自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2014/11/10
先月28日のことです。
今からちょうど40年前、1974年に私がフランスに留学していた時の友人が訪ねてきてくれました。
アメリカ人のJとPの夫妻と横浜に住んでいるMさんです。
JとPの夫妻は彼らが日本に来たことが何度かあるので30年ぶりです。
Mさんはフランスから戻って以来、年賀状のやり取りはありましたが、会う機会はありませんでした。
30年ぶり、40年ぶりにもかかわらず、一瞬にして時間が引き戻されるように話は当時のクラスのことで盛り上がりました。
不思議なものです。
今までほとんど思い出すことのなかった他のクラスメートのことも、話しているうちに次々に思い出されました。
話したいことがどんどん出てきて、話題もあちこちに飛びます。
その時Jが突然言いました。
「今年のハロウィンはどこでしようかな」。
その言葉に促されるように私が思い出したことがあります。
それは私が初めてハロウィンというお祭りを体験した時のことです。
私はJとPに言いました。
「40年前、あなたたちは、私を家に呼んでくれてハロウィンをした」。
彼らはそのことをまったく覚えていず、「そんなことをしたかなあ」との反応でした。さらに私が思い出したことがあります。
と言うよりはそれまですっかり忘れていたことです。
それはアルバムです。
今はそういうことはまずやりませんが、若い頃、私は写真をアルバムに貼って、そこにコメントを書き込むことを、一つの趣味にしていました。
アルバムには尋ねた場所の入場券や交通機関のチケットも一緒に貼っていました。
そうしてアルバムが増えていくのが楽しみでした。
フランス留学時代のものがあるのを思い出したのです。
そこで急いて別の部屋にあるはずのアルバムを探しに行き、たくさん並んでいるうちから、1冊を抜き出しました。
中を開くとドンピシャでした。
パラパラとめくっていると、そこに私がハロウィン用のオレンジ色のカボチャをくり抜いている写真が何枚も出てきました。
ナイフで目の部分をくり抜こうとしている様子は真剣そのものでした。
そのページを開いたまま、急いでみんながいる部屋に戻り「見つけたよ」との言葉と共に見せました。
彼らは一様に驚き、ますます話のテンションが上がりました。
ハロウィンの写真を見ても、それでもなかなか思い出せないでいるようでした。
それはその時のハロウィンが私にとって初めての体験であるのに対して、彼らは毎年当たり前にやってきたからかも知れません。
さらに話のテンションが上がったのは、ハロウィンのページの前後に貼ってある写真を見た時です。
クラスの集合写真が出てきた時は、3人は大歓声をあげました。
そこに写っている人を指さしながら、これは誰で、どこの国の人で、こういうことがあった、とエピソードが次々に出てきました。
ただ私はそのアルバムを見ながら気になり出したことがあります。
私のアルバムですから主に写っているのは私です。
引っかかったのは私の表情です。
写真をとられるわけですから、集合写真や友人と一緒に写される時は笑っています。けれど、撮られることを意識しないで写っている写真は、ほとんど固い表情をしていました。
笑っている写真のその笑い方も、習慣として笑顔になっているのが、ありありとわかります。
フランスに留学していたというと、カッコいいように受け取られることが少なくありません。
けれど、私がフランスに留学したのは、カッコをつけないといけないと考えていたことも確かです。
大学進学も満足できるものではなく、何をしたらいいのか何ができるか、よくわからないで過ごしてきて、これではダメだと状況を変えたくてフランスに行ったのです。しかし留学によって私のコンプレックスは逆に大きくなりました。
同じクラスに所属する人たちは、私とは違うレベルでやってきた人たちでした。
アフガニスタンから来た2人は紛れもないエリートでした。
国際的な経験を積むようにと国が派遣した人たちです。
タイからの学生は同じ留学でも私と違って、いわゆる国費留学でした。
日本人もいましたが、彼らは大きな商社のエリート社員、そして官僚でした。
彼らは確かに優秀でした。
語学を習得しようという意欲に関しても、私は足元にも及びませんでした。
私はもともと語学が得意ではありません。
語学力のある人、語学のセンスのある人は、音楽的センスもあって、音を聞き取る力があるといわれますが、私はまさにその逆でした。
音楽はダメ、音が取れない、リズム感が悪いという典型的な人間でした。
私の目からすれば、彼らは何もかも恵まれた人たちに見えました。
そして、そうはなれない自分に腹立たしさを感じながら、そして世の中に対しても、腹立たしい思いを持ちながら生きていたのだと思います。
その思いが表情となっていたのが写真の中の私でした。
半年ほどたったある日、私はアッと気づきました。
自分の両サイドに座って授業を受けている、私からすれば能力に恵まれ、将来が約束されているように見える人たちは、私とは比べものにならないくらいのプレッシャーと闘いながら授業を受けていたのです。
日々自分と闘っていたのです。
彼らは国家や大企業からお金を出してもらっているのですから、絶対に良い成績をとらなければならないのです。
しっかりとした結果を出すことが義務付けられていたのです。
その彼らからすれば、個人的な目的で留学をしている私の方が、自由で身軽でうらやましかったに違いなかったのです。
私は自分が恵まれていることに気づかず、自分が持っていないもの、不満ばかりを考えて、自分に与えられている恵みを数えること、考えることをしていなかったのです。それが自分を苦しくさせていたのです
それでは学校生活、留学生活が楽しいわけはないのです。
私は自分を大切にすることをおろそかにしていたのです。
そのことに気づいて、ようやく私はそこでの学校生活に取り組むことができるようになりました。
さらに気づいたこと、それはそういう形で神様は私を支え導いて下さっていたのです。
それが3年後、京都の大学の神学部に入学することにつながります。
私は自分の愚かさを通して、私たち一人ひとりが神様の大きなご計画の中に生かされ存在であることを知ったのです。