、緊張していましたが…実際に行ってみて、「いい旅だったな」と思っています。この広島碑巡りの旅で印象的だったのは、被爆者の方から直接お話を聴くことが出来たことや、式典の行われる平和記念公園内にある平和祈念資料館の展示内容や世界遺産になっている原爆ドームを自分の目で見ることが出来たことなどです。
原爆被爆者の一人であるKさんからは、『人生というのは、いつどこでどんなことが起こるか、わからない。だからその一瞬一瞬を大切にして生きてほしい。』ということを学びました。Kさんは原爆が投下された日、実家を離れていたため助かりましたが、お母さんやお父さん、お姉さんは被害に遭われて亡くなられたそうです。「何をどうしたらよいかわからず、すごく苦しかった」とKさんは話してくださいました。悲しみがどれだけ大きかったということがとても伝わってきました。僕ははじめて自分自身がそういった立場におかれた時、どう思うだろうかということを考えました。そして平和とは、どういうものなのかということも考えることが出来ました。
平和祈念資料館には、原爆を落とされた後の広島の焼け野原の写真や被爆をして変形しながら互いにくっついてしまっている食器類、皮膚が焼けただれていかにも痛々しい様子の人形などが置かれていましたが、そういうもの全てが一瞬のうちにして、何も変わりのなかった日常を原子爆弾によって壊されてしまったことを物語っていました。
僕は、家族や友達と過ごす日々がとてもかけがえのないものであると感じました。普段、当たり前と思っている日常こそ、平和なんだと思います。今回の広島碑巡りでは、平和について真剣に考え、広島の人たちの想いを受け止めることが出来たので、本当に充実した旅になったと思います。
私が広島を初めて訪れたのは11年前、中学3年生の時でした。地元 福島県会津若松市の中学生ヒロシマ平和研修に参加しました。その時、語り部の方から証言を聴いたことや平和祈念資料館で見たものを今でも鮮明に憶えています。そして去年、10年ぶりにその方とお会いし、母校での講演会を聴くことが出来ました。「10年前と話している内容は変わらんよ…」と、実体験を淡々と語られた言葉は、自分の心に突き刺さりました。証言を聴きながら、あの暑い日差しの中ヒロシマを訪れたこと、平和記念式典に出席したことを思い出していました。そして10年前と変わらない「戦争・核はいらない」という想い、10年前と変わってしまった「放射能・被曝」という現実を考えずにいられませんでした。
来年の広島碑巡りの旅にたくさんの敬和生が参加して、たくさんのことを学び、感じてほしいと思います。そしてひとり一人が平和を考えるきっかけとし、平和を作り出すひとりとなってほしいと願います。(片岡)
<礼拝のお話>
N.R(3年)
今日は「カイロ」について話そうと思います。しかし、普通の使い捨てカイロの話ではありません。自分が何かの折にもらって、1年近く放置していたものを昨日引っ張り出して使ってみた使い捨てカイロです。カイロには有効期限というものがあります。昨日引っ張り出してきたカイロには有効期限が2017年6月とありました。まだ使えるはずです。しかし、昨日袋を開けて取り出したカイロは振ってみても叩いてみても、はたまた投げてみてもほんの申し訳程度にしか熱を発しませんでした。外の袋に穴でも空いていたのではないかと思いました。
人は何かをする時、頑張ろうとする時に考えてから行動すると思います。しかし、その考える時間が長すぎるとチャンスを逃したり、後悔をしたりしてしまうと思います。今日の使い捨てカイロと同じようなことにならないためにも、悩みすぎず、しっかりと考えて行動してみてはどうでしょうか?悩まないといけない状況で熱を発しなかったカイロのことを少しだけ思い出してくれると幸いです。
T.R(3年)
今日は「偽善」について話そうと思います。みなさんは誰かのために何かをしようと考え、またそれを実行したことはありますか?そして、その結果「お前のやっていることは偽善だ」などと言われ、周囲の人に罵倒されたことはありませんか?私は何度もあります。その度に深く傷付いたのを憶えています。しかし、私はこう思うのです。“偽善でもいいのではないか”と。「やらない善よりやる善」と言いますが、まさにそうだと思います。その人が他人のことを思い、頑張ったり考えたりしたのは確かに“善”なはずなのです。そしてその人が他人に与えた“善”は巡り巡って、他人や与えた人に返ってくるのです。まさに「情けは人のためならず」、素晴らしいですね。
実際、この世をより生きやすく生きていくためには、善を振りまいていくことが一番だと思います。さあ、みなさんも一日一善、たくさんの善を振りまいて楽しく生きていきましょう。
特に3年生はもうすぐ卒業です。しがらみを残して、敬和を去るのは嫌でしょう。いざこざを起こさず、平和に卒業するためにもレッツ偽善です!